第3章 不尽の異能使い

乙女の隠し事

「――――――――――――――――――――――――うあぁっ!!」




 ……悪夢を見たことはある。それで飛び起きたことだってある。


 それでも、悲鳴を上げながら咄嗟に起き上がるなんて経験は、さすがに初めてだった。いつの間にかベッドへ真っ直ぐ、姿勢を正して眠っていた俺は、右側から差し込んでくる陽光がやけにキラキラしているのを見て、眼にまで垂れるほどの汗を掻いていることに気がついた。



 動悸が酷い。呼吸がしんどい。ぜーぜーと声を上げて息をするのなんて、体育で陸上競技をした時以来だ。




 ――――原因は、はっきりしている。眠っている間の、あの邂逅だ。



 明瞭に憶えている。創造神だとかいうあの軽佻浮薄な、チャラ男の色見本として辞書に載っていそうなアロハの糞野郎……あいつのお陰……いや、所為、お陰……まぁ、いい。どちらでもいい。感謝してやる謂れなんかないのだから。



 散々に恐喝して暴行して、もぎ取ってやった異能の力。




「…………?」




 ……別段、なにか変わった様子はないけれど。



 けど、確かに奇妙な感覚はあった。脳を直接弄られたような、人生でも五指に入るレベルの不快感。……多分、あの糞神サマは異能を俺へ与えたはずだ。




 そう思うと、少し安堵する。




 これで、メルから重荷を少しは減らせる。魔王退治なんて物騒なこと、あいつがやってやる筋合いはないんだ。村人を助けて感謝されて……その程度でいいじゃないか。あいつのやることなんて。




 差別どころじゃないこの世界で。



 平穏無事に暮らせれば、それでいい――――





「っ――――め、メルっ、あのっ、これは――」




 そこまで考えて、ようやく気がついた。声がしないから気がつかなかった。



 脂汗を掻いて、荒い呼吸をして、四つん這いになって苦しげにしている姿なんて。



 メルに、見せる訳にはいかない。ただでさえ理不尽に異世界へ転移させられて、訳の分からない異能を手にさせられて、不安でいっぱいだろうメルに対して、これ以上無用な危惧を抱かせる訳には――





「――――あれ?」




 隣のベッドへ咄嗟に目を向けたが、そこにメルはいなかった。



 向かいのふたつのベッドにも、同じく。そもそも部屋の中自体に、俺しか人間はいなかった。マジでベッドくらいしかないこの部屋に、隠れるスペースなんか存在しないし。




「……先に起きて、トイレにでも行ったか……? ふぅ……ならまぁ、よかったか……」




 ひと安心しながら汗を拭い、座り直して呼吸を落ち着かせていく。




 ……メルの奴、ちゃんと眠れたかな。



 俺があの糞アロハとごちゃごちゃ話している間、少しでも疲れを癒せているといいんだけど……俺みたいに変な夢を見て、魘されていなければいいのだが……。



 ……顔洗いに行ったかトイレの二択なんだろうけど、それすら心配になってくる。



 或いはもう、村人にせがまれて復興作業に行っちまったか……窓の外は静かなものだが、時計がないのでなんとも言えない。



 ……探しに行くべきか? いやでも入れ違いになったら、俺がいないことを不安に思わせてしまうかも――









「っ――――、おっ……、おは、よう……セン、ちゃん……!」







「っ! ……お、はよう、メル……」




 ぎぃぃっ、と扉が開き、おずおずと帰ってきたメルは。



 ……何故だか白いポットを持ったままで、酷く引き攣った顔をしてぎこちなく朝の挨拶を口にした。



 ……いやまぁ、ぎこちなさなら俺も負けちゃいなかったが。



 メルがちゃんといることへの安堵半分、驚きが更にその半分で、残りは、




「っ……センちゃん、なんか、ず、随分と汗、掻いてるけど……ね、寝苦しかった? そ、その服、分厚そうだし、脱いでもよかったんじゃ……」



「あ、あぁいや、ちょっと夢見が悪かっただけで――――おまえこそ、なに顔赤くしてんだ? 動きも発条細工みたいだし……調子悪いのか? まさか、異能のデメリット――」



「ちちちちち違うからっ!! ちょっとあのえっと、と、トイレっ!! トイレ行ってただけだからっ!! トイレって部分で察してっ!!」



「お、おぉ……まぁ、了解したけど……それ――」




 十何年も付き合いがあれば、独自の隠語くらいできる。俺には分からない感覚だが、見ていれば大変そうなのも分かる。なのでそれ以上は俺も言及しない。暗黙のルールだ。



 けど、ちょっと気になった。いや大したことではないんだが。




「『ダヌヴァンタリ』だっけ? なんか、けど……トイレにまで持ってったのか? 一応飲食物なんだし、あんまりよろしくないと思うんだが……」




 ……訂正。大したことないのは事実だが、気になったんじゃなくて気に障ったんだ。



白の全能アムリタ】という異能が、あの糞アロハから授けられたものならつまり、その源である『ダヌヴァンタリ』だって同じだ。謂わばあのおっさんからの贈り物である。そう考えると、途端に気色悪い。



 それを後生大事に、トイレにまで持っていかれるのが、なんか、嫌だった。



 異能の源も、異能そのものも――――その理由である、責務すらも。




「……なんかこう、手に引っ付いて離れない呪いの装備的な特性でもあんのかよ」



「そそっ、そんな訳ないじゃん! っ……、なんでそんな不機嫌なの、センちゃん」



「…………別に」



「? そう? ……ま、まぁほら、気にしないでよ! あくまで念の為っていうか、その……なんとなく? そう! なんとなく携行したってだけだから! いつまた魔族が襲ってくるかも分かんないしさ!」



「……いいけど、あんまずっと持ってると腱鞘炎になるぞ? そんななみなみ牛乳入ったポットなんか、結構重いだろうに……言えば預かるからな? 気軽に言えよ?」



「…………センちゃんさぁ、あたしに対して過保護だよね、割と」




 そりゃそうだろ。大事なんだから。大切なんだから。


 ……それに。




「…………」




 呆れたみたいに肩竦めて、言われた通りにベッド脇にポット置いて。



 抑え切れないみたいににやけるその間抜け面を見ちまったら――――自重も遠慮もバカバカしくて、世話を焼きたくなるんだよ。いい格好をしたくなっちまう。



 もう今更、顔が熱くもなりゃしない。そのくらい当たり前で当然で、誇らしい事実。







 俺は本当、呆れるくらいにこの娘が、笛吹メルヒェンのことが大好きなのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る