再会

 年が明け、千里は最後の手段を取ることにした。

 具体的な内容は、以前詠から教えてもらった収録スタジオの前で唯衣を待ち伏せることだ。

 千里は諦めずに唯衣に連絡を取り続けていたものの、一向に唯衣から返信が来ることはなく、もう直接会うしか方法が残っていなかった。


 もちろん、唯衣が来る保証なんてない。収録スタジオなんて都内にいくらでもある。しかし、もうここしかなかった。


 1日目は唯衣は現れず、2日目も同様だった。


 そして3日目。千里が震えながら待ち構えていると、唯衣がスタジオから現れた。


「唯衣!」


 千里は唯衣に向かって駆け寄った。


「千里? どうしてここにいるの?」


 唯衣は目を丸くした。千里が現れるなんて夢にも思ってなかったかのような反応だ。


「ずいぶん前に誤認逮捕で釈放された」


「……もしかして、待ち伏せしてたの?」


 唯衣は千里を睨みつける。


 待ち伏せしていたのは事実だ。しかしここまで唯衣が敵意のある態度を取ってくるのは千里も想定外だった。正直に「待ち伏せていた」と答えるのも気が引け、口ごもっていると、


「売り子くんじゃないか。何をしてるんだい?」


 唯衣の後ろから凌が現れた。笑みを浮かべてはいるものの、口調は千里がこの場にいることを歓迎していないようだ。


「……唯衣に会いに来ました」


 背も高く、得体のしれないところのある凌に気圧されそうになったものの、胸を張ってまっすぐ凌を見る。


「前に僕と約束したことはもう忘れちゃったのかな?」


「誤認逮捕で釈放されたので無効です」


「誤認……? まあどうでもいいや」凌は本当にどうでもよさそうに笑った。「でもさ、誤認逮捕されるってことは紛らわしいことをしてたってことだろう? そんな軽率な行動をしていては速水さんに迷惑がかかるって想像できなかったのかい?」


「っ……それは」


 事実からすると、凌の言うことは見当外れだ。しかし『速水さんに迷惑がかかる』のくだりは、千里の胸に深々と突き刺さった。


「君のことを思ってあえて言うけど、速水さんが会いたがっていないのに無理に会おうとする君のことをなんて言うか知ってる? 『ストーカー』だよ」


「……」


 何も言い返せなかった。


「じゃあ、これからは身の振り方に気をつけて。今度は誤認逮捕じゃ済まないからね」


 最後にもう一度笑みを見せて去っていく凌と後に続く唯衣を、千里は見ていることしかできなかった。


   ◇  ◇  ◇


 その日の夜。

 千里は香折の部屋で唯衣に拒絶されたことを話した。


「変、ですね」


「変ですか……?」


 千里の声は覇気がなく、目も虚ろだ。


「桐山さんは誤認逮捕だったじゃないですか。それなのに拒絶した。唯衣さんはそう簡単に愛想を尽かすような薄情女ではないはずです」


「まあ、確かに唯衣は薄情女じゃないですけど」


 クールな雰囲気で、態度がそっけないこともあるが、それは唯衣の本性ではない。


「多分、唯衣さんにも何か理由があるんだと思います」


「ってことはそれを聞き出せれば……」


 千里の目に一瞬光が宿ったものの、


「それができれば苦労しないよなあ……」


 がっくりと項垂れる。


 ついため息が出てしまい、同時に腹が鳴った。精神的に参っていても腹は減る。


「何かデリバリーしましょうか」


「そうですね……あれ」


 スマートフォンを手に取ると、予想外の人物からメッセージが届いていた。


   ◇  ◇  ◇


 翌日。

 千里と香折は都内のカフェにいた。


 高級住宅街にあるためか、周りの客の雰囲気も余裕があるように見えるし、あちこちから明らかに日本語ではない会話が聞こえてくる。


「私たち場違い感満載ですね」


「はい……」


 落ち着かなくて、無意識のうちに体を縮こませてしまう。


 怜はなぜこんなところを指定したのだろう……と思っていると、制服の上にコートを着た怜が現れた。


「お久しぶりです」


「あ……久しぶり」


 千里は怜に挨拶を返すと、視線を外した。どう接したらいいのか分からなかったからだ。


「……この度は迷惑をかけてしまって本当にすみませんでした」


 怜は前触れなく千里に向かって頭を下げた。周りの客がチラチラと千里たちを見始める。どう見たって好意的な視線ではない。


「……とりあえず、座らない?」


「はい、そうですね」


 椅子を勧めると、怜は千里の向かい側に座った。


 どこから話したものか千里は悩んでいた。怜は何者なのか、誤認逮捕で釈放されたのは怜が何かしたからなのか――。


「それで怜ちゃんは何者なんですか」


 千里が悩んでいるのをよそに、香折が単刀直入に尋ねた。


「そうですね……驚かないで聞いてほしいんですが」怜は千里、香折の順に目配せをした。「わたしは宇部義和の娘……宇部奈々子です」


「……え?」


「はい?」


 2人揃って固まった。


 当然、総理大臣にだって家族はいるに決まっている。しかし、こうやって目の前に総理大臣の娘が目の前にいて、しかも以前は自分の家に居着いていただなんて千里には信じられなかった。とはいえ、そんな大物の娘でもなければ法を捻じ曲げるなんて無理だろう。


「やっぱり、信じてもらえないですよね」


「いや、信じるよ。でも、どうして家出を?」


「わたし声優になりたかったんです。だけど当然反対されて……まあ、『お兄さん』を助けるために交換条件で諦めましたけど」


 怜は寂しげに笑う。


「諦めた?」


「お兄さんにはお世話になってましたし、皆さんと一緒にいたひとときはとても楽しかったです。なのにそれを仇で返すようなことはしたくなかったんです」


 返す言葉がなく、千里は視線を落とす。怜に夢を諦めさせてしまったのだ。何を言っても、自己満足になる気しかしなかった。


「お兄さん。気に病まないでください。どうせ遅かれ早かれ、諦める運命だったんです。大事なのは、お兄さんも楽しかったかどうかです」


「……楽しかったよ。最初は最悪な気分だったけどね」


「あ、もちろん私も楽しかったですよ」


「その答えが聞きたかったです」千里と香折の回答に怜は満足げに微笑むも、すぐに顔を曇らせた。「でもまだ元に戻せていないものがあります。速水さんが声優活動をやめることになったのは、おそらく間接的にはわたしのせいです。本当にごめんなさい」


「それは……分からないけど、怜――じゃなくて宇部さんが気にすることじゃないと思うよ」


「ありがとうございます。でも呼び方は今まで通りでいいですよ。私とお兄さんの仲じゃないですか」


 まだ固かったが、怜は笑みを浮かべたものの、すぐに真顔になり、


「だから、わたしがなんとかします」


 その場でメッセージを打ち始めた。

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