第6話

目の前のものに太陽のような眩しい光を当てると

全てが明らかとなり平面に見える

そこに影ができると立体的に見えてくる

人生も憂いがある故に大切なものがはっきりして深まっていく

でも 影ばかりだったとしたら?

人生の大切なものは 欠落していく



 イルミネーションを一緒に見た日以降は、春翔と会う約束はしていなかった。淋しい冬休みになりそう。今度はいつ会えるのかな? 自室のベッドの上で仰向けになって小さな溜息をついた。あまりの寒さにブランケットを取ろうとした瞬間、LINEの通知音が鳴った。

《凛香ちゃん、冬期講習、今日から僕も入ったよ》

 嬉しい知らせに、即レスをした。今晩の塾が待ち遠しくなった。


 これまで平日の夜週二回だけだった塾が、冬期講習では午前授業三時間と夜の授業が三時間ずつ月曜日から土曜日までぎっしり授業が詰められている。「一日六時間、週六日だから、学校よりも一日多く春翔に会える」そう思うと、受験勉強をする無機質な場所だった塾が、楽しい場所のように感じてしまう。


 いつもより早めに塾に向かった。教室のドアを開けると、既に着席している春翔と目が合った。塾の座席は成績順になっている。春翔は入ったばかりにも関わらず、入塾試験の結果から北星高校合格圏内と言われている一列目の真ん中の座席に座っていた。私はようやく二列目の右端まで辿り着いたばかりだった。


 塾で真剣に先生の話を聞こうとすると、自然に春翔が視界に入ってくる。

「ねえ、凜香ちゃん授業中、僕のこと見てたでしょ?」

「絶対、見てない。勝手に視界に入ってくるだけ」

 私は、断固否定する。それを面白がって何度もからかってくる。大人っぽいのか、子供っぽいのかわからないところがあった。塾からの帰り掛けに、春翔から呼び止められた。

「絶対見てないってば! 視界に入ってくるだけだって」

「そうじゃなくて、一緒に初詣行かない?」

「初詣?」

「そう、地元の神社に合格祈願。どう? 歩いて行けるよ」

「分かった。翡翠神社でしょ?」

「うん。翡翠神社で合格祈願しよう」

「しよう、しよう」

「寒くても、雨が降っても、雪が降っても必ず行くよ」

「もちろん」

 自然に笑顔がこぼれてしまう。帰り道、春翔が私を家まで送ってくれるという。「結」の鼻歌を歌いながら自転車を漕いでいると、春翔も鼻歌で参戦してきた。特別な言葉を交わさなくても心地良かった。


 自室に戻ると、卓上カレンダーの一月二日に「初詣」と桃色のペンで記入した。今から、どの服を着て行こうか考えてしまう。お年玉を早めにもらって、新しい服を買いに行こうか? この日までに、学校の宿題も塾の宿題も終わるようにしたい。春翔と一つ約束をしただけなのに、次々にいろいろな「やりたいことリスト」が増えていく。その一つ一つを卓上カレンダーに書き込んだ。


 食事を済ませた後、できるだけ早めにお風呂に入ることで、夜の自宅勉強時間を捻出し、宿題をやる時間に充てることにした。それだけでは足りなくて塾のない午後も必然的に勉強することになる。午前も夜も塾に詰めているというのに、塾の宿題は学校のそれよりも多かった。中学三年生の冬休みは、勉強一色に塗られていった。一月二日、初詣の日だけが輝いて見えた。


 春翔とつきあう前、私は自分の人生に大切なものなど一つも見い出せなかった。「不幸せ」ばかりを数えて、自分に光を当てる方法を知らなかった。でも今は、大切なものができた。「勉強すること」だって以前は、塾の授業料を無料にするためにやっていたに過ぎない。


 大切なものは、春翔と過ごす時間だったり、自分の未来のために勉強することだったり、何気ない友達との会話だったり、ずっと前からそこにあるものだったのだ。春翔がそれを教えてくれた。光が当たっていない時には、そこに存在しているのに見えなかった。初詣の日に改めて「ありがとう」を伝えたい。素直に自分の思いを伝えることが出来たら、自分を変えることができそうだと思った。


 初詣に行く日は、粉雪の舞う寒い日だった。この辺りに雪が舞うことは滅多にない。白いセーターワンピースに黒のスキニーパンツ、黒いブーツを履いた。そしてお年玉で買ったボア素材のベージュのコートを羽織ると、可愛く見えることを祈った。


 約束の場所に春翔は、先に到着していた。冷たい粉雪を一身に浴びようとはしゃいでいる姿は、まるで小学生のようだった。しかし普段のパーカー姿ではなく、ウール素材のネイビーのダッフルコートを羽織り、落ち着いた色合いのコットンパンツを履いている様子は、高校生のようにも見える。そのギャップにときめきと、緊張を覚えた私は、春翔の後ろを歩いていた。


「ねえ凛香ちゃん、探偵ごっこでもしてるの?」

「そう、探偵ごっこ」

 以前だったらこんな時、相手の言ったことを否定する言葉をムキになって発していたに違いない。今は違う。

「横に並んで歩こうよ、ほら」

 春翔は紺色の手袋をはめた右手を差し出した。少しためらいながら差し出した手を、春翔は優しく受け止めてくれた。紺色の手袋と、水色の手袋が重なった。

「凛香ちゃんのスカート姿は貴重だな。後で一緒に自撮りしよう」

「うん」

 手をつないだら、春翔の横顔が触れてしまいそうなほど、すぐそばに見える。低い声がいつもより脳内に響いて、顔が熱くなるのがわかる。

「話、変わるけど、海斗のヤツ、遙ちゃんにもう一度しっかり告白をしてつきあうようになったらしいよ」

「そうなの? 昨日遙からLINEで『いい事があったから今度聞いてね』って送られてきてた」

 二人がうまくいっているのが嬉しくてつい顔がほころんでしまう。


 そう言えば合唱コンクールの頃から、春翔に対して少しずつ素直な言葉が使えるようになった。それまで発してきた数々の意地悪な言葉が、少しずつ薄まっていくようで嬉しかった。春翔は、私のこの変化に気付いているのだろうか? 気付いた上で触れないでいてくれるのだろうか? 精神年齢は、春翔の方がずっと上なんだと思う。

「凛香ちゃん、今日は翡翠神社に合格祈願に行って、それから、露店で何か買ってお昼御飯でいい?」

「うん。露店で何か買うのってわくわくする」

「僕はね、こう見えてチョコバナナが好きなんだ」

「チョコバナナ? 乙女だな」

「うふ! どうかわいいかい?」

 春翔はつないでいた手を離し、両手でハートマークを作って私に見せた。

「かわいくはない」

「えー! そこは、かわいいって言ってよ」

「やだ!」

「まあ、仕方ないか。凛香ちゃんの方がかわいいから」

 もう一度、手をつないできた春翔に、私の顔は熱くなって心臓がドキドキしてしまった。ドキドキがバレていないか春翔の顔を見たら、目が合ってしまう。春翔が、つないでいた手をぎゅっと握ってきた。私は、どうしていいのか分からず、春翔の手を振りほどいて、駆け出した。

「待ってよ、凛香ちゃん」

「やだ」

 私は粉雪の中で走るのが楽しくて、次の信号まで走ることにした。春翔は笑い声を上げながら軽々と走って、追いついた。

「もう、凛香ちゃん」

 手首を掴まれた拍子につまずきそうになった。春翔がとっさに私を抱きかかえて受け止め、至近距離で見つめ合う。恥ずかしさで目を閉じた瞬間に、春翔の唇が私の唇と重なった。  

 粉雪の中で触れた唇は、冷たくて、柔らかくて、やっぱり温かかった。静寂が二人を包んだ。


「ごめん、凛香ちゃん」

「ごめんはないよ。ファーストキスなんだから」

「うん、ごめん。あ、いや、ありがとう」

 春翔の顔が真剣な表情に変わった。私はこんな時、どうしたらいいのかわからない。何を言ったらいいのか困ってしまう。

「凛香ちゃん、好きだよ」

「えっと、春翔くん・・・・・・」

 頬が熱くなった。恥ずかしくて溶けそうだった。それでも春翔の顔を見つめて伝えたかった。

「ありがとう。私のことを照らしてくれて」

「え?」

 春翔の右眉毛が上がった。驚いた時、いつも片方の眉毛が上がって、目まで大きくなる。

「だから、私も好きっていう意味」

「嬉しいなー」

 温かい大きな腕でハグされた。でも、嫌ではなかった。少しずつ私の中の何かが変わっている。

「ありがとう」を発した私は、きっともう「不幸せ」ではない。お揃いで買った青い合格祈願のお守りに、この日の出来事と私の変化をそっとしまっておきたかった。


 三学期が始まると、すぐに県の学力調査テストがあった。このテスト結果の合計点で、最終的に受験する高校が決まっていく。春翔と一緒に買った合格祈願の青いお守りをペンケースに入れて臨んだ。このテスト結果は、受験校の判断にすぐに必要らしく、早急に採点され翌日に結果が手渡される。この結果と二学期の評定を基に、受験校を決めるのだ。


「凛香ちゃん、合計何点だった?」

 私は学力調査合計点のショックから立ち直れずにいた。難易度の高いテストには違いなかった。でも二百点を下回ってしまったのだ。百九十五点だった。同点の人が並ぶテストでは、一点を争うことになる。受験情報サイトでは、過去の前例として百九十点の人が合格したことがあるとあったがそれは稀なケース。黙っている私に、春翔は状況を察したようだ。

「これは本番ではないからさ。二月が私学、三月が公立だから、まだまだ勉強できるよ。それに凛香ちゃんは評定が高いから大丈夫」

「二百点は越しておきたかったな」

 春翔は二百三十点だったという。テストに強いのは優位である。賢さの証明ということだ。一緒に北星高校に合格できるように、さらに集中して勉強しなくては。テストで発揮できる力を養いたかった。


 学力調査テスト後に面談があった。吉田先生と相談した結果、志望校は下げずに私学を滑り止め校として受けておけば大丈夫ということになった。この私学は、北星高校の不合格者も流れてくる。感染症の時期にオンライン授業をいち早く取り入れるなど面倒見が良いことから、私学の助成制度ができて一段と人気が高まっているらしい。


 この日は帰宅しても晩御飯の準備をする気になれなかった。私は荷物を自室のチェストの上に置くと着替えもせずにベッドの上に横になった。「何が悪かったのだろう」「一生懸命勉強してたのに」

「得意の英語の点数が三十八点だった」「どうしよう・・・・・・春翔と一緒に北星高校に行けないかもしれない」考えているうちに、いつの間にか深い眠りに落ちていた。


 どこかからやさしい香りが漂ってくる。これは昔、保育園の給食前に風に乗ってきた醤油と出汁の香り。あれ? 私は、保育園児になっている。あの頃、夕方になると淋しかった。朱色の夕日に向かって、お迎えの来た友達から帰っていくのだ。時々、お母さんとお父さんの二人で迎えに来ている家があって、羨ましかった。あ! その幸せな園児は春翔だったのだ。だって、私が「春くん、ばいばい」って夕日に向かって小さくなっていく三人の影に手を振っているから・・・・・・。小学生の時も、参観会に春翔の家は時々お父さんが見に来ていて羨ましかった。そうだった! だから私は、春翔と疎遠になっていったのだ。相手がもっているものに嫉妬してしまう自分が嫌だったから。


 でもまた、私の中の嫌な部分が目を覚まそうとしているのかもしれなかった。春翔の「明るくて人から好かれるところ」「賢くてどんなテストでも高得点を取るところ」それから「私に冷たい言葉を掛けられても優しいままでいられるところ」どれも私には足りない欠落した部分だった。明日からも素直な気持ちで春翔に接することができるだろうか?


 遠くから、誰かが呼ぶ声がする・・・・・・。

「凛香・・・・・・。起きて」

 母の声だ。「はっ」として目が覚めた。まだ眠い目をこすりながらリビングに辿り着くと、夕食を用意して母が待っていた。

「わぁ! お母さん、ご飯作ってくれたんだ」

「凛香の好きな親子煮を作ったの。さ、食べましょ」

「うん。ありがと」

 手を合わせ「いただきます」をすると私は、真っ先に親子煮から口を付けた。体にとても沁みてくる味だ。

「出汁が利いているでしょう? おばあちゃん直伝なのよ」

 醤油と出汁の香りはどんな恵まれない家庭にも「幸せ」を届けてくれる。私の好きなものを覚えていて母が作ってくれたことが、とてもうれしい。

「あの、お母さん。今日、学調の結果が返ってきて百九十五点だった。五点足りなかった」

「あら、そうなの? 凛香ちゃんはよくがんばっていたんだから、いいのよ」

 叱られると思っていた私は、拍子抜けした。母は「塾代を浮かせるために勉強しなさい!」といつだって厳しく責めるタイプだったのだから。ところが最近の母は、少し変わりつつあるような気がする。

「吉田先生は、滑り止めに私学を受けるなら、北星高校受験でいいんじゃない? って言ってくれたんだけど、どう思う?」

「この前、吉田先生から頂いた資料で必要な書類を確認して申請していたのがちょうど今日、届いたの。うちの収入だと、その私学、授業料やその他の費用も免除されて入学できるわよ。だから安心して北星高校を受験すればいいから」

「え? ママほんと? 授業料かからなくて済むのね。良かった」

 私は大きな安堵を覚えた。家計のことが心配だったのだ。「貧しさ」が役立つこともあるのだと、ほっとした。また明日から勉強をがんばろうという気持ちが湧いてきた。


「ねえ、お母さん。この前の話」

「この前の話?」

「私、お父さんと一度会ってみたいと思う。受験が終わってから……」

 口ごもってうまく言えない。

「凛香。会ってみたいのね? あなたのお父さんだもの」

「うん」

「お母さんにとってはいい夫ではなかったけど、凛香にとってはきっと今もいいお父さんでいたいと思っているわ」

「だといいけど」

 心配事がひとつずつ消えていった。この日は勉強することなく、ゆっくり入浴して眠りに就いた。


 翌日の学校帰り、春翔がある提案をしてきた。

「凛香ちゃん、いよいよ受験もラストスパートだね。もし良かったらなんだけど、夜、勉強する始めと終わりにLINE一行交換するっていうのはどう?」

「一行交換?」

「そう。夜勉強してると眠くなるでしょ? でも頑張っているのは自分だけじゃないって分かれば、僕が心強い」

「面白そう」

「『今日は英語の熟語と歴史分野の暗記を中心に勉強します』みたいな感じで一言何をやるか付け加えてもいいよ」

「なるほど! それはいいわね」

 春翔は私のために提案してくれているんだ。「僕が心強い」みたいに言っているけど、春翔は一人だって平気で立ち向かって行ける人。私のことを心配しているのが伝わってくる。春翔は精神年齢が大人だ。まるで「お父さん」みたいだ。「お父さん」がどんな感じなのか、よくわからないけど。

「春翔くん、ありがとう。早速、今日からでいい?」

「オケ! 今日は塾がないからたくさん勉強できそうだね」

 春翔はいたずらっぽく笑った。


 私の放課後は晩御飯作りから始まる。帰宅してすぐに料理をしておくと時間が効率的に使えるのだ。そこから学校の宿題をしたり、塾に行ったりする。そして晩御飯を食べ、入浴を済ませてやっと夜の勉強時間となる。塾は週に二回、九時四十五分まで。この日はほとんど自宅勉強ができない。今日は「塾なし」だから、八時から勉強できそうだ。

 自室で勉強机の上に今日の分の問題集をセットした。八時開始は早いほうだ。LINEを見ると、春翔からコメントが入っていた。

《今日も勉強、がんばろー!国・数・英の過去問を解きまくるぞ!》

 まるで春翔が喋っているような元気な言葉だった。

《私は私学の社会と理科の過去問を、時間を計ってやってみる》

 一人で孤独に勉強するよりもはかどった。すぐそばに春翔がいるようだ。受験する私学の入試問題は記述式問題が多かった。解説を見ると、どの言葉が鍵になるのか説明もありこれまで単なる知識だったことが、他の事柄とリンクしていく実感があった。

 そろそろ十二時になるので終わりにしようかと思っていると、春翔から通知があった。

《凛香ちゃん進み具合はどう? そろそろ僕は終わりにします。十二時過ぎるとお肌に悪いから、おやすみ》

《春翔くんより美肌を目指してるので私も終わります。おやすみ》

 春翔はLINEでも笑わせようとしてくれている。受験一色のこの時期を春翔は優しい月のような光で照らし続けてくれた。毎日の一行交換LINEが楽しみになった。勉強でつまずいている所をLINEで質問すると、即レスで「解説」が返ってきた。

 以前は、LINEで「おやすみ」を報告し合う人達の話を聞いて、陳腐だと思っていた。でも今はその気持ちが分かる。他人を許容できる自分がいた。


 春翔とつきあうようになって、私は様々な面で変わった。素直な言葉で話すことができるようになった。相手を許容する余裕もできつつある。以前は、人と関わることを「人に邪魔されること」だと誤った認識をしていた。



 好きなものや大切なものが増えた。合唱の歌が好きになり、春翔、海斗、遙という大切な仲間もできた。「星のかけら」で四人で見た美しいイルミネーションは私を照らし、心の奥に潜む影を、その光で消してくれるだろうか? 眠れないベッドの上で、様々な感情が湧いては消えた。



 春翔のやさしさは、ずっと続いていくのだろうか? 突然に不安が押し寄せた。















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