空の青さも彼女の白も
アルビノ、という特徴がある。
生まれつき、人よりちょっとメラニン色素が少なくて、髪色や肌の色、瞳の色などが他の人と少し違うという特徴だ。病気でも異常でも欠如でもなく、アルビノはそいつを構成するただのいち要素だ。
そんな当たり前すら、理解できる奴は少数だ。メルこと笛吹メルヒェンは、他人とちょっと違うその容姿故に虐めややっかみに幾度となく遭ってきた。児童やら学生やらの未成熟なガキ共からならともかく、教師や大人共からさえ差別を受けてきた。
ある時を境に、親からさえも――
「ったく……急に椅子はやめてくれよ、メル。びっくりするだろ?」
桜はすっかり散ってしまい、風は仄かに冷たい。
陸上用のトラックの線が引かれたグラウンドを、一望できる校舎の屋上。そこの錆びついたフェンスへしな垂れかかるメルの髪を、俺は持参していたバスタオルでわしゃわしゃと拭いていた。
……髪はすっかり綺麗になったが、制服は、これはダメだ。背中側が特に酷い。
また俺の名義で注文しておくか。バイトのシフト、もう少し増やしても大丈夫かね……。
「…………ごめん」
「……いや、まぁ、そんな深刻に謝ってほしい訳じゃないんだが……せめて事前に怒鳴るとかあればほら、心の準備って奴がさ」
「だって、どうせ」
溜息にも種類がある。言葉と同時に吐き出されたのは、苛立ちを含んだわざとらしいそれだった。
「どうせ、言葉なんて無駄でしょ。あんな奴ら相手に」
「……まぁ、なぁ……」
……訳知り顔の他人は言う。いきなり暴力に訴えるのはよくないと。じゃあ反論しろとでも? やめてと懇願しろとでも? それで逃げられると思ってる奴は、よほど頭がお花畑な平和ボケ野郎だ。そんな言葉は『自分が下です』という敗北宣言でしかない。上下の別がついた相手に、上位だと勘違いしたバカはますます容赦を失くす。
散々傷ついてきて、メルは結論したのだ。『言葉は通じない』と。
……間近で見てきて、残念ながらそれが真実だと分かってしまってるから、俺はこれ以上、なにも言えない。
「ほれ、粗方拭き終わったぞ。…………はぁ」
ガシャンっ、と音を立てるフェンスに、俺は背中から凭れかかる。
頭を半ば外へと放り出して、ガリガリと引っ掻く。そうせずにいられない。……楽なのかやたらでかい胸をだらりとぶら下げて、すぐ横のメルは再び牛乳を飲んでいた。ストローを歯で噛むこともなく、静かにちゅるちゅると。
……よくもまぁ、静かでいられるものだ。尊敬にすら値する。
俺だったらああも理不尽に虐げられ続けたら、加害者のひとりやふたりくらいは殺してしまいそうだが…………それに――
「……センちゃん、イラついてる? だったらほら、牛乳飲むといいよ」
そう言って、飲みかけの紙パックを差し出してくるメルの神経は。
思いの外図太いよなと、苛立ち混じりに感心してしまう。
「牛乳にはカルシウムや、トリプトファンが含まれてる。イラつきにはよく効くよ」
「要らん。……知ってるだろ、俺が牛乳苦手なこと」
「知らないよそんなこと。センちゃん、牛乳を苦手なんじゃなくて、嫌いなんでしょ?」
「……おまえこそ、よく牛乳好きでいられるよな」
肩を竦めながら言う俺に、メルは再び牛乳を啜りながら首を捻った。
――――俺がそうであるように、牛乳を苦手とする人間は多い。特に日本人には乳糖不耐症が多いんだ。小学校の給食で毎食飲ませるあの文化は、正直狂ってるとしか思えない。
だからこそ、メルを虐めるための材料に、牛乳はよく使われた。
牛乳女。牛乳の妖怪。胸が膨らんできてからは乳牛だのホルスタインだのもよく言われていた。……俺だったら、牛乳なんてスーパーで見かけることすら遠慮したくなるだろう。
だというのにこいつは、毎日毎日飽きもせず、牛乳を飲み続けている。
本当……羨ましいくらいに逞しい。
「ん……まぁ、悪い思い出ばっかでもないから、ね」
「そうかぁ? ……まぁ、無理してる訳でもなく純粋に好きなんだろうし、俺からはなんにも言わねぇけどさ――」
と。
そんなことを言っているタイミングで、耳慣れたチャイムの音が響いてきた。
「昼休み終わりか。メル、次の授業ってなんだっけ?」
「……国語の現代文」
「じゃあいっか。髪乾くまではここでのんびりしてようぜ」
そう言って、俺は両手を頭の後ろで組んでみせた。……メルはなにやら不穏な目で睨んできているが、どの道、こいつはそう簡単には教室に戻れない。
なにしろ椅子も机も破壊済みだからなぁ。
どこかしらから調達しなきゃいけないんだが……被害者の演技だけはやたら上手い不細工共に洗脳されたアホ教師を、どう説得したものかな――
「……センちゃん。もう、さ……あたしのこと、助けなくっていい、よ……」
と。
牛乳を最後の一滴まで吸い終えたメルが、背後へ紙パックを放りながら言ってきた。
「……? 突然なに言い出してんだ? メル」
「だから、……もう、あたしのこと、気にかけなくていいって、言ってんの。……分かってるでしょ? あたし、いきなりキレるし、凶暴だし、頭おかしいし、イかれてるし……あいつらの言ったこと、全部当たってるもん……現に、センちゃんにだって、迷惑ばっかかけてるし……」
「例えば?」
「例えばって……分かるでしょ!? 今だって授業サボらせちゃってるし、友達との会話も邪魔したし……教師共にだって、目ぇつけられてるんだよ!? っ……あたしが、そうなるのは仕方ないけど、センちゃんまで巻き添えになるのは……嫌だ――」
「ていっ」
「あ痛っ!? …………?」
デコピンひとつで、白い肌には真っ赤な痕ができる。赤の瞳をぱちくりとさせながら、メルは俺の方をじっと見つめていた。
……ったく、本当に仕方のない幼馴染みだ。
泣くのを必死に堪えながらなら、背中を押してくる義務感なんて無視すりゃいいのに。
「訂正箇所がふたつ。まずメル、おまえが目ぇつけられるのは仕方なくもなんともねぇ。猿のご機嫌なんざいちいち窺う必要はない」
「っ……」
「そしてもうひとつ。俺は迷惑だなんて思っちゃいねぇ。人間としてのレベルが低い、先祖返りした猿共と付き合うくらいなら、おまえと一緒の方が何億倍もいい」
「っ……!」
「っはは、なんだよその顔。そこまで真っ赤になるんなら、さぞかし髪が乾くのは早いんだろうなぁ」
「っ……ば、バーカ! バーカっ!!」
ガシガシとタオル越しに頭を掻き毟りながら、足元の鞄から本日3つめの牛乳を取り出し、一気に吸い込んでいく。……常温の牛乳に、どこまで冷却効果が望めるかは甚だ謎だが。
――――綺麗とか美しいとか可愛いとか、ついでに巨乳とか、実はどうでもいいんだ。
積み重ねてしまった経験値故に、口より先に手が出る悪癖こそ玉に瑕だが、それ込みでもメルは十二分に面白い奴だし、外見じゃなく内面がきちんと可愛い。口調が荒いのだってあくまで敵愾心を持った相手にだけで、なんなら本質はこっちが申し訳なくなるくらいに気ぃ遣いで優しくて、揶揄うと可愛らしく面白い、普通の女の子で。
だから俺は――――この世界が酷く、忌々しい。
たかだか見た目が違うだけで、ここまでの差別を容認してくる世界が、怨めしい。彼女を際限なく傷つけて、嘲笑ってくる奴らが腹立たしい。髪が白くて肌が白くて、眼が赤いだけのたったそれだけで、いつまでも攻め立てる猿共が心底鬱陶しい。
「…………はぁ」
別に、大仰な奇跡なんか要らないんだ。
どいつもこいつもが、最低限の道徳を守るだけでいい。当たり前の倫理を遵守するだけでいい。たったそれだけの簡単なことで、笛吹メルヒェンという少女はもっとずっと生きやすくなるのに。
人と違うだけで差別される、そんな世界が変わる程度のことが。
酷く、儚い願いだと知りながらも――――祈らずには、いられなかった。
「……っ、でも、でもセンちゃ――」
――――そこまで、メルが言葉を紡いで、振り向こうとした、その瞬間。
ガコンっ、と、間の抜けた音がして。
俺たちの寄りかかっていた柵のひと区画が、根元から外へ向かって折れ外れた。
「っ!?」「えっ!?」
驚愕は一瞬。体重を全て預けていた柵の消失は、為す術もない落下を示唆していた。
地上5階の高さから、硬いグラウンドへの落下――――3階より上からの転落になると、致死率は跳ね上がると保健体育で習ったばかりだった。生存は絶望的だと、何周か回って疲れ切った脳は容易く結論した。
ふたりとも、の場合の話だが。
「っ、メルっ!!」
「――!?」
叫び声に釣られて、こちらへ振り向いたメルの手を、俺は強引に引っ張った。
墜落までの数秒。残された寿命を俺は、メルを抱き締めるためにだけ消費した。
勿論、恋心からでも下心からでもない――――彼女の下敷きになるための、クッションとして。
「っ、センちゃ――」
「――――っ」
察されたかな。でもごめんな。
一緒に死ぬよりも俺は、おまえにだけでも、生きていてほしいんだ。
――――眼を瞑る。固く固く。それは理性的な行動じゃない。本能が恐怖から逃げるべく、反射で強要した不本意な暗闇だった。
身体が豪快に風を切る音が、まるで壊れかけのラジオの断末魔みたいで。
まるでコンセントをぶち抜かれたみたいに、俺の意識はぶつりと途切れた。
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