使い古された曼荼羅

「ありがとうございます、ありがとうございます!」「ありがたや……聖女様だ、白の聖女様が救ってくださった……!」「シスター・メル様。センリ神父様。お助けくださりありがとうございます……!」「ありがとう、ありがとう」「ありがたや、ありがたや」「ありがとう、ありがとう――」「ありがたや、ありがたや――」




 いくつかランタンの焚かれた、レイニエル村の端っこに位置する教会前。


 そこは今や、カルト教団すらびっくりの聖女様祀り上げ会場と化していた。メルを中心に村人が円陣を組み、手を合わせて土下座の姿勢で拝み倒しているのだ。その崇めっぷりたるや神や仏なんか目じゃないほどで、少なくとも信仰心の薄い国で生まれた俺には、気色悪ささえ感じられる光景だった。



 ……尤も、こいつについてはちょっと話が違うか。




「…………センちゃぁん……」



「はいはい、分かってるよ。なんとかする」




 ――――笛吹メルヒェンは、基本的に虐げられる側の人間だった。



 反撃はするが、それでも立場が下なのは変わらない。バカにされ嘲笑され暴力を振るわれるのが常で……ある意味、その立ち位置に慣れ切って諦めてしまっていて。



 だから、こんな極端な形とはいえ、そもそも『感謝される』というイベントに。



 ほとんど立ち会ったことがなくて、故に、どうすればいいのか分からないのだろう。さっきからずっと俺の背中に隠れてしまっている。



 まぁ今のところ、村人たちはそれを『奥ゆかしい』と解釈してくれているし――――盲目的なバイアスがかかっている内に、やれることはしておかないとな。




『新しく派遣される神父様と修道女様』。




 この設定に当て嵌まる、この世界の本物が来ちまったら、話がややこしくなるしな。




「えー……失礼、皆さん。シスター・メルは生憎人見知りでして……ですが、『当然のことをしたまでだから、そんなに畏まらないでほしい』と言っております。聖職者として、皆さんの安全をお守りするのは当然の務めですので」



「おぉ……なんと高潔な! メル様、メル様、シスター・メル様……!」



「あなたこそ救世主だ……ありがたや、ありがたやありがたや……!」




「…………センちゃんん……っ!」




 いや、そんな背中引っ掴んでぶんぶん首振るなよ。頑張った方だろ俺。



 まぁ、まぁいいや。取り敢えず好感度が高い内に、仕入れられる情報は入手しておこう。




「あー……ところで皆さん、申し訳ないのですが、俺たちはこの村に来てまだ日が浅い。村の事情にそこまで明るい訳ではないので、何故この村が魔物に襲われていたのかが分からないのですが……なにか、ご存知の方はいらっしゃいますか?」




 正直、村の事情とかはどうでもよかった。知りたかったのは正確な世界観だ。



 魔法。魔族。勇者。魔王。この4つの要素があるのは分かっていた。だが中には、魔族と人間とか共存していたり、魔王が複数いて勢力争いをしている物語もある。オーソドックスなファンタジー世界なのか、変化球気味なのか、それだけでも把握しておきたかった。




 ……だが。




「あ……あぁああああああああああああああああああっ……!!」




 円陣の外側にいた、ひと組の壮年夫婦が。



 俺の問いに対し、慟哭で返してきたのだ。奥さんはそのまま泣き崩れ、地面に伏して啜り泣いている。慰めている夫の方も涙を堪え切れておらず、ふたりのいる場所だけ地面が暗く濡れていくのが分かった。




「……無理もない……。あぁ、センリ神父、あなたが気に病むことではありません」




 最前列でメルを拝んでいた白髪の老人が、小さく首を振りながら言ってきた。




「……申し訳ない。その……あのご夫婦は?」



「…………ご存知とは思いますが、この世界では数十年ごとに勇者と魔王が生まれます。両者は争い、人間と魔族、双方の勢力図を決めるのですが……過去5000年間、ずっと勇者側が勝利を続けていたのです。我々人間が、才ある者しか使えない魔法以外には戦う術もないのに、ここまで繁栄できているのは、勇者様のお陰なのです。……ですが」




 そうだ。そこから先は、子供が口走っていた。



 勇者が、魔王に負けたと。それで魔族が調子づいていると。




「今代の勇者は魔王に敗北し……皆、殺されたと聞いております。その所為で魔族の活動は活発になり、我々人間の土地を奪うために、ここ以外でも被害が出ているとか……」



「……あのご夫婦は、じゃあ――」



「はい……お察しの通り、勇者パーティの一員の両親でございます。勇者がこの村に立ち寄った際、回復役の魔法使いが欲しかったとのことで、娘であるリナ・ボルタネスを差し出したのです。……噂では、彼女も――」



「あぁ、いえ! もう、結構です……すみません、辛いお話を……」



「いやいや、あのふたりに比べれば我々の痛みなど――――っ、シスター・メル様?」




 俺は、思ったより老人の話に聴き入っていたようだ。



 背中からメルがいなくなっていたことに、今気がついた。吐くほど苦手な人混みを割って、メルが泣き崩れる夫婦の元へ歩いていったのを、顔を上げた今ようやく認識した。




「……シスター……」



「……よ、よかった、ら……飲ん、で……」




 そう言って、メルはポットからとぽとぽと、牛乳を虚空へ落とした。



 今度は、地面に激突することはなかった。牛乳は中空で小さな球となり、ふよふよと浮いている。夫婦ふたりが手で包んでも、割れも崩れもしなかった。




「ぎゅっ……牛乳、には、トリプトファンって、成分が、含まれてる、の……い、今は、夜、だから……メラトニンっていう、よ、よく眠れる、脳内物質に、変わる、から…………に、日中なら、幸せホルモンって呼ばれる、セロトニンになる、し……だ、だから………………の、飲ん、で…………」




 それだけ言い残して、メルは脱兎の如くこちらへ走り来て、また俺の後ろに隠れてしまった。




 ……他人を慰めることなんか、今までなかったからな。慣れてないなりに頑張ってたよ、どう声をかけるのが正解かって、難しいもんな。




 俺もおまえ相手に、よく間違えたもんだ。




 ……でも――




「…………!」




 無言で、でも何度も何度も頭を下げてくるあの夫婦からは。


 ちゃんと感謝されてるみたいだぜ? ……本人は、それどころじゃないみたいだけどな。




「――――事態は把握しました。魔族の脅威には、我々が全力を持って対処します。ひとまず……明日以降の村の復興のために、身体を休めるのが肝要でしょう。教会を開放しますので、皆さん、中で休んでください」




 喝采が上がる。こんな当然の措置で喜ばれるのもなかなかこそばゆいのだが……なんにせよ、俺とメルにも休息は必要だった。




 というより、考える時間か。




 この世界の様相は大体分かった。どうやらオーソドックスなファンタジー世界で、5000年も人間と魔族で争い続けているらしい。まぁ、いい。言いたいことはあるがそこはひとまず呑み込んでおく。




 問題なのは、ただ一点。



 どうして俺とメルが、この世界に喚ばれたのか――――生憎簡単に奇跡を信じてあげられるほど、俺は素直な感性をしてはいなかった。

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