第2話:カラオケスナック硅素谷 ママ
――まったく、オトコってやつはどうしてこうも学ばないのかしらね。
あらあら、五井物産様御一行、ご到着〜。
はい今日も来ましたよ、五井アメリカの支社長さん。
この人、何度か見たことあるけど……ああ、相変わらずね。オーダーメードの立派なスーツ着て、顔だけはエリート風、でも腰が引けてる。いかにも「現地で苦労してます」ってオーラがにじみ出てるの。……本体に戻れるか微妙なラインね。
そして――おや?今日は随分と気合い入ってるじゃない。
美人二人を連れてきたわ。なるほど、キャバ枠で動員ね。しかも、相当なハイレベル。バリキャリ風でミニタイトの彼女と、もう一人はクールで落ち着いた雰囲気の知的美人。ふふっ、社内の花をこんなところに持ち込むなんて、よっぽど手詰まりってこと。
あとは……現地採用っぽい若手二人ね。こっちの大学出たばかりって感じ。正直、場慣れゼロ。もう見ただけで分かる。歌っても、ぜっっったい使えないわ。
……で、こっちは?
スーツ姿で、支社長の横に座った黒髪の男。
年は20台半ばくらい?雰囲気は落ち着いてるけど、なんか他の連中と違うのよね。
名前?――今、支社長が紹介してるわね。
「一ノ瀬直也くん」って言ってたかしら。スーパー物産マンって、自分の社員のとこの社員をそんな紹介する?普通おかしいでしょ。ふふっ、何よその安売りな感じの『通り名』は。
その隣には、キャバ嬢モードの美人二人。名前は――
「あらためて紹介します、亜紀くんと玲奈くんです」
あぁ、なるほどね。支社長、自慢げに言ってたわよ。「ウチのエース人材です!」って。
……美人を“人材”呼ばわり、笑わせるわね。キャバ嬢枠なのに、ほんと、よく言うわよ。
で、接待相手は?
――ふふっ、来た来た。案の定、浮ついた昭和臭オヤジたち。
名刺チラッと見たら「日中食品 本部長」?「日中食品 投資部長」?
あぁ、はいはい。大手食品会社のエラいさんね。
こういうタイプは、まず間違いなく歌いたがるのよ。
ああ、奥の間のステージが、今夜も凍結地獄になる事確定ってことかしら。
※※※
案の定――。
「おお、いいじゃないか!カラオケ、カラオケ!ステージで歌って!オンステージ!!」
「曲はなぁ……そうだ、あれにしよう。“もう恋なんてしない”だ!」
(……出たわ。“安全パイ”のつもりで地獄を呼ぶ典型パターン)
マイクを握ったのは、五井アメリカの若手男子、オンステージ。
曲が流れ始めた瞬間、私は心の中でカウントを始めた。
ワン、ツー、スリー――はい、ズレた。
サビに入る前に音程を完全に見失い、目は泳ぎ、声は裏返る。
「きみがいないと〜な、に……もできな……ぃっ……♪」
店内に響き渡るのは、ひしゃげた音。
客席は完全に冷え冷え。シラけた空気が一瞬で広がった。
(……はい、ヤバいヤバい。いつもの光景ね)
さすがに見てられなかったのか、美人二人――亜紀と玲奈がキャバ嬢モード全開よ。タンバリンで必死のサポート。キツいわ。
「すご〜い!頑張ってるじゃない!」
「声、伸びてますよ!素敵です〜!」
タンバリンで拍子をとって盛り上げに必死。
……でも、ダメ。完全に逆効果。
オジサンたちは冷めきった目でモニターを眺めてる。
(――あぁ、これは沈没コースだわ。はい、Aメロで終了)
そう思った時だった。
ステージの端に座っていた黒髪のイケメン――直也って言ったかしら?彼が、じっと状況を見ていた。グラスを置き、静かに立ち上がったわ。
「……このままじゃマズい」
小さく呟く声が、私の耳に届いた。
――次の瞬間、若手の手からマイクを奪った。
「ちょっ、大丈夫なの?直也……!?」
驚く玲奈の声を背に、彼はそのまま歌に入ったわ。
流れるのは、手拍子パートのBメロ。
「一緒にいるときは〜きゅうくつに思えるけど〜♪」
……っ!?
空気が一瞬で変わった。
声が違う。
響きが違う。
まるで別物。
パパンと手拍子を、直也はポーズも巧みに観客に求めているわ。
キャバ嬢枠の2人は、あら、やだ、もうノリノリじゃないの。
合いの手を入れて「ナオヤ―」だって。
この亜紀と玲奈は直也狙いって事ね。
もうバレバレよ、ふふっ。
今まで冷えきっていた店内が、一拍ごとに熱を帯びていく。
客席のオジサンたちも、思わず背筋を伸ばして彼を見ていたわ。
そして……手拍子してる。あらあら。
ちょっと素敵なサビじゃない。
「さよならと〜いった君の〜気持ちはわらない〜けど〜♪」
昭和オヤジたちが亜紀と玲奈に合わせて合いの手「ナオヤ」を叫んで大喜びよ。
「もう恋なんてしないなんて〜言わないよ絶対〜♪」
いきなりお店のお客さん全員で合唱するようになったわよ。
曲の最後には、
「もう契約なんてしないなんて〜言わないで絶対〜♪」
替え歌しているわ。
ふふっ。昭和臭オヤジに妙に受けているわ。
「契約するぞ!ナオヤ!」だって。もう大爆笑よ。
(……この男、ただの“座ってるだけ要員”じゃないようね)
――私の長いスナック人生で、初めて“可能性”を感じる声だったわ。
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