なんでだよ!

 唯衣はその日、オーディションを受けていた。

 作品名は『ベクタースター Andromeda』。制作会社を変更した、実質的なリメイク作品だ。

 制作会社は変わったとはいえ、主要スタッフもキャストも同じになる予定だったが、1人だけ例外があった。


 メインヒロインのヌル役だ。

 ヌル役を演じていた声優は引退してしまっており、今回唯衣が参加しているオーディションは、ヌル役を決めるためのものだった。


 イベントやキャラソンが企画される可能性を考えると、若い唯衣は有利だ。とはいえ、唯衣自身うぬぼれられるほど自信があるわけでもなく、一回り年上の先輩たちが役を勝ち取ってしまう可能性もあった。


 しかし、唯衣は何が何でもこの役は勝ち取りたかった。唯衣の人生を決めてしまった、特別な作品なのだから。


 オーディション会場として使われているスタジオの廊下には椅子が並べて置かれ、唯衣は自分の出番を待っていた。隣には、順番が唯衣の前の詠が座っている。


 事前に渡されていたセリフの書かれている紙に一瞬視線を落とし、すぐに顔を上げた。

『ベクタースター』のセリフがそのまま使われており、作中のセリフほとんどを覚えている唯衣には無用の長物だ。


「余裕そうだね」

「人並みには緊張してますよ」


 唯衣が緊張しているのは『役を得られるかどうか』が不安であって、上手くやれるかどうかについては全く心配していなかった。むしろ、現役の全声優の中で一番上手くヌルを演じられる自信すらあった。


 しかし上手ければ、役に合っていればオーディションに勝ち残れるわけではない。人気や容姿などといった、実力以外の要素で決まってしまうこともあるのが現実だ。


「へえ、そうなんだ。私この日のためにベクタースターを2周したよ」

「そうですか」


 全く感情が動かなかった。唯衣はすでに詠の10倍以上見ていたからだ。同じシーンで何度も泣き、笑っていた。


「負けないからね」


 出番が回ってくると、詠は立ち上がり、唯衣を一度も見ることなくブースへ向かっていく。


 外からは詠の声は聞こえてこない。目を閉じ、気持ちを落ち着ける。


 まだ勝ち取れてもいない役に入れ込むなんて非効率で、プロ失格だと思う。

 それでも、この役を勝ち取りたかった。


 次に目を開けると、詠がブースから出てきたところだった。特になにか話すことなくブースへ入ると、コントロールルームにいる音響監督をはじめとしたスタッフたちに「24エンタープライズの速水唯衣です。よろしくお願いします」と頭を下げた。


「始めてください」


 唯衣はマイクの前へ向かう。視界にあるのはマイク一本だが、今の唯衣には違うものが見えていた。


 地球から遠く離れた星の、地球とは似ても似つかない光景。地球へ流れ着き出会った地球人の男の子……。


 もちろんマイクに声を吹き込むことを忘れてはならない。あくまで演技であって、なりきるのではない。


 しかし今、唯衣の中には想像力で作り上げられた『ヌル』という少女が存在していた。


「地球? ああ、太陽系まで流されてしまったのですね。あれ? 私の言うことわかりますか? 翻訳機の調子が悪いのでしょうか」


 セリフの横に『抑揚控えめで』とあったので、機械音声かのように演じてみせた。セリフは覚えていたので空で演じた。


「ユーイチ。もう一度私と一緒にベクタースターに乗ってください。私とあなたなら、5500万パワーズです」


『日本の文化を間違って覚えた留学生のようなイメージで』という抽象的な注文がセリフの横に書かれていたので、わざとイントネーションを外し、注文に応える。


「さようなら裕一。私も地球人に生まれていれば……いや、そんなこと言っても仕方がないですね。でも……私も地球で普通の女の子に生まれて、裕一と恋したかった」


 最後のセリフは記憶を取り戻し、地球へ向かってくる生まれ故郷の艦隊へ突撃する前に一人つぶやくセリフだ。


 このセリフは自分の解釈で演じて問題ないようだ。自分の中の『ヌル』の気持ちを代弁するように、マイクへ声を吹き込む。


 思わず、涙が出ていた。


 しかし何事もなかったかのように「ありがとうございました」と挨拶をして、収録ブースを後にする。


 すでに詠の姿はなかった。オーディションの結果は後日発表なので、唯衣も手応えを胸にその場を後にした。


   ◇  ◇  ◇


 詠がお手洗いから戻ると、唯衣の姿はなかった。


 唯衣で最後なのでコントロールルームのドアは開いており、中にいたスタッフたちが立ち話をしていた。詠には気づいていないようだ。


「監督的にどうです? まあ聞くまでもない気がしますけど」


 そう尋ねたのは、詠も顔に見覚えのあるプロデューサーだ。


「まあ速水唯衣で決まりでしょ」

「大原詠も悪くないんですけどね〜。速水唯衣と比べるとね」


「……」


 詠は音を立てないようにスタジオを後にした。しばらく無言で歩き続け、立ち止まる。


「なんでだよ!」


 不意に大声を上げた。


 周囲の通行人たちは詠へ視線を一瞬向け、即座に視線をそらす。


 また唯衣だ。


 もちろん言われなくても、自分は全てにおいて唯衣に劣っているのは分かっている。しかしああやって第三者の口から聞かされると、自分に存在価値がないような気がして、消えてしまいたくなるのだった。

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