夢見蝶の大嵐

「あっはっはっはっ! あーっはっはっはっはっはっはっはぁっ!!」




 ――――これは夢だ、と自覚して見る夢を、明晰夢というらしい。


 だが、断言できた。甲高くて軽薄で、お笑い番組の観過ぎで腹筋が壊れたかのような、不愉快な哄笑で始まったそれは、そもそもの話と。




「…………っ!?」



「あっはっはっはっ――――お、ようやく気がついたかぁ? 眠り浅いんだなぁオマエ、ストレスでも抱えてるぅ?」




 粘ついた男の声に思わず眼を開け、上半身を起こすと――――そこは、



 地学の教科書でしか見たことのない、青白く輝いて星々が点の群れとなった、どこまでも際限なく広がる宇宙空間。……当然、床なんてないはずのそこに俺は当たり前のように横たわっていたし、今もこうして座り込んでいる。手の平にはプラスチックのような硬い感触があって――――だから、現実じゃあり得ないのは百も承知だけど。



 でも、夢でもない。夢では絶対にない。



 不思議と、そんな確信があった。




「あっはっはっはっ! いやぁ、素質を見込んでびはしたけどさぁ、笛吹メルヒェンはなかなかに凄まじいねぇ。なぁ、オマエもそう思うだろう? 箭波箋利」




 俺から数メートル離れた真正面、直立の姿勢にもかかわらず。


 金髪に無精髭、アロハシャツに半ズボンという、いい歳こいた大人は控えるような恰好をしたおっさんは、別段大して割れてもいない腹筋を晒しながら。



 ふよふよと、俺の尻より数十センチ高い場所に浮かんでいた。



 ――――ただでさえ濃厚だった確信。男の言葉で、それは最早限りなく事実へと漸近していた。




 メルのことを、素質を見込んで、


 なら、じゃあ、やっぱり、こいつは――




「イフリートっつったら木火土金水闇光、この世界における七大元素のひとつを司る大妖精にして、魔王軍幹部クラスでもおかしかねぇ設定の強さ持ちだぜ?【白の全能アムリタ】との相性が最悪だといっても、言うてたかが牛乳だ、蒸発させるレベルの熱量を発生させられたら勝ち目は薄かったっつーのに――――あの果断っ! 即断即決っ! いやぁ観てて痺れたねぇ! さっすがオレ様! 完璧な選別眼だ! やっぱ世界を救うような奴ってのはああでなくっちゃなぁっ!」




「――――おい、おまえ」




 歌うように、踊るように、アロハの男が揺らめきながら笑う度に。



 不本意ながら慣れ親しんだ感情が湧き立ってくる。心臓が痛いほどに騒めいて、奥歯を割れんばかりに噛み締めずにはいられなくて、ただでさえ子供に泣かれがちな眼つきが凶器の如く鋭くなる。




「あぁ? おいおい箭波箋利、『おまえ』とは不敬だな。オレ様をなんだと心得るよ?」




 ゆらり、幽鬼のように立ち上がった俺に対してもなお余裕綽々に。



 それでも多少は眉を顰めて、アロハのおっさんは腕を組んでみせた。




「真なる全能たる我が父祖より賜りし名をネーデル。道半ばじゃああるが、一応は一端の創造神、つまりはこの世界における造物主だぜ? もっと敬えよ、畏れて崇め奉れ。ったく……いきなり勝手も分からない別世界に困惑して、みっともなく右往左往しているだろうオマエら矮小な人間のために、わざわざこうして深層意識にまで出向いてやったんだから、頭を深く垂れて感謝の祝詞のひとつくらい――」




 講釈もご高説も、生憎、途中から音としてしか聞いちゃいなかった。



 立てた。床はある。それが確かめられれば十分だった。――――アロハのおっさん、ネーデルとやらがなにやら気持ちよくお喋りしている、その眼前へ。




 俺は、全身をバネのように跳ねさせて、一気に駆けた。




「へっ? ――――ぶほぉっ!?」




 掛け声はない。叫びもない。そんな余分へ回す力が勿体ない。



 予想通り、この世界の神サマであったアロハのおっさんめがけて、俺は全力で拳を振るった。まずは、得意気にぺらぺら動いていた顎を下から殴り上げる。


 がら空きになった首へ振り回した腕を叩き込み、それでも浮遊を維持していた鳩尾にハンマーが如く拳を振り下ろした。



 我ながら見事で流麗な3連コンボ。格ゲーならゲージの半分は持っていけただろう。




「が、はっ……ちょっ!? オマエ、箭波箋利っ!! オマエいきなりなに――――へぶっ!?」



「……まぁ、そうだな……理解はできるよ。理屈は分かる。俺たち人間だって、猿の気持ちは分からねぇからな。神サマに人間の気持ちを理解しろって方が、無理筋なんだろうさ。そこは頷いてやる――――理屈ではな」




 ごりっ、とざらつく金髪に足裏をこすりつけ、全体重を右脚へと傾ける。



 あぁ、だが足りない。足蹴にして踏みつける程度じゃ、まったくもって足りやしない。



 この滾々と湧き続ける怒りを適切に伝えるには、まだまだまだまだ暴力の度合いが足りな過ぎる。




「オ、マ……っ、か、神の頭を踏みつけるとか、許されると思痛たたたたたぁっ!?」



「テメェこそ、許されると思ってんのか……? 俺だけならともかく、メルまでこんな危険極まりない世界に喚び寄せて、危険極まりないことをさせようとしやがって……それでへらへら笑っているなんて、許されると思ってんのかぁ……!? なぁ……神サマって頭潰したら死ぬのかねぇ……実験してみるかぁ!?」



「ちょ待っ、やめろやめろダメダメ絶対ダメっ!! オレ様が死んだら! オレ様の創った世界が全部消えちまうんだぞっ!?」




 手足をばたばた、指で潰された虫みたいに蠢かして神サマは言う。




 …………?




「と、当然っ! ! この世界で生きている笛吹メルヒェンも、当然巻き添えだぞっ!? それでいいのかっ!?」



「…………チィっ!!」



「舌打ちでっけぇなぁっ!! うわぁ、怖ぁ……現代の若者って怖いわぁ……笛吹メルヒェンの制御役として喚んだ意味ないじゃんかよもう……」




 寛大にも足を退かしてやった途端、ネーデルとかいう糞アロハはカサコソその場から脱出して、溜息混じりに胡坐なんぞ掻きやがった。



 ……どの学校のどのクラスにも、必ずひとりはいたなぁ。喋る度に人の気を逆撫でするバカ。ストレスで他人の健康寿命を削るアポトーシスとして生を受けたのかと思いたくなるような、ひたすらに虫唾の走る輩というのが何故だか絶対に存在していた。



 理由は分かった。創造神がそうだからだ。蛙の子は蛙という訳だ。




「……俺らが元いた世界も、おまえが創ったのか、糞アロハ。じゃあなにか? 差し詰めゲームの通信交換みたいに、あっちの世界からこっちの異世界へと、俺たちを配置替えしたって訳か? なんの承諾もなく? 事前の辞令もなくか? おぉ?」



「怖いってマジでオマエっ! ……そーだよ、そうに決まってんだろ。自分の管轄でしかできねぇよこんなバグじみた荒業! 他の創造神ヤツらから人材引っこ抜いたら、どんな目に遭わされるか知れたもんじゃ…………あーでもオマエよりはマシかなぁ……」



「……だぁ?」




 時が止まったように星の運航がない宇宙において、しかしまぁこのおっさんの口だけはよく動くしよく滑る。



 文句ひとつと要求ひとつ。俺からの要件はそれだけなのに、どんどんとこの世界の、宇宙のネタばらしがされていく。癪なことだが、好奇心を刺激されてしまっている自分がいるのを誤魔化し切れなかった。




「なんだよ、そんな不思議なことかぁ? オマエのところって確か、八百万の神とかいう設定があっただろ? なんて、すっと呑み込めるだろうよ。まっ、この世界じゃあ創造神はオレ様ひとりなんだけどなっ」



「……どういうことだよ」



「オマエらの世界の学者たちは、随分惜しいところまでは届いてるんだよ。倫理の授業でイデアって習うだろ? あれを創ったのがオレ様たちの父祖だ。んでもって、オレ様たち創造神は、唯一絶対の創造主に生み出された後継者候補。――――人間だってそうだろ? 子孫ってのは先祖を超えて成長していくものだ。だからオレ様たちも、父祖が創り給うた完璧な世界、イデアをも超える完璧を、理想的な世界を創るために、こうして日夜頑張ってるって訳だ」




 ――――あぁ、成程。概ね理解した。


 要するにあれか、教科書のコラムにちらっと載ってた、グノーシス主義におけるモナドとアイオーン、或いはアルコーンの関係な訳だ。……この糞アロハはどうやらヤルダヴァオートらしいけど。



 イデアを超える、完璧で理想的な世界の創造。



 それが、この髭のおっさんの最終目標……成程、それは分かった。が。




「で?」



「ひぃっ!?」




 ないはずの床を砕かんばかりに足で殴ると、気持ちいいくらいの轟音が響いた。



 ……鏡がなくてよかったよ。今の俺の顔面はきっと、正視に耐え得る怖さじゃない。目の前の邪神サマの反応がその証拠だ。




「その『日夜頑張ってる』一環が、メルに妙な力を植えつけて危険な役目を押しつけることだって言うのか? あぁ? ……ご立派な理想は結構だが、そんなのひとりで勝手にやってくんねぇかなぁ? テメェの目標のために、メルの奴が働かされる謂れはないんだが?」



「――――はっ、ったくこれだから人間ってのは理解が遅くていけねぇなぁ」




 先程の華麗な3連コンボからの、フェイタリティ一歩手前直行便をもう忘れたのか。



 ゴミ糞アロハことネーデルは、鼻で笑いながら大仰に両手を広げてみせた。




「いいか? オレ様はこの世界だって最初からちゃぁんと、として創ったんだ。そういう前提があるんだ。オレ様自身が後から自ら手を加えちまったら、。手直しが入るって時点で、もうその世界は最初から完璧ではなくなっちまうんだよ。分かるか? 箭波箋利」



「……別の世界の俺たちを招いて、手直しさせるのはありだとでも?」



「さっきちょっと口走っただろ? 転移だの転生だのってのは、どんなに創り込んでも起きちまうバグみたいなものだ。父祖の創ったイデアでも時たま起こる。だから、オマエらにこの世界のシステムを調整してもらうっつーのは、創造神的にセーフな訳だ。ドゥーユーアンダスタン?」




 分かんねぇよ。いや理屈は理解できるが承服ができねぇんだよ。



 この世界の、システムの調整。



 それはきっと――――でも、ならなんで、どうして――




「この世界のコンセプトはな、勇者が魔王を倒すっていう王道展開がいつまでも続く『理想のファンタジー世界』だ! 勧善懲悪、正義は必ず勝つ! 勇猛果敢な勇者がカッコよく悪の魔王を倒し続けるなんて、胸躍る世界観だろう!? ――――なのに今、勇者は敗けちまって魔王がのさばって、次の勇者も生まれてきやしねぇ。分かるか? 魔王は勇者に斃されるべきっていう、この世界の根本原則が崩されちまってんだよ。造物主としちゃあ看過できない非常事態だ。笛吹メルヒェンには、『白の全能アムリタ】をフル活用して是非とも小生意気な魔王をぶっ殺してもらおうと――」




「――――――――ふんっ!!」




 今度は、創造神の方が声を上げられなかった。



 大きく一歩踏み込んでの、再びの鳩尾正拳突き。しかも今度は下から上へと抉るようにだ。神サマの構造が人体と同じかは知らないが、臓腑をまともに揺らされるその感覚は、生物なら皆等しく苦悶で激痛だろう。



 おーけー、大体予想通りだ。創造主やら他の創造神の話やらは、興味深かったが現状価値はない。それよりもやはり、当初の想定通りに要求を通す方が先決だ。




「かはっ……お、オマエ……せ、せっかく人間には、言語っていう、コミュニケーション手段がだな……」



「十数年で学んだんだ、言葉が通じない奴がいることをな。――――メルを、あいつを、魔王と戦わせよう、魔王を殺させようなんて時点で正直、俺はテメェを殺したいほど許せねぇんだけどさぁ……その理由が、単なるテメェの美学ってことが一番、承服し難ぇんだよなぁ……っ!! テメェ、神サマはなにやっても許されるとか勘違いしてねぇか? 今ここで身体に現実叩き込んでやろうかぁっ!?」



「ちょ、待て、待って待って本当に待てってっ! じゃ、じゃあなんだよ、元の世界に帰せってか? 他の適任者見つけろって言ってる? ……で、できないことはねぇけど、今はオマエらふたりの転移で力使い果たしちまってて、今すぐには――」




「いるだろうが。ここに。適任者が」




「え――――ぐえっ!?」




 胸倉を掴み上げ、だっさいアロハが伸びて千切れるほどにぶんぶんと振り回す。




 させられるか。やらせられるか。




 魔王討伐だなんて危ないこと、メルにさせられるか。そんな蛮行許して堪るか。




 せっかく傷つかないで済む世界に来れたのに、今以上の傷を負わせるなんて、あいつ自身が許容しようと、俺が絶対に許せないっ!!




「見ろよっ! 眼ぇ掻っ穿ぽじってよく見てみろっ!! テメェを掴み上げてる男は、箭波箋利はっ!! 神サマにすら喧嘩売って殴る蹴るの暴行加える蛮族だぞっ!? ――――魔王なんて悪の権化を成敗するのに、これ以上の適役がいるか? あぁっ!?」




 最初は、気に喰わないだけだった。



 次に、許せなくなった。あいつを取り巻く悲惨な状況に、いちいち腹が立った。



 なにより、いつしかまともな抵抗を諦めてしまったあいつの寛大さが、ムカついた。



 きっと今回だって、渋々でも嫌々でも、やってしまうんだ。諦めて放棄して、惰性のように死地へと赴いてしまう。




 それが、笛吹メルヒェンって奴なんだって、俺は知ってる。




 ――――そんなバカでも、好きになっちまったんだ。守りたいに決まってるだろ。




「メルみたいなバカげた異能、俺にも寄越せ。魔王を殺すのは俺がやってやる。――――あいつに、メルに、これ以上重荷を背負わせんなっ!! ……言っておくが、殺さない程度に甚振る方法なんて、俺はいくらでも知って――」



「わ、分かった分かったっ!! ぐぅっ……オマエは素質ない方だから大した能力目醒めねぇけど――――くれてやりゃあいいんだろぉっ!? ほらよぉっ!! だっ、だからもう、もう頼むから殴らないでくれよぉっ!! 痛いの嫌なんだよぉっ!!」




 クソガキのように自分勝手に、喚いて叫んで、腕を振り回して。



 ネーデルは、俺の頭を挟むようにして、両手を広げた。







 ――――瞬間、脳の中をぐぢゅりと弄られたような、不愉快な感覚が眼の奥に迸って。





「っ……」



「どっ、どんな能力が目醒めても……怨むなよっ!? 素質の問題なんだからなっ!?」




 滲んだ濁声が遠退いていくのを聞きながら。



 俺はぐらりと後ろへ倒れていき、同時に意識すらも遠退いていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る