※精霊は本場イギリスでは基本邪悪なものです
――『よく、分かんない。自分でも』
もう随分前、この異世界へ転移する直前と同じ屋上で、メルの奴はそう呟いていた。
断っとくが、嫌味のつもりで言ったんじゃない。説教なんて偉そうなことをするつもりもなかった。ただ俺は、その理不尽が我慢ならなくて、つい口を衝いて言ってしまっただけなのだ。
――ったく、なんでいきなり椅子と机で殴りにかかるかね。
――あんな猿が何匹死のうと知ったこっちゃないが、悪者になるのはおまえだぞ?
――『分かってるよ、今は。けど……頭に、血が上ってた。黙るならなんでもよかった』
……理想やお題目とは乖離してても、現実と経験から導き出されたその結論はひたすらに正しくて、だから俺は、それ以上なにも言えなかった。水道水でびちゃびちゃに濡れた、真っ白な髪を乾かすことにだけ腐心した。
人間の行動全てに、明確な理由なんかない。後から振り返ってみた時に、あれこれ理屈をつけられるだけだ。あの時のメルにとって、雌猿共を凶器で殴りつけるのは、これ以上ない最適解だったのだろう。その時その瞬間には、理由も理屈も分からなくても。
――――だから、今。
「っ……!?」
「えっ……? し、神父、様……!?」
今、この時、この瞬間、理由も理屈も分からないけれど。
崩れてきた家を、左腕1本で支えられてしまっているこの現状は。
間違いなく、今の俺にとっての最適解――
「っ――――ぼーっとしてんじゃねぇっ!! 早く立てっ!! そして逃げろっ!! あくまで倒れるのを支えてるだけだ、このままだと、壁から崩れて生き埋めになるぞっ!!」
「っ、は、はいぃっ!」
子供たちが信じられない、化物でも見るかのような目をしながら散り散りになって走っていく。
……安心しろ、一番信じられてねぇのは他ならぬ俺だ。
全容を把握している訳じゃないが、腐っても燃やされても家屋だ。重さは当然トン単位だろう。それを何故だか、左手ひとつで支えられているし、なんなら押し戻したり投げ上げたりだってできそうだ。
尋常ならざる怪力……まさか、これが――
「あの、糞アロハ……創造神が俺に寄越した、異能、なのか……!?」
「っ、せ、センちゃんっ!!」
はっと、甲高い声で我に返る。気付けば自分で予告した通り、壁が重力に耐えかねてぽろぽろぽろぽろ、クッキーみたいに崩れてきていた。
子供たちを怒鳴って逃がしておきながら、自分は生き埋めになりましたなんて洒落にもならない。
「っ――――近付くなよぉっ!? ちょっとばかし危ねぇぞぉっ!!」
警告から、待てたのは2秒、それが限界だった。
俺は、手首のスナップで家を数m、ぐゎんと上へと投げ上げて。
その隙に、後ろへと跳び退いた――――ほんの1歩のつもりだったのに、バカみたいな速度を出した跳躍は優に10m以上は俺の身体を飛ばしていた。
――――重々しい音を立てて、家が崩れ落ちる。端から崩壊し、新たな瓦礫の山と化す。
「ふ、ぅ…………皆さんっ! 周囲を確認してっ! いなくなっている方などはいませんかっ!? 今の倒壊と瓦礫に巻き込まれた人がいないか、周りをよく見てくださいっ!!」
――――即座に神父の皮を被り直して、尻餅をつきながら辺り一帯へ声を投げる。
村民たちはわずかに騒めいているが……大きな騒ぎにはなっていない。どうやら、誰も巻き込まずに事態を収束できたようだ。溜息混じりに、胸を撫で下ろす。
「センちゃんっ! センちゃぁんっ!!」
いつもより上擦って、ぜぇぜぇと苦しげな息を混ぜ合わせた声を吐くメルの声は、しかしなかなか近づいてはこなかった。歩くのと大して変わらない速度で走る彼女は、俺がゆっくり立ち上がるまでたっぷり時間をかけて、激しく肩で息をしながら近づいてきた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……だ、大丈、夫……!?」
「……全面的にこっちの台詞だよ。疲れ過ぎだろ、おまえ……転んでたけど、怪我してないか? 膝とか擦り剥いたり――」
「どっ、どうでも、いい、でしょ、い、ま、そんな、こと……っ!! はぁっ、はぁっ、はぁっ――――はぁ~あぁ…………よかったぁ……ひ、ぐっ、えぐっ、ふぐぅ……っ、よ、よかった、よかったよぉ…………!」
「うおっ!? ちょ、泣くな泣くな! なに泣いてんだよおまえいきなりさぁっ!!」
へなへなと座り込んだと思ったら、決壊したかのように泣き出しやがったメル。
村民たちの視線が、一斉にこちらへ向く。おいおい勘弁してくれ、俺が泣かせたみたいな構図になっちまうじゃねぇかよ。こちとらよく分かんないけど取り敢えず善行を為したところだぞしかも結構派手な。
「だ、だっ、て……ひぐっ、ふぐっ…………あ、あたしの、異能の、ミルク、間に、合わなくて……量、足んなくて……せ、センちゃんが、潰れて、死んじゃうかもって……!」
「あーもう分かった分かったよしよし怖かったんだな! 大丈夫、大丈夫だから! 見てたろ? 分かったろ? ……なんかよく分かんないけど、俺にも異能があったんだよ。だから見ての通り無事! 巻き添えもいない! 全員怪我なく平穏無事だ! 最高の成果だろ? ……あぁもう、だから泣くなっておまえは本当にもう――」
「――――モッフッフッフ……いいねぇ、素晴らしい勇者メンタルだモフ」
子供みたいにわんわん泣き喚くメルを、懸命に抱き締めて宥める、その最中。
……鼓膜が腐るような、不愉快な声が聞こえた。
「自分より他者を慮るその心意気――――能力的な素質は最底辺モフが、精神性は及第点モフねぇ。それに機転も利くモフ。まさか【《
「えっ……? な、なに、この声……? だ、誰……どこから――」
「モッフッフッフ――――ここモフよ、ここ、ここ、こーこーっ!!」
中年のおっさんが無理して裏声を引き摺り出しているかのような、鳥肌がさっきから服の内で収まらない
響いていること自体がおふざけの極致みたいな声と共に、がたがたと、メルの持っているポットが揺れ動いた。異能を操る牛乳入れ『ダヌヴァンタリ』――――まるで踊るように手の中で暴れたそれの、丸く開いた口から。
ぎゅぽんっ、と、丸々としたボールみたいな乳牛に、下手くそな羽が生えたなにかが飛び出てきた。
「……………………」
「へっ? ふぇっ? な、なに、なにこれ、なにこの…………絶妙にブサ……可愛くない奴……」
「失礼モフねぇ。オレ様は迷える子羊たるオマエたちに、必要な知識を授けてやるためにわざわざ遣わされてやったミルクの精霊モフよ? 名前はニューデルというモフ。気軽に『ニューデル様』と呼ぶがいいモフ」
ふよふよふよふよ、蛾か蚊柱の如く目の前でケツを向けてくる、3歳児が画用紙に描き殴ったようなデザインのホルスタインフェアリー(仮)に……俺は最早、苛立ちさえ覚えなくなっていた。
無である。
取り敢えず近場にハサミがないか見回してみたが……残念ながら、木片程度しか落ちていなかった。……叩いたらスライムみたいに飛び散ってくんねぇかなぁ、こいつ。
「せ、精霊……? じゃ、じゃあ! 知ってるの? あたしや……センちゃんの、異能のこと……!」
「当たり前モフ! まず笛吹メルヒェン、オマエの【
「……しょぼくないし。センちゃん、凄かったし……」
「いやいやぁ、異能の格としては【
「なんでって、それは、だって……ミルク、足りなくて――」
「足りなければ足すだけモフよ。簡単モフ? もう知ってるモフよね? ミルクを補充するには、おまえのその大きなおっ――」
「――――――――ふんっ!!」
うおぉっ!?
……なにやら話し込んでたし、触れるのが嫌なんで傍観していたんだけど……今、メルの奴殴ったよな? 仮にもマスコット的な妖精キャラクターを、陶器製のポットで思いっ切り地面へと殴りつけたよな?
…………見間違いじゃなければ、大地にめり込んでねぇか? こいつ。
余程の失言をしたんだろうなぁ。うん、まぁだろうな。昨日もそうだったし。根本的に人心ってものが分からねぇんだ、こいつは。この糞アロハは。
「……えっと、メル――」
「ごめんねセンちゃんっ!! ちょっとこいつと話つけて――――じゃなくてっ! ちょーっとお話ししてくるからさっ!! 少し外すねっ!! ついては来ないでねっ!? 来たらセンちゃんといえどもぶん殴るからねっ!?」
「お、おぉ……気を付けてな?」
ミルクの妖精ニューデルを名乗る怪しげなマスコットを片手に……片手に? あれは『片手に』カウントでいいのか? 明らかに握力の限りを尽くして頭部を潰しているが…………いやまぁ、いいか。別に気遣ってやる義理ないし。
本人談『しょぼい』とはいえ、異能をくれたのは事実だけど。
「……あくまで助言ならありってスタンスなのかねぇ……? 神サマの美学って奴は、いまいちよく分かんねぇなぁ……都合がいいっつーかなんつーか……」
ぼりぼり頭を掻きながら、1個だけ心配事を抱えて立ち上がる。
昨夜、夢だか深層意識だかではいくら殴っても血は出なかったし。
あの自称妖精な不細工の姿に血が通っているのか、正直興味すらないけど――――メルの真っ白な服が、髪が、肌が、ニューデルこと糞アロハこと、創造神ネーデルの汚い返り血で汚れやしないかだけ、気になってメルが消えた方角から目をなかなか離せなかった。
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