《演算5》

[1]

 都市でも指折りの高層建築であるホテル。

 そのパーティーホールは、約百人程度とやや小さめではあるが、きらびやかな装飾や見目に映える豪華な料理が、まるで宝石のような輝きを放っていた。

(…………落ち着かない)

 髪をアップにまとめ、肩の出た薄青のドレスをまとった梓は、着飾った人々の輪にうまく混じれず、収まりの悪さをぬぐえずにいた。

(帰りたいけど、勝手に抜け出すなって、父さんに釘刺されちゃったもんなぁ……)

 博覧会の優秀者と都市の有力者、外部の一部関係者を招いたこのパーティーは、演算技術の特許取り扱いやコンサルタント業を営み、運輸業への進出を考える父にとって絶好の機会だ。

 ほとんどこういう場に出席しない梓だが、出るならば立場上、渋々とはいえそれなりの立ち振る舞いを心がけてはいる。しかし、今はエルデとの仲違いが重く心にのしかかっていた。

(エルデ先輩が、あんな事言うなんて……)

 ――あなたが本当に都市の治安を担う責任を理解しているなら、正しい判断ができたはず。

 その言葉は、梓にとって衝撃だった。あれだけ可愛がっている後輩の苦悩よりも、起こるか分からない危機へ備える方が重要だと言い切るなど、思ってもみなかった。

 それだけではない。梓が何よりも大切にしている、「人の笑顔を守れる人になる」という思いすらも、間違っていると言われたのだ。

(わたしが、どれだけその約束を大切にしているか、知ってるはずなのに……)

 暗い気持ちが募った梓は、少し外の空気を吸おうと、ドアへ足を向ける。

「梓さん」

 呼ばれて振り返ると、丸く小さなサングラスをかけ、微笑を浮かべた青年が歩み寄ってくるところだった。細身を白いスーツに包み、長い髪はウェーブをかけて金色に染めている。

 一瞬、誰だか分からなかったが……サングラスに注意が向いているせいだと気づいた。

「お久しぶりです、三上さん。いらしてたんですね」

 引きつりそうになる頬を抑え込み、梓は微笑を向ける。

 パーティーで何度か顔を合わせた事がある。演算都市でいくつもの研究所のスポンサーを務めている、大手広告会社を母体とするグループ会社の御曹司、三上涼人みなみりょうとだ。

「ええ。父のお供で。と言っても、私はおまけのようなものですが」

 そう言う涼人の表情は、サングラスのせいかひどく読みにくい。梓は、一瞬だけ返答に困ったが、小さく微笑を浮かべた。

「おまけだなんて。立派なご子息じゃないですか」

 背中のむずがゆさを堪えながら梓が言うと、涼人は照れくさそうに小さく頭を下げた。

「ありがとうございます。でも、私は演度が低いですから……父にはあまり期待されていないんです。養子を迎えるような考えもあるらしいですし。やはり、演度の高い者が関係者にいた方が、この演算都市では、何かと有利ですからね」

 影のある笑みを浮かべる涼人に、梓はなんと言葉を返したらいいか思いつかなかった。

「いや、申し訳ない。こんな場所で、美しい女性に向ける話題ではありませんでしたね」

「えっと、いや、その……」

「今日もまた、一段と美しいですね。梓さんは。やはり、内面の美しさがにじみ出ているのでしょうね。拝見させていただきましたよ、アーチの一件」

「み、見てらしらんですか……?」

「ええ。一応、あのアーチの制作には父の会社も関わっているので。視察の時、梓さんが柱に飛び込む場面を運良く目にしました」

「そ、そうだったんですか……」

「ええ。驚きました。あそこで躊躇無く飛び込めるとは。後で制作責任者に話を聞きましたが、とても感謝していましたよ。あそこで壊れていたら、もう取り返しがつかなかったと」

「あ、あれは……わたしだけではなくて……エルデ先輩がいてくれたから……」

 梓が恐縮して言うと、涼人は、「かもしれません」と頷きつつも、「それでも」と続けた。

「一番最初に飛び込んだのはあなたです。あなたがあの柱を守ったのは、確かな事実ですよ」

「あ、ありがとうございます……」

 手放しの賞賛に、梓は肩を縮こまらせてしまう。今でも、自分一人では柱を守れなかったと思っているだけに、くすぐったいやら恐れ多いやら、どう受け止めていいか分からなかった。

「それに、従妹も喜んでいました」

「従妹さん……? アーチの制作に関わっていらしたんですか?」

「ああ、いえ、先日、テニスの模擬試合をしていただいた女生徒ですよ。応援してもらっているみたいだった、と」

「ああ、あの子の。でも、わたしはただ試合をしただけですし……」

「いえいえ。ずっと演算都市暮らしのあの子は、演算無しの試合は初めてですからね。ただ気にかけてくれた事が、何より嬉しかったんだと思います」

「はぁ……でも、別にわたしは何もしてないと思いますが……」

「そんな事はありませんよ。梓さんの行動には、応援の気持ちが、自然と表れていたのでしょう。あの子は試合の事を楽しそうに話していただけなので、私の思い込みかもしれませんが」

 微笑を深める涼人に、梓は、「ありがとうございます」と自然にほほえみを返していた。

(わたしのした事、無駄じゃなかったんだ……)

 そう安堵すると同時に、エルデに無性に会いたくなった。

(話がしたいな……きちんと)

 あの試合の日以降、仕事で必要な会話以外、一言も話していない。

(エルデ先輩のまっすぐなところ、いつも見習わなくちゃって思ってたのに……肝心の時にこれだもんなぁ)

 これでは、エルデに言葉が届くはずがない。

「すみません、わたし、ちょっと――」

 急用を思い出した、と言い終える前に、涼人が、ぽつりと呟いた。

「本当に、あの子もあなたも、輝いていて……私も……になれば……」

「え?」

 最後の方がうまく聞き取れず、梓は目を瞬かせる。

(聖人……って言った?)

 何かを堪えるように震える声で呟かれた、都市伝説と同じ言葉。梓は怪訝な思いを隠せず、まじまじと涼人を見てしまう。

 それに気づいた涼人が、「どうかしましたか?」と問いかけてくる。

「あ、いや……」

「そういえば、何か言いかけてませんでしたか?」

 梓はパーティーを抜け出そうとしていた事を思い出し、言い訳を口にしようとしたが――

「ひったくりよ!」

 どこからか上がるそんな声に、会場が一気にざわめく。警備員やスタッフが慌てて沈静化に動くが、かえって混乱は深まるばかりだ。

「梓さん、こちらへ――」

 涼人が手を取って梓を避難させようとする。だが、梓はそれをすり抜けて前に出た。

 背後を気にしながら、小走りでドアに向かう男性スタッフと目が合う。

「梓さん!?」

 涼人の声と同時に、男性スタッフ――ひったくり犯が、飛びかかってきた。

 梓はステップを踏むようにその手をするりとかわし、勢いをそのまま利用して、ひったくり犯を投げ飛ばした。

「なっ……!?」

 驚きに声をつまらせるひったくり犯の指をひねりあげ、抵抗の意思を根こそぎ奪う。

 我に返った警備員が慌てて駆け寄ってきた。青年を引き渡しつつ、梓は内心で頭を抱えた。

(ああ、失敗した……)

 会場中から向けられる好奇と賞賛の視線。エルデに会いに行くのは、無理そうだった。

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