第4章 紳士と恥を呑む女
身を削る龍神
「珍しい、風の吹き回しだな。メル」
――――関係はないが、そういえば両津の奴はバイクの免許を持っていて、土日は気儘にツーリングへ行くのが趣味だと話していた。
なんでも、風を切って進む涼やかさが、爽快感が堪らないらしい。経済状況的にそんなブルジョワな趣味を嗜めない俺には、縁遠い話だと思っていたが……成程、確かにこれは痛快だ。俺たちを振り落とさない程度に、しかししっかりと速度は確保してうねり飛ぶ龍の、その背で受ける風はなんとも心地いい。汗もすっかり乾いてしまって、再びボタンを締めた法衣にはちょうどいい涼しさだ。
まぁ、だからこんな言い回しをした訳では決してないのだけど。
牛乳の龍に揺られ、地上数百メートルを飛行しながら、俺は背中を向けるメルへ話しかけた。
「? なにが?」
「おまえが、人助けのために動いてることだよ。……異世界転移も、悪いことばかりじゃなかったかもな。少しは肩の力が抜けたかよ、メル」
「…………」
わずかに振り返ったメルはしかし、にかりと歯を剥く俺を一瞥すると、すぐまた前へと向き直ってしまった。
ウィンプルと白い髪とで、耳が見えない背後からじゃ、照れているのかも判然としない。
「……人助け、ね……」
「なんだよ、悪いことじゃねぇだろ? むしろ立派なことだ。そりゃまぁ、最初は違和感だったけどさ、人間大嫌いなメルが、人間のために魔王を倒すなんて言い出したのは……けどさ、こんな全力で臨んでんなら、きっと本気なんだろうなって、俺は思ったんだが……違ったか? 違ったとしても立派だけどな。妙な能力を持たされたって、誰もができるってことじゃあないだろ?」
「…………買い被り過ぎ、だよ。本当……センちゃんは、あたしに夢見過ぎ……」
微かに雲を割って、眼下の平原を眺めながらの蛇行運転。
レイニエル村からはもうだいぶ離れ、開墾も舗装もされていない草原の上を代わり映えなく飛んでいる中、メルは、石にでもされたかのように前ばかり向いていた。
まるで、顔を俺には見られたくないかのように。
……強引に見ることだってできたけど、ここは地上数百mだ。異能があったとしても、落ちて無事とは限らない。これ以上、メルの手を煩わせるのは気が引けた。
「……そんな綺麗な理由じゃないよ。あたしのは、単なる義務感」
センちゃんとは、全然違う。
――――それこそ頷きがたい言葉を添えて、メルはぼそりと呟いた。
「勇者が、魔王に殺されて死んだっていうなら、……多分、その代わりをこなすのが、あたしたちの役目でしょう? だったら、さっさとこなすべきってだけだよ。村を出る前だって言ったでしょう?」
「…………仮に、仮に俺らが、この異世界に来させられた理由がそれだとして、だ」
つくづく、感心する。幼馴染みでよぉく知っているはずの、この娘の思考の速さに。
俺の腰に括りつけられた今も、絶賛気絶中、できればそのまま起きないでほしいくらいの創造神サマに聞かされなかったら、俺はそこまでの確信は持てなかった。……だからこそ、腹を決めてもなお胸の奥にチクリと刺さる、棘のような我儘が口を開く。
「別に……律義に世界側の、身勝手な都合に合わせてやる義理はないだろう? なのに随分と前向きで前のめり……いいことだとは思うが、メルらしくないとも思っちまう」
「……それ、は……」
「…………――――んっ?」
と。
ついつい詰問のようになってしまい、メルの可愛らしい声を潰してしまったことが気まずくて、目を少し逸らした、その時だった。
いつの間にか雲の湿り気を脱して、陰りのない視界が広がる平原に。
明らかに人の手で削り形成された、3つの石塔と。
そこにしゃがみ込む、フードの人物が目に入った。
「……? どうか、した? センちゃん」
「メル、そこ……人、いるよな? ……あんなところでなにやってんだ……? それに、あの石塔……石碑? なんだ? よく分からんが……」
「気になる、ってこと? ……いいんじゃないかな。村ももう見えてるし、歩いても行ける距離だと思う。一旦、ここで降りよっか」
言われて前を見れば、確かにそう遠くない位置に、村の入口であろうデカい門が見える。距離感がややバグってる自覚はあるが、それでも精々が4~5kmってところだろう。1時間も歩けば辿り着く距離だ。
逆に、村から1時間も歩かなければ辿り着かない場所に。
妙なものがあること、誰かがいることを、無視するのが得策には思えなかった。
「――――っていうか、ごめん。センちゃん」
が。
――――がくんっ、と尻が宙へと投げ出されて、俺は咄嗟に鱗を掴みながら、その謝罪を聞いた。
「っ、ぃ、おぉっ!? あ、あれっ!? こ、この龍、こんな短かったか!?」
「……ミルク、道中ずっと零してたみたい……。その、大変にごめんなさいなんだけど……もう形保つのも限界で……助けて……?」
「もっと早く言えよそういうのはよぉっ!!」
洋画さながらに、今にも墜落しそうな龍の頭にしがみつきながら、俺は断面図と化したそこへ口をつけ、思い切り吸った。
――――やはり、牛乳とは違う味わい。甘くて、ほっとする味。仄かに温かくて、鼻腔に広がる独特な香りはどこか癖になる心地よさがある。
ともあれ、これで条件は満たした。
右腕を曲げる。鱗にぶら下がるのが精一杯だった身体を、腕は軽々と持ち上げ投げ飛ばして、両手を広げたメルの元へと容易く辿り着かせた。
「…………今更だけど、照れるね、これ」
「余裕だなおまえ……俺今結構気が気じゃないんだからなぁっ!?」
精一杯主張しながら、俺は崩れゆく龍の頭部から飛び降りる。
メルの矮躯を、お姫様抱っこの形で抱えながら。
首に腕を回させてはいるが、落としやしないか。着地の時に転んで怪我をさせやしないか。そもそも落下のGは大丈夫なのか。危惧すべき事項がぐるぐると回って、落下の最中すら気もそぞろだった。
だから、つい、うっかり。
「――――――――っつぁっ!!」
「いっ!? ……き、きみたち……今、空、から……?」
地響きを起こして着地しても、脚は痺れない。だが代わりに鼓膜を震わせる声があった。
それも、すぐ近くに。
生憎……フードの人物から上手いこと距離を取って降りるだなんて器用な調整、我ながら心配性な俺には到底できない芸当なのだった。
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