第1話:一ノ瀬直也

――なぜオレがここに?


頭の中で、その疑問がぐるぐる回っていた。


今、木曜日の夜だ。


月曜日に米国大統領による『日米共同となる地熱発電×AIデータセンタープロジェクト』の発表式典。そして火曜日と水曜日は、五井物産社長からのありがたい配慮により、オレと亜紀さんと玲奈はオフとさせていただき、保奈美を引率する“ご褒美タイム”を楽しんだ。本来なら、今日と明日は米国での残務整理と帰国準備の予定だったのだ。


残務整理といっても、玲奈は少しの時間でも、オレのコネクションを拡充しようとセットしてくれる会談はある。玲奈がわざわざセットしてくれたものに意味がないものなどないから、短い時間でも会合を持ち、握手する。その合間に地熱発電×AIデータセンタープロジェクトに関する米政府からの照会等への対応も発生する。一度大統領からGOサインが出てしまえば、即具体的なスケジュールに落とし込み、それに基づくタスク処理が求められるのは米国では当たり前の事。


それから日本との連絡も頻繁だ。加賀谷さんとは今回の件で何度も連絡を取り合った。総領事館とのパイプを繋いでも頂いたし、経産省との非公式折衝も対応頂いた。こちらが幾重にもお礼申し上げなければならないのに、逆に、加賀谷さんには帰国後に一度慰労会をすると言って頂いている。


亜紀さんと玲奈は、早速SPV設置を含む日米でのプロジェクト展開について、たたき台の策定を進め始めている。オレが一緒にやると言うと、「直也くんは仕事しすぎ」「もう役職的にも人を使って仕事を進めるのを覚えた方がいい」などと言われてしまい、お任せする事にした。確かにもう、このプロジェクトは巨大化してしまっているから、全てをオレが直轄管理することなど出来ない。亜紀さんと玲奈なら安心だ。


まぁ、そういった諸々を丁寧に対応している内に、あっという間に夕方になった。そして平和な夜が訪れる、そう思っていた。


それなのに――。


「いやぁ、一ノ瀬くん……本当に、すまん!もうどうにもならんのだ」


夕方、五井アメリカ支社長の個室に呼び出されたオレは、いきなり頭を下げられた。支社長ほどの立場の人間が、土下座するんじゃないかってくらいの勢いで。


「取引先がね、どうにも“飲みたい、歌いたい”って言うんだ。まぁ、昭和オヤジ世代丸出しでさ……。ウチの若いのが全然使えなくて、毎回グダグダで帰る羽目になるんだよ。だから、お願いだ、直也くん。今日本の政財界でも話題のスーパー物産マン、一ノ瀬直也くんが同席してくれれば、その話題作りだけでも場が持つ!」


「いや、支社長……オレ、帰国の準備もありますし……」


「頼む!もう、ほんと頼む!もう、お飾りでいいから!座って笑ってるだけでいいんだ!」


必死な支社長の姿に、思わず頭を抱えた。

(……どう見ても、ただの人質要員じゃないか)


けれど、あれだけ懇願されては断れない。結局オレは観念するしかなかった。


総合商社の中の総合商社と言われる五井物産だが、例えばここ五井アメリカ支社は、支社といっても、それだけで普通の事業会社よりもはるかに巨大なビジネスを進めている。そして五井アメリカ独自に採用される現地スタッフも非常に多い。アメリカの大学を卒業した日本人学生なども数多く採用されている。


そういうメンバーは、しかし日本的な接待文化に対応するのが難しいという事だろうか?


「……分かりました。じゃあ、顔だけ出します」


そう言った瞬間、なぜか横にいた亜紀さんと玲奈が、同時に手を挙げた。


「直也くんが行くなら、私も行きます」

「ええ、当然ですよ。こんなとき直也を放っておけるはずないでしょう」


……いやいや、なんでだよ。


「いや、あの、二人は行かなくても――」

「「直也くんが行くなら、私たちも!」」


見事にハモる声。


支社長は「それは頼もしい!」と喜んでいたが、オレの心境は真逆だった。

(……つまり、美人エリート社員二人が“キャバ嬢枠”で強制参加ってことか)


支社長は鼻息荒く続ける。

「よし!これで完璧だ!直也くんはスーパー物産マンとして、亜紀くんと玲奈くんはツイン美人(キャバ)物産マン参加だ!これ以上ない布陣だ!」


(……今キャバって言っていなかったか?本音ダダ漏れだし、だいたい布陣ってなんなんだよ……)


――こうして、気がつけばオレはサンノゼのカラオケスナックに向かうハイヤーの後部座席に座っていた。


ネオンが瞬く街並みを眺めながら、オレは深くため息をついた。


(いや……ゆっくり帰国準備のはずだったのに。なんでオレ、木曜の夜にカラオケスナック……?)


背広の上着のポケットには、まだ日本でお世話になっている方々へのお土産購入リストを書き込んだメモが入っている。

夜に市街地に保奈美を伴い、軽くショッピングを楽しむつもりだったのだが、やるせない気持ちになった。


保奈美はホテルまでオレが送っていった。今日はホテルでラグジュアリー気分を楽しんでくれればいい。保奈美は少し寂しそうな顔をしていたが、流石に接待に保奈美は連れていくつもりはない。もうそれだけは絶対、断固としてダメだ。


ハイヤーの窓越しに、煌びやかなスナックの看板が見えてきた。

オレの「帰国前最後の華木」は、この瞬間を境に、完全に地獄の接待ナイトへと変貌したのだった。

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