第4話:カラオケスナック硅素谷 ママ
――はい来ました。“地雷の定番”。
「悲しみは雪のように」。
……また、あの曲ね。
昭和臭オヤジがリクエストした瞬間、私の脳内カレンダーは一気に平成初期にワープしたわ。
これ、どう転んでもロクなことにならないの。みんな一度は耳にしてるから歌えるつもりになるけど、実際は声が出ない。音程は外す、リズムは転ぶ、結果は“雪崩”。はい、見慣れた地獄パターンよ。
直也はさっき歌った後はマイクを五井アメリカの若手に渡していたわ。
そして接待相手から注がれたビールをキレイに飲んでる。
流石ね。
後はたのむぞって事みたいね。
これでお役目は果たしたって事なのかしら。
五井アメリカ支社長は大喜びしているけれど、この人もダメねぇ。
ここからは、どうせ雪崩による凍結地獄なのよ。
案の定、五井アメリカの若手AとBにマイクが渡った。
「か、悲しみは〜ゆぅきぃのよ〜ぉに〜♪」
……ガナリ声。
「つもるぅ想いのつぅもりを〜♪」
……キー外れ。
あぁ、やっぱり。
客席の昭和臭オヤジたちは既に白け顔。グラスの氷の方がよっぽどクリアな音出してる。
亜紀と玲奈はまたもや必死にタンバリンと手拍子でキャバ嬢モード、でも沈没船はもう浮かばない。
(……はいはい、また沈むのね。慣れてるわよ)
そう思った時――。
※※※
「……もうこれは、オレがやるしかない」
直也が低く呟いたわ。
スッと立ち上がり、無駄のない動作でジャケットを脱ぐ。その仕草だけで空気が変わった。
ワイシャツの袖を軽くまくり上げ、マイクを取る姿は……まるで浜省本人。
Bメロに合わせて、一呼吸。
「孤独で〜きみのからっぽの〜そのグラスを〜満たさないで〜♪」
そして――。
「だーれーもがーWOWO WOWO WO〜泣いてる♪」
響いた瞬間、空気が凍った。
いや、違う。凍ったんじゃない――張りつめた。
声が力強いのに優しくて、伸びやかで。
場末のスナックのスピーカーからじゃなく、まるでスタジアムに響いているかのような臨場感。
亜紀も玲奈も完全に手を止めて見入っている。
オジサンたちの目が丸くなり、グラスを持つ手すら止まった。
「……あら」
思わず声が漏れた。
「……ちょっと、鳥肌立ったわよ」
私、長いことこの仕事してきたけど、こんな風に“本物”を聞かされたことはなかった。
客席は完全に『直也オンステージ』の虜になっているわ。
五井アメリカの支社長は顔を真っ赤にして拍手。
「いやぁ!ナオヤ!最高だ!もっと行け!」
昭和臭オヤジも上機嫌でグラスを掲げ、
「まぁ飲め、ナオヤ!」と叫んでいる。
直也はそれを軽く受け取って、笑顔で盃を合わせ、きれいに飲み干した。
最後には、
「契約が〜雪のように〜いただける夜に〜」
だって。もう昭和臭オヤジたちは大喜びよ。
「成約だ!成約!もうナオヤに発注確定!」
そりゃ、そーよ。こんなの見せられたら。
(――ダメだわ、この男。歌って飲んで、全部決めてくる。
まるで“スーパー物産マン”どころか、“エンターテイナーの化身”じゃない)
私のスナック史上、初めて“雪”が場を温めた瞬間だった。
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