僻地の石塔
立ち上がり、一歩後退り、胸の前で両手を合わせるフードの人物は。
目深に被ったそれの所為で顔かたちこそ分からなかったが、声の低さが明らかに男性のそれだった。フードからはみ出すほどに長い金髪をしていたので、最初は女性を無闇に怖がらせてしまったかと肝が冷えたが……いや冷静に考えたら男相手でもダメか。
地上数百mから、生身での落下を決める場面を目撃させるのは。
元の世界だったら確実に動画録られて拡散されてたな……スマホがない世界でよかった。ご都合ファンタジー世界万歳だ。
「えっと…………えぇ? 空……空、だよね? 僕の見間違いじゃあ、ない、よね……?」
「あっはははははえーっとですねあのその――――すみませんねぇ驚かせちゃって。ちょいとその、あれだ、飛行魔法の練習をですね……」
「飛行、魔法……そんな最上級魔法、使える人間は世界に10人もいないはずだけど……」
言い訳を試みたが、知らない裏設定開示されて一気に詰んだんだが。
嘘だろ? 空を飛ぶって魔法の基本じゃねぇの? 古今東西魔法使いって箒で空飛ぶものだろ? なんでこの世界そうじゃねぇんだよ、どういう引っかけだよおいこの偶蹄目!
くっそ、暢気に気絶しやがって……起きたらまた気絶するくらい殴ってやろうか……!
「その10人未満のひとりなの、この神父様は。凄いでしょ?」
と。
ひょい、と俺の腕から軽く飛び降りたメルは、酷く堂々と、真顔で大嘘を吐いて俺を指差してきた。
「ちょ、お、おいメル……!」
「まだ練習中だから、急に落ちることもあるけれど。……それより、たまたま見えたから好奇心で訊いてみたいのだけど――――この、お墓、なに?」
言って。
メルは、俺たちの3倍はあるだろう大きな石の……なんだ? 石板? それよりやっぱり石碑が近いのか? ……なにやら文字の書いてある、角を丸く削られた平たい石の塔が3つ並んでいるそれを親指で指して、フードの男に不躾に訊いた。
墓……言われてみれば、確かにそう見える。
書かれている文字はさっぱり読めないけど……でも、明らかに造られたのはつい最近だ。傷も汚れも、風化も少ない。
……ということ、は――
「なにって……っははは。きみたち、さてはかなりの遠くから来たのかい? 旅をしている神父にシスターなんて珍しいけど……この墓が誰のか知らないなんて、少なくともこの近辺の人間じゃあない。……大方、この先のレーウェンフック村に用があるんだろう? その道中で落っこちったってところか……うん、大分事情が呑み込めたや。安心した」
「……す、すみません。無闇に不安にさせてしまって……」
「いいよ、気にしないで? ……その分じゃ、これのことも知らないか。せっかくの縁だ、あげるよ。魔除けのアミュレットだ。レーウェンフック村の通行証も兼ねている。これがないと、門に張ってある結界に弾かれちゃうんだ。……ここは魔界も近いし、仕方のない措置だよね」
言いながら、フードの男性は涙の形をした、紫色の宝石をふたつ、俺たちへと差し出してきた。
「っ、い、いいんですか? 大分ありがたいですし助かりますけど、でも……」
「あぁ、気にしないで。どうせ余り物だし……処分できるなら、僕にとってもありがたい」
「――――お礼は言うよ、ありがとう。けど、あたしの質問に答えてもらってない」
やけに刺々しく……いや、俺以外に対する時はいつもこんな感じだけど。
メルは、俺が仲介したアミュレットを奪うように握りながら、フードの男性を睨みつけた。
「この墓はなんなの? そして、あなたはここでなにをしていたの?」
「……メル、せっかく親切にしてもらってるんだから、少しは態度を――」
「あはは……いいよ、構わない。確かに、質問に答えるのが遅くなっていたね。非礼を詫びるよ、レディ。……これはね、勇者の墓だよ」
あぁ、それとあと。
殺された剣士とシーフ……パーティメンバーふたりのね。
――――予想通りの答えが返ってきて、俺は思わず言葉を失う。
勇者と、その仲間たちの墓という存在が、ショッキングだったから――――じゃない。言いづらそうに答えたフードの男性に、申し訳なかったからでもない。
おかしいと、疑問を覚えたからだ。
だって、勇者のパーティメンバーって確か――
「彼らは……勇者たちは、魔王によって致命傷を負った。這う這うの体で逃げてはきたけれど、結局力尽きて……そんな彼らの身体には、魔王の強い魔力がこびりついて残っていたんだよ。それは魔族を誘き寄せてしまう性質を持っていてね……村人たちは、墓をこんな場所に造らざるを得なかった。ははは……世界を守るために戦ったっていうのに、あんまりな仕打ちだろう? せめて供養くらいしなくっちゃ、可哀想じゃないか」
寂しげに笑うフードの男性の言葉は、確かに、強く強く頷けるものだった。
村人の気持ちも分かる。なんの力もない彼らが、魔族に襲われたらひとたまりもないのだって理解できる。けど……だからってこんな、村から何kmも離れた場所に、ぽつんと建てられたところで……こんな敬虔な人くらいしか、お参りにも来やしない――
「それだけ?」
――と。
こちらの肝へドライアイスでも押し当てるかのように、メルが、鋭く声を発した。
「……それだけ、って、なにかな? レディ」
「あなたの、墓に手を合わせる姿。上空から見てた。……随分、必死に見えたけど」
「……………………」
「ねぇ。……勇者たちへの、同情だけ? 本当に?」
「…………はは、はは……気の所為、じゃないかな。ほら、距離があると細かくは見えなくなるだろう?」
そう言って、フードの男性は。
ふわりと羽織ったローブを靡かせ、踵を返して背中を向けた。
「或いは……気を張っていたから、かな。ここまで結界から離れると、アミュレットを持っていても襲ってくる魔族はいる。……きみたちも、道中気を付けて。僕は身の安全のためにもそろそろ帰らせてもらうけど…………ご一緒する気はないんだろう? レディ」
「……へぇ。随分、女心に詳しいみたいね」
「…………やめてよ、こそばゆいな」
そう言うと――――元から早足なのか、それともやっぱり気を悪くしていたのか。
フードの男性はすたすたすたすた、足早に俺たちの前から去ってしまった。……背中はいつまでも見えているけれど、それが豆粒ほどのサイズになるのに、そこまでの時間はかからなかった。
――――さすがに、これはアウトだろ。
「はぁ……おいメル。今のは失礼が過ぎただろ、せっかく色々教えてもらえたし、通行手形みたいなアミュレットだって貰えたんだぞ? ったく……おまえの人間嫌いには共感するけど、この世界の人間はまた別だろうよ。いい人だったじゃねぇか今の人。……レイニエル村だとあんな親切だったのに……もしレーウェンフック村であの人にまた会えたら、ちゃんと謝って――」
「いい人、ねぇ……そうだ、ね」
説教か、それとも俺の評価か。
どちらが気に喰わないのか、メルは目を伏せ歯軋りを鳴らしながら、吐き捨てるように言った。
「通行手形のアミュレット、都合よく、自分以外の分をふたつ、持っていた親切ないい人、ね…………」
「……? メル、おまえなにを怪しんでんだ?」
「さて、ね……けど、臭うんだよね。単なる勘だけど」
「……まぁ、妙な点はあるけどさぁ」
一気に憂鬱の度合いが上がって、溜息を吐きながら俺は背の高い墓石を見上げる。
……メルが勘づいている点を、俺はまだ分からない。ただ鬱々たることに、こういう時のメルの勘は、大体当たるんだ。……恩人を疑いたくはないが、でもひとつ。
聞きそびれたことはある。あの親切なフードの男性が、説明してくれなかったことがある。
――『勇者たち4人は』
――『最期の力で人里……ここから50kmほど離れた、レーウェンフック村へと』
――『転移魔法でワープして……そこで、力尽きたと聞いています』
「……なんで、墓は3つしかないんだ……?」
勇者、剣士、そしてシーフ。
ならばじゃあ、残りのひとり。
魔法使いだというリナ・ボルタネスは、一体どうなったのか――――不自然なほどの説明の欠如を、訊かなかった俺は改めて頭の回転が遅いと、溜息混じりに自嘲せずにはいられなかった。
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