第12話図書館

 クロウが僕らの前から姿を消して三日が経った。

 ディノスの顔色も前のように戻り、表面上は以前のような関係に戻ったと言えた。

 

 相変わらず僕は宿直部屋で寝泊まりだが、それも慣れだ。王城には誰かしら常駐しているし、そのための設備が整っている。

 その設備を貸してもらえれば、不便の無い生活が出来ていた。

 

 休日の日に街に出られないのと、食事に飽きが来ていることを除けば、仕事場と直結の今の環境も良い物だと思えるようになってきていた。

 そして今日は僕の休日。宿直部屋でどうしようかと悩む。やることが何もないんだ。

 

 外に出られるなら、魔石市にでも出かけただろうけど。それも出来ない。

 ベッドの上でゴロゴロする。ふかふかのベッドの上はとても気持ちがいい。兵舎のベッドとは雲泥の差だ。

 下位貴族用の部屋でこれなら、高位貴族の部屋はどれだけすごいのだろう。

 それにこの服もだ。


 僕は服を見下ろす。クロスター家の家令が用意したという服は僕にぴったりだった。そして生地が良い。肌触りが良くて洗濯してもゴワゴワしない。

 この服を返す時、僕はどんなお礼をしたら良いんだろう。

 

 城から出られない僕にとては、とてもありがたい品だ。この気持ちを表すにはどうすればいいんだろうか。

 それも頭を悩ませる。

 貴族にお礼を返すなんて、したことないぞ。僕に出来ることなんてたかがしれているのに。

 魔石でも贈ればいいんだろうか。

 失礼に当たらないだろうか。こういう時相談出来る人がいればいいのに。

 

 ふと、クロウの顔が浮かんだが、彼に貸しを作ると大変そうだ。

 僕は首を振る。

 はぁ、本当に暇だ。やることがないなら、仕事でもしようか。どうせ僕が仕分けをしなければ誰もしない仕事だ。

 そこまで考えて「やめよう」とぼやいた。


 僕が仕事に行けば、当然ディノスもついてくる。そして彼も手伝ってくれるのだ。

 だから僕が休まなければ、ディノスも休みがなくなる。

 それは護衛騎士にとって辛いだろう。護衛騎士だって人間なんだから休息が必要だ。

 

 彼のことを思えば、僕はこの部屋で大人しくしておくしかない。

 そんなことを考えて目をつむっていれば、次第に眠気が襲ってきた。

 少しだけ仮眠を取るか。

 そう思っていたのだが、いつしかベッドの上で本格的に眠っていた。

 

 どれくらい眠っていただろうか。

 

 「セレスト……」

 

 僕を切なげに呼ぶ声がする。

 そんな風に呼ばれたら、気になるじゃないか。

 夢うつつを彷徨っていた僕は、僕は目を覚ました。


「セレスト、そろそろお昼の時間が過ぎます」


 はっとして体を起こす。

 視界の隅に人影が見えた。

 そちらを振り返れば、ベッドの端に腰掛け、なぜか愛おしそうに僕を見つめるディノスが居た。

 彼も今日は休みのはずだが、近衛騎士団の制服をピシッと決めている。


「すみません、ノックしたのですが返事がなくて。何かあったのかと、中に入らせてもらいました」

「あぁ、気にしないでくれ。すまなかった、本気で寝てしまっていた」


 昼食を気にして声をかけてくれたんだろう。それなのに僕の返事がなかったから心配してくれたんだ。

 鍵を掛けてなくてよかった。今のセレストだったら、鍵を壊してでも中に入ってきそうだ。


「昼はどうしますか」

「食べに行くよ」


 僕が食べなければ、ディノスも食べないことになる。それは可哀想だろう。

 ベッドから降りようと、ディノスの方へ這い寄る。

 するとディノスが僕の方へ手を伸ばす。

 

「その前に、寝癖を直した方が良いかと」


 後頭部に手を当てられた。


「……僕は君の前で情けない姿を晒してばっかりだな」


 ディノスが微笑する。

 綺麗な微笑に、僕の心臓が高鳴った。こればかりは僕では制御できない。

 ディノスのことが好きだと自覚した今では、この胸の高鳴りが逆に辛い。

 さっと視線をそらして、僕はベッドから降りた。


 スタスタと部屋を歩き、鏡台から櫛を取り出して、髪を梳く。

 うん、寝癖は直ったな。

 それから洋箪笥から魔法士の制服を取り出す。僕は休みでも、他の者はそうではない。私服でウロウロしていたら不審者だと思われる。

 制服を着ていれば、少なくともそれはないからな。

 だからディノスも制服を着ているんだろう。


「じゃあ昼に行こうか」


 制服に袖を通し、僕は言う。

 ディノスが頷いた。

 僕らは食堂で昼を食べ、それから中庭に出た。食堂で図書室の司書を見かけた僕は、これだ、と思った。

 午後は図書室に行こう。

 官吏向けの資料室も併設されているはずだ。魔石に関連する資料でも見つけられたなら、僕の勉強になる。

 

 ということで中庭を突っ切って、文官達の集まる行政区域に足を踏み入れた。

 図書館までやって来た僕だったが、図書館は貴族専用ということで、入ることが出来なかった。

 だが資料室の方は、僕が印章官だという事を説明すれば利用出来た。こんな所でも平民と貴族の差が可視化されるなんて。

 少し残念に思いながら資料室に入った。

 

 資料室は静まりかえっていた。

 僕ら以外に利用者はおらず、ゆっくりと資料を閲覧することができた。

 僕はまず印章院に関する資料を探した。

 だが資料室は広く、収蔵資料は膨大で。僕だけでは見つけられそうになかった。司書に尋ねようかとも思ったが、司書は忙しそうに何やら書き物をしている。

 声をかけるのは憚られて、つい後ろに居たディノスに声をかけた。


「資料を探すのを手伝ってくれないか」

「分かりました。印章院のものですね」

「そうだ」


 何も言わなくても分かっている辺りが悔しい。僕の思考なんてお見通しだと言わんばかりだ。

 いや、僕の思考が読まれていたら、この恥ずかしい感情も読み込まれているはずだ。それは困る。

 口をへの字に曲げてしまった僕を見て、ディノスが首を傾げた。


「セレスト? どうかしましたか」

「なんでもないよ……じゃあ頼む」


 僕とディノスは二手に分かれて資料探しを始めた。

 資料室を隅から隅まで探す。天井まである資料棚は、僕の優に三倍の高さはあった。あんなに高いところにある資料なんて、僕は取れないぞ。

 

 下にある資料はしゃがみながら、上にある資料は見上げながら探していく。

 そして一番上の棚に印章院の文字を見つけた。

 あの辺りが印章院の資料のようだ。しかし僕の身長じゃ届かない。というより人の身長だと届かないだろう。

 周囲を見回せば、脚立が棚に立てかけてあった。

 これだ。

 僕は脚立を引っ張って来た。脚立に上り、手を伸ばす。


「………………と、届かない」


 僕の身長だと、最上段に上ってもギリギリ背表紙に指が引っかかる程度だった。

 少し怖いが背伸びをする。

 もう少しで資料を引っ張り出せそうだ。

 指で背表紙をまさぐりながら、より手を伸ばそうと片足で立つ。

 

 そのとき、脚立がぐらついた。

 あ、まずい。

 脚立が揺れたせいで、体の均衡が崩れてしまった。

 そのまま僕は、脚立から落ちる。

 ぎゅっと目を瞑るのと、床を走る音がしたのは丁度同時だった。

 床に落ちる衝撃に身を固くしていた僕は、代わりに誰かに抱きしめられ床を転がった。

 ガシャンと脚立が倒れる。

 

「何やってるんですか!」


 頭上からディノスの焦った声が降ってくる。

 僕を抱きしめて落下から守ってくれたのは、やはりディノスだった。

 僕は恐る恐る彼を見上げる。


「すまない、一人でも取れるかと思ったんだ」

「明らかに身長が足りないでしょう。何のための俺ですか」


 怒りの感情がにじみ出ているディノスに、僕は項垂れる。


「いや、誠に申し訳ない」

「怪我はありませんか」

「大丈夫だ」

「何の音ですか!」


 バタバタと司書が走って来た。

 司書は床に転がる僕とディノス、そして倒れた脚立を見てため息をついた。


「居るんだよな、無理して取ろうとするやつが。欲しい資料があるなら、声をかけてください。もっと高い脚立を用意しますから」


 そう言い残し司書は去っていった。

 僕は体を起こす。ディノスが下敷きになってくれたお陰で、僕自身に怪我はない。


「っ……」


 ディノスが呻いた。僕は慌てて彼を見る。

 こめかみが赤く擦れていた。


「君、もしかして頭を打ったのか」

「たいしたことありません」

「そういうわけにはいかないだろう。医療部に行こう」

「平気です」

「だが頭だぞ」

「これくらいで医療部に行ったら笑われますよ」

「しかしだな……」

「それよりも、もう無茶はしないでください」

「……わかった」

 

 僕は起き上がる。

 ディノスも起き上がり、衣服についた埃を払い、剣の位置を正した。


「怪我はありませんか」

「ないよ」

「欲しい資料は、あの一番上の資料ですね」

「いや、今日はもういいよ。それよりも石材倉庫に行こう」

「石材倉庫に?」


 医療部に行こうとしないディノスが気がかかりだった。

 それなら少しばかり職権乱用しようと思ったのだ。


「とにかく行こう」


 僕はディノスの手を引いた。彼は大人しくついてくる。

 端から見れば可笑しい構図だが、今はそうも言ってられない。

 鍵を保管している守衛から鍵を受け取り、僕の仕事場、石材倉庫を開ける。

 土とカビ臭い匂いがする。

 僕はディノスを椅子に座らせた。


「ひとまずここで休んで居てくれ」

「何をするんですか」

「民間療法だよ。君が医療部に行ってくれないからな」

「えっ、まさか」


 僕は仕分けの済んだ麻袋から、属性の見当をつけて魔石を取り出す。


「解析開始」


 念のため魔石の属性を調べる。うん、火属性だ。

 二等級の魔石なら、十分効果はあるだろう。

 魔石についていた土汚れを制服の袖で拭う。


「内緒にしといてくれよ」


 僕はディノスに向かっていい、彼のこめかみに魔石を当てた。


「魔石開放」


 僕の魔力が魔石に移動する。魔石が内部から発光しはじめた。

 そしてじんわりと魔石の周囲が暖かくなる。

 僕の魔力を起爆剤に、魔石が持つ火属性が活性化しているのだ。

 

 この活性化は、同じ属性のモノを活性化させる効能がある。つまり火属性を持つ人の、治癒力増強になるわけだ。

 これは医者に簡単にかかれない平民の民間療法だった。

 安い魔石でも属性が合えば、そして少しの魔法が使えるなら、こうして人を癒やしてやれる。

 切り傷くらいなら、この方法で簡単に治療することができた。


「痛みが引きました。もう大丈夫です」


 ディノスが苦笑しながら言う。

 彼もこの治療法を知っているに違いない。手軽に出来る万能の治療法だから、経験があるのかもしれない。


「誰かに見つかってしまったら、大事です。職権乱用はもうやめてください」


 魔石を掴んでいた僕の手を、軽く押しのける。

 こめかみの赤みは引いていた。

 ひとまずホッとする。


「君のためなら、構わないさ」


 一瞬ディノスが驚いたような顔をする。そしてふわりと笑った。心底嬉しそうな顔だった。

 その顔がまた綺麗で。僕の胸が高鳴る。

 あぁ、もう。彼にいちいちときめかなくていいのに。


「僕は二度も命を救われているからな」

「私は貴方の護衛騎士ですから」


 そう。ディノスがこうして俺を見てくれているのも、僕が護衛対象だからだ。

 だから勘違いしちゃいけない。身を挺して守ってくれるのも、僕に笑顔を向けてくれるのも、全て護衛騎士だから。

 それ以上のものじゃない。

 期待も勘違いもしちゃいけないんだ。


 「二度も何があったんだ?」


 不意に声をかけられ、僕は出入り口の扉を見る。

 そしてヒッ、と息を呑んだ。

 ディノスが椅子から立ち上がり、片膝をつく。僕も慌てて片膝をついて、頭を垂れた。


「あぁ、そんなに畏まらなくていい。それよりも思ったより広くて寒いな」


 現れたのはアグナル王子と、ウェルス侯爵。

 底抜けに明るい王子の声が倉庫に響き渡る。


「悪いな、急に来て。一度王国全土から集まるという魔石を見てみたかったんだ」


 おかしい。僕は本来休みのはずだ。

 なのになんで王子と鉢合わせるんだ。

 イアン室長やエリノア伯爵はどうしたんだ。

 僕の疑問に答えてくれる人は誰もいなかった。

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