どうすればいいのか分からない

 自宅に近づくに従って、千里の不安は強まる一方だった。

 朝、突然刑務官から「誤認逮捕で釈放だ」と告げられたかと思うと、訳も分からないまま本当に釈放され、今に至る。


 ニュースサイトをチェックしてみた限り自分のことは報道されていないようだが、今の世の中どこから情報が漏れるか分からない。

 嫌がらせでもされていたら困るなと思いながら自室のドアの前に立つ。特に変化はなかった。


 鍵を開け、家に入る。

 郵便受けを確認するとゴミが入れられているということはなかったが、一枚のA4用紙が投函されていた。


『オーナー変更のお知らせ』


 即座に千里は唯衣に電話をかけたが、呼び出し音が繰り返されるだけだった。

 ため息とともに通話を切りホーム画面を表示させる。ニュースアプリのウィジェットに、目を引く見出しが表示されていた。


『人気声優速水唯衣、女優業に専念』


 飛ばし記事かと思いつつページを開くと、事務所のホームページへのリンクが張られており、そこにも『女優業に専念する』と書かれていた。


 まるで逮捕されている間に並行世界へ飛ばされた気分だった。

 怜が居着いていたことも、唯衣と恋人だったのも全部幻覚を見ていたような気すらしてくるが、家に残されている怜のために購入した日用品が事実だと告げてくる。


 千里はベッドに背中から倒れ込み、ただぼんやりと天井を眺める。

 何もしたくなかった。出所直後に世良から連絡があり、懲戒解雇の取り消しと、しばらく休むようにという連絡を受けていたので、仕事もない。


 とはいえ、何もしていなくても腹は減る。

 気がつけば外は暗くなり、何か買ってこようと外に出ると、コンビニの袋を持った香折と出くわした。


「……もしかして脱獄ですか?」


「よく分からないんですけど、誤認逮捕で釈放されて」


「……とりあえず、うちに来ませんか?」


   ◇  ◇  ◇


 千里は香折とお互いの知っていることを話し合い、香折も唯衣と連絡を取ってみたものの納得の行く回答は得られず、音信不通になってしまったことを教えてくれた。

 そして千里は自分がなぜか『誤認逮捕』で釈放されたことを伝えた。


「誤認逮捕というのは解せませんね。言ってしまえば怜ちゃんが存在しなかったと言ってるようなものです。私たち集団幻覚を見てたんですか?」


「そんなまさか」


「ですよね。つまり、超法規的措置が行われたということです。怜ちゃんって何者なんでしょう?」


「……さあ?」


 アニメやマンガなら、正体は政府を裏で牛耳る別世界や宇宙からの来訪者だったりするのだろうが、あいにくここは現実だ。


「まあでも、とりあえず飲みに行きませんか? 桐山さんの刑期満了祝に」


「いや、俺誤認逮捕なんで」


   ◇  ◇  ◇


 2人は近所の飲み屋で顔を赤くしていた。


「ホント、急に引退なんて意味が分かりません。唯衣さんの身に何かあったに決まってます」


 香折はジョッキをテーブルに叩きつける。唯衣ほどではないが、どうやら酒には強くないようだ。


「そういえば、あの企画はどうなったんですか」


「もちろん、凍結です。他の声優さんを代役にという案もありましたが、唯衣さん以外考えられないので」


 香折はアルコール混じりのため息をつく。


「本当にどうしちゃったんでしょうね」


 持ち上げたジョッキに口をつけず、テーブルに置く。


「あ、すみません。落ち込みたいのは桐山さんもですよね。今日は桐山さんお勤めご苦労さま会なんですから、辛気臭い話はやめて飲みましょう!」


 香折はジョッキを持ち上げ、千里に向ける。


「……どうして東さんは親切にしてくれるんですか?」


 いくら『友達』とはいえ、香折は人気イラストレーターだ。本来ならば飲んでいる時間も惜しいはずだ。


「あれあれ、それ聞いちゃいますか〜? 東香折ルートに入っちゃうかもしれませんよ?」


「じゃあいいです」


「ちょっと! そこは聞く流れじゃないんですか?」


「いや……速水唯衣ルート以外は考えられないので」


 酔っているせいか、本音が出た。

 これから奇跡が起きて魅力的な女の子と出会えたとしても、唯衣以外考えられなかった。


「なるほど。桐山さんも成長したものですね。では今回は特別に教えてあげます。最初会ったときに『性別とか関係ないです。こんなカッコいいもの描けるんですから』って言ってくれたこと覚えてますか?」


「そんなこと言った気がしますね」


 自分でもクサいこと言ったなという自覚があったので曖昧に答える。


「うれしかったんですよね。心から思ってくれてるんだなってのが伝わってきましたし。

 やっぱり、女がロボットアニメ好きなの変だよなって思っちゃうんですよ。だから東スメルのアカウントも性別が分からないようにしてました」


「……」


 確かに千里自身も生身の香折に会うまではおっさんだと思っていたが、それはどうやら意図的なもので、理由にも意味があるものだった。


「私に乗り換えてみてもいいですよ?」


「いや乗り換えませんから」


「へえ、そんなに唯衣さんの体がよかったんですか? 私も胸の大きさなら負けてないと思うんですけどね」


 香折は左手で自分の胸をひと揉みした。


「か、体は関係ないです」


 千里は目のやりどころに困り視線をそらす。

 香折にはこれ以上飲ませないほうがよさそうだ。


「体でないとすると……あ、もしかして『〇〇の声でやってよw』とかしましたね!?」


 香折は千里に向かって身を乗り出してきた。


「いや、そんなことしてませんから……あの、ちょっと言いにくい話なんですけど」


 千里は香折に凌との一件を話した。


「はあああああああああ!? そんなの無効に決まってるじゃないですか。ノーカンですノーカン!」


「あ、はい、ありがとう、ございます……」


 予想の何倍ものリアクションが返ってきて、千里は引きつった笑みを浮かべる。

 しかし、内心では嬉しかった。


「いえ。一般の方でも人気声優が恋人でもいいんですよ。誰が何を好きでもいいんだって桐山さんが教えてくれたじゃないですか」


「そう……ですね」


 いい友人を持ったな、と改めて思う。


 唯衣を取り戻さなければならない。

 しかし、その方法もみつからないままだった。

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