聖乳の修道女
嫌味なくらいに明るいが暑くはない、降り注ぐ陽射しに照らされた村の有様は、所詮他人な俺ですら眼を覆いたくなるような惨状だった。
燃え落ちた家屋が黒と茶の塊になって堆積し、生き残った家も土台が欠けてしまったのか、風が吹くだけでぐらぐら揺れるものも珍しくない。地面は煤で真っ黒に染まり、踏んでも踏んでも靴裏だけじゃ掃除し切れない。
一体なにからどうすればいいのやら、被災地へのボランティアをテレビで見るだけだった俺にはさっぱり分からなかった、けど。
「――――よっ、とぉ!」
歴史の教科書でしか見たことのなかった天秤棒に、肩の限界まで焼け焦げた柱を乗せて、ゆっくりと膝を伸ばす。一時間も続けていればすっかり慣れてしまうバランス感覚、骨まで棒が喰い込むのを感じながら、デカ過ぎる炭たちを村の端へ運んでいく。
メルは【
――――慣れて、しまっているのだろう。村が全壊する程度の事態には。
まずは邪魔な瓦礫や残骸を片付けて、家を解体するスペースを作る。燃え落ちた家たちは、炊き出しへ焚べる薪にする。男たちは力仕事に精を出し、女たちは食糧庫から生き残りを救出して鍋を掻き回す。
誰が指示を出すまでもなく、自然と作業は始まっていた。滞りなく進行していって、むしろ俺たちへの指示出しこそが一番の手間のようにさえ見えた。
「よい、しょっとぉっ! ふぅ……」
「あらぁ、センリ神父様。こんなにいっぱい……すみません、村を救ってくださった英雄様なのに、雑用までさせてしまって……」
香ばしい匂いを漂わせ、鍋いっぱいのスープを掻き混ぜている女性がそう言って頭を下げる。
「はぁ、はぁ……いえ、困っている方々を、見過ごせは、しません、ので……とはいえ、さすがにそろそろ、休憩の頃合いかと思いますが……」
「えぇ、ちょうどスープもいい具合です。具材の少ない貧相なもので申し訳ありませんが……ですが、聖女様、シスター・メル様のお陰で、早晩その問題も解決するでしょう。あのお方は、本当に凄い魔法使いなのですね……娘、リナよりずっと、凄いかもしれません……」
「…………」
「……センリ神父様は、魔法をお使いにならないので?」
「あぁ……生憎、不得手なものでして。俺も、彼女には助けられていますよ」
気丈なものだ。娘が殺されているかもしれないっていうのに。
……俺は、この人ほど上手く誤魔化せていただろうか。正直なところ、額の汗は半分ほどが労働の結晶で、もう半分は焦りの脂汗だった。
メルの異能【
『
『
『
村中どこからでも引っ張り蛸。あっちへこっちへとてとて走るメルは、明らかに疲弊を滲ませていたが、それでも辛うじて笑顔を保っていた。……なんだかんだ、頼られるのは嬉しいのだろうか。それはそれでまぁ、悪くはないのだけど。
――――問題は、俺の方。
――『ぐぅっ……オマエは素質ない方だから大した能力目醒めねぇけど』
――『どっ、どんな能力が目醒めても……怨むなよっ!? 素質の問題なんだからなっ!?』
……昨夜、創造神を名乗る糞アロハは確かにそう言った。直後に脳が弄られるような不快感が走って、それで目が醒めた。担がれたんじゃなければ、俺にもメルのような異能力が、なにかしら宿っているはずなのだ。
なのに未だ、その兆しすら見えもしなくて。
「…………」
聖女様聖女様と、気安くメルを呼んでいる村人たちを睨みそうになるのを、辛うじて堪える。八つ当たりでしかないからだ。そんなみっともない真似はしたくなかった。
俺に、ちゃんと異能が目覚めれば。その自覚さえあれば。
メルにああも忙しく、東奔西走させることもなかったのに。
あぁ――――腹立たしい。肝心な時に役に立たない、俺自身が怨めしい。
「…………、ん?」
と。
じくじく痛む腰を叩きながら背を逸らしている最中、ちらちらと、メルがこちらへ視線をやっていることに気がついた。
……こういう時は大抵、助けてほしいってサインなんだが…………よく見れば、『ダヌヴァンタリ』を片手でふりふり左右へ揺らしている。それも随分軽そうに。
あー……成程。牛乳が切れそうなのか。
なのに仕事は引っ切り無しだから、言い出す機会を逸してる訳だ。……まぁ、異世界に来たらいきなりコミュニケーション能力が上がる訳ではない。あれだけ熱烈に求められちゃ、断ることもしづらいだろうさ。
「ったく、仕方ねぇなぁ」
天秤棒を地面へ放って、俺は小走りでメルの方へ駆けていった。
地面は未だに煤で真っ黒。子供たちでさえ瓦礫拾いに駆り出されて、ぐらつく家々が不安定な影を落としている。
「メル――」
と。
それは、俺とメルの目に、まったくの同時に映り込んできた。
鼓膜を殴りつけるような、一陣の突風。服や髪を揺らす程度で済むはずだったそれは、今この瞬間においてだけは、忌むべき最悪の災害だった。
「っ!!」「っ!?」
「――――えっ?」
麻袋を手に、細かい瓦礫を拾い集めていた子供たちの、その頭上へ。
2階建ての家が、ぐらりと、バランスを崩して。
歪な悲鳴を上げながら、倒れてきたのだ。
「ひ、ぃ――」
「立てっ!! 走れ今すぐっ!!」
叫びながら、俺も同時に走る。小走りなんて冗談じゃない、全速力より更に上でだ。
迫り来る危機に、理性はあまりに脆弱だ。子供たちはぽかんと見上げるばかりで、立つことすら儘ならない。周囲の大人たちも固まって動けない。
せめて、せめて蹴り飛ばすなり突き飛ばすなりして。
家の倒壊にさえ巻き込まれなければ――――俺、俺は、最悪、メルの異能で治してもらえば――――
――――――――また?
「っ……!」
一瞬、迷いが出た。速度が刹那、わずかに緩んだ。
そうやってまた、あいつの、メルの異能を当てにするのか? 望んでもいないのに、魔王を倒すなんて重荷を背負わされて異能を押しつけられた、あのメルに。可哀想なメルに。
そうしたくないから、俺は、あの創造神を恐喝したんじゃないのか?
なのに――――なのに――――
「っ、センちゃ――――きゃうっ!!」
「メ――――わぷっ!?」
間の抜けた悲鳴に顔を上げると、一瞬、視界は黄色がかった白に染め上げられた。
俺と同じように走り出していたメルが、疲れで脚を縺れさせたのか、派手に素っ転んだのだ。その拍子にポットの中の牛乳が零れて、俺の顔にぶっかかった。
幸いだったのは、メルの転んだ位置は、家の横幅にわずかに足りない場所で。
あと2秒もあれば倒壊する家屋に押し潰されることはない――――俺と、違って。
「っ、し、神父様ぁっ!!」
「――――」
奇妙、だった。
俺は、牛乳が嫌いだ。あの独特な臭いが、風味が、喉にへばりついて鼻まで突き抜けてくるあの生臭さが、どうしても好きになれない。ミルクティーもミルクキャンディも、フレンチトーストですら作り方によっては手を付けられない。
なのに、それは。
顔にぶちまけられて、口に入ってきた白い液体は。
やけに甘くて、落ち着く味で、美味しくて――――こくり、嚥下するその最中、視界の上端で。
「う、うわぁああああああああああああああああああっ!!」
俺も子供たちも、まとめて圧死させるのに十分な質量を持った木造家屋が。
ミシミシミシミシ、悲鳴を奏でながら落ちてきて――――
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