[4]
太陽が地の底へ沈もうとしている頃、ひとみは珍しく一人で見回りをしていた。
担当者が急病で欠勤し、その代わりに倉庫街を任されたのだ。
倉庫街と言っても、うち捨てられたような倉庫がずらりと並んだ陰気な場所ではない。
きちんと区画整備され、人や車両の数も多く、活気にあふれている。雰囲気は市場に近い。
演算都市は学術研究を中核にしているので、その研究成果を輸出する産業は強い一方、製造業は弱い。そのため、外との交流によって必要な物品をまかなっている。
そうした事情から、運輸業には特に力が入っていた。それは物量だけでなく、玄関口としてのセキュリティーや、人や情報の出入り、やりとりの効率化、区画整備や施設維持など、多方面に及んでいる。
特に在庫管理は、人や物の出入りを制限している関係上、特徴的なシステムが敷かれていた。
顕在的・潜在的需給バランスや気象条件、外部の生産・輸送状況など、様々なデータを演算で収集・分析し、無駄な人や物が倉庫に留まらずスムーズに流通するよう、倉庫街そのものがすべての流れを管理しているのだ。
演算都市では、みかん一つであっても、倉庫では廃棄にならないと言われているくらいだ。
(まぁ、だからこそ、あたしに任されたんだろうけど)
ひとみの足取りは、まるで散歩のような軽さだった。
倉庫街は重要な区画で見回りの重要性は極めて高いが、ここには魔人館の分館があり、流通管理課という専門の部署が警備・監視・管理を行っている。演算回りだけでなく、運輸そのもののプロフェッショナル達が、莫大な流通を昼夜を問わず適切に取り仕切っているのだ。
はっきり言えば、都市賦活課の課員が行う見回りなど、形式的なものでしかない。単独行動も試しに体験させてみよう、といった程度で回ってきた任務だろう。
一応、いくつかの倉庫で話を聞いたり、そこにいた流通管理課の課員と話したが、ほとんど世間話――というか、やたらと親戚の子を可愛がるような対応をされた気がする。
(アメとかもらってもなぁ……子供じゃないんだし)
口の中で丸い玉をころりと転がす。ソーダのシンプルな味がなかなか美味だ。
(……失敗。梓先輩とエルデ先輩用に、もう少しもらっておけば良かった)
割と気楽な感じで、指定された倉庫をもう二件ほど見て回り、外灯の光が明るくなり始めた頃、ひとみは魔人館に戻ろうとゲートへ足を向ける。
「……ん?」
ふと、ある一角の外灯が消えているのが目にとまった。
「これは……報告しておいた方がいいかな」
外灯の管理番号を調べようと近づいていく。
――カチャリ。
ひとみは反射的に足を止めた。金属同士が触れあうような音だった。緩んでいた意識に緊張を巡らせ、辺りを探る。
物陰に人影があった。闇に紛れるように丸められた背中が、小さく動いている。
(あれは……)
まるで柱のように立つ影は、見慣れた発光器のシルエットだ。ほっと安堵する。故障を技術者が修理しているのだろう。発光器の故障は大問題だ。
(でも……)
何かが引っかかる。そのモヤモヤを払おうと、ひとみは「あの、」と人影に声をかけた。
瞬間、人影が弾かれたように駆け出した。
(――しまった!!)
ひとみはすぐさま人影を追う。
(やっぱり演算領域に故障の記録が無い……!)
己の迂闊さに、思わず舌を打つ。
魔人館が専用に確保している演算領域には、各部署からの連絡が集約されている。発光器の故障は演算の使用に関わるだけに、賦活課は全員が通知対象だ。
「魔人館都市賦活課です! 止まりなさい!」
人影は止まらない。ひとみは速度をあげるが、通路をあちこち使われて距離が縮まらない。
ひとみは演算領域から周囲のカメラにアクセス。人影の逃走経路を予測する。と同時に流通管理に応援を要請しようと、演算で通信を繋げた。
応答したオペレータに状況を告げるため、人影へより強く注意を向けた瞬間、ひとみは脳裏に浮かんだある可能性に、頭を殴られたような衝撃を受けた。
(こいつ……本当に単独犯なの!?)
あくまで地上を逃走しようとしている――否、そうせざるを得ない演度の人間が、発光器への細工などという、見つかれば即拘束されるような事を一人で行うのか。
(まさか共犯者がいるの!? だとしたら中? それとも外?)
焦りの中で、ひとみはオペレータの催促に、咄嗟に電灯が消えていた事を伝えた。
(今のオペレータが共犯者なら、何か手を打ってくるはず。まずい。ケータイは……ダメ!?)
演算とは別の連絡手段として、魔人館の職員は全員が携帯電話を所持している。だが、都市内では必ず通じるはずの携帯電話が圏外になっていた。
(こうなったらあいつを拘束して、偽の情報でオペレータを混乱させて……あとはどうにかエルデ先輩か梓先輩に連絡を取って助けてもらうしかない!)
ひとみは、右腰に下げたオープン型ポシェットから、スローイングプレートを抜き出した。
梓から教わったのは、本当に基本の基本だけ。何とかまっすぐ飛ばせるくらいだ。
(けど、梓先輩、言ってた。当たる当たらないじゃない。意思表示が最大の武器だって)
ひとみは演算で相手のルートを予測、投擲に適した位置を割り出し、進路を変える。
小さな倉庫を一つ挟んで人影の横手に出たひとみは、金属板を投擲した。直線の軌道で飛んだ金属板は、途中で地面に落ちて甲高い音を立てる。
ほんの一瞬、人影の動きが鈍った。
「今のは警告です!」
ひとみは、声に力を入れて言葉を放つ。
「これ以上は実力行使による拘束の対象となります! 止まりなさい!」
人影は警告を無視し、角を曲がる。ひとみは舌打ちし、次の金属板を引き抜いた。
(大丈夫。距離さえ見誤らなければ……。これ以上は演算光が足りなくなる。一発で決める)
ひとみはぐっと金属板を持つ手に力を込め、角を曲がる。
「えっ!?」
ひとみの前に男が立ちふさがっていた。咄嗟に監視カメラを確認。近辺に他の人影はない。
ひとみは、見せつけるように金属板を構える。
「……発光器に、何をしていたんですか?」
男の口は引き結ばれたまま。ひとみは一歩踏み出す。
刹那、男の背後で淡い光が立ち上った。
(演算光!? ここに発光器なんてないはずなのに!)
驚きに体が硬直した。男が地を蹴って迫ってくる。
「くっ……!」
演算を起動し、強く背後へ跳ぶ。だが、その感触が予想より弱かった。
狙い澄ましたように、男が拳を振るった。かざした腕が衝撃に軋む。ひとみはあえて吹き飛ばされてから着地。
(嘘でしょ……!? 演算光が使えない!?)
混乱の中でひとみは金属板を投げる。しかし、男はつかみ取って手の中で丸めてしまった。
(向こうは演算が使える!? どういう事!? 小型発光器なんてそう簡単に手に入るものじゃ……どうなってるのよ!?)
男がゆっくりと迫ってくる。ひとみは金属板をもう一枚投げつけてきびすを返した。
(今、真正面から戦っても勝てない……! きちんと演算光のある場所まで行かないと――)
ガツン、と後頭部に衝撃が走った。
一瞬、意識に空白ができる。
激しい音を立てて転がる金属のパイプを、ひとみは地面に横たわって見た。
「ぐっ……」
頭が割れたように痛む。ぬるりと耳の辺りが濡れた。
(まず……ぃっ!?)
危機感が意識に登り切るよりも早く、腹部に重い衝撃が来た。
「げほっ……」
一度しか咳き込む事は許されず、巨大な手がひとみの喉を締め付けてきた。体が浮き、指が余計に食い込んでくる。
痛みと苦しみの中、ひとみはかろうじて演算を起動しなおす。監視カメラで見た男は、サングラスをかけていた。唇が引き結ばれ、頬にも動きは無く、機械のようだ。今にもひとみの首を小枝のように折りかねない。
(死んで……たまるか!)
ひとみは、力の入らない腕を持ち上げて、男の手首に空気の塊を叩きつけた。
男の腕が弾かれ、ひとみは放り投げられるように男の拘束から逃れた。
ふらつく体に鞭を打ち、ひとみは暗がりの通路へ身を押し込める。なけなしの気力で演算を起動し、逃走経路を確認。壁に手をつきながら、足を前へ運ぶ。
(早く……逃げなきゃ……)
揺れる意識の中で、ひとみは何とか男の死角を選んで最寄りのゲートへ向かう。
(先輩達に、伝え……なきゃ……)
ひとみの体を動かしているのは、途切れないその思いだった。
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