かわいすぎる!
18時30分。千里は香折の部屋にいた。
ちなみに香折の部屋にいる理由は、怜が香折に唯衣とのことを話してしまっており、香折にも事の顛末を話せと言われたためだ。
「なるほど、仲直りできて良かったですね」
香折は机に向かってイラストを描きながら笑みを浮かべる。
「……まあ、そうですね」
そっけなく答えるが、内心では文字通り命拾いでもしたかのように安心していた。
「ところで、私今度誕生日なんですよね」
「ずいぶんとアピールしてきますね。まあ、前にお世話になりましたし、何か考えておきます」
「はあ……」香折はため息をつくと顔を上げ、千里を見た。「この流れなんですから、察してくださいよ」
「いや、分からないですから」
本当に分からなかった。
「しょうがないですね、答えを教えてあげます。私の誕生日プレゼントを買うのに付き合ってくれってかこつけて、唯衣さんをデートに誘うんです」
香折は手にしているペンの先を千里に向ける。
「はい……?」
「あとついでにタメ口で話せるようになってください」
しれっと高難易度のミッションを付け足してきた。
「ついでにしては重くないですか? そっちはそのうちでも……」
「そうやって何かと言い訳してるうちにいい人止まりで終わってしまって、ある日速水さんから彼氏を紹介されてもいいんですか? せっかく『共通の友人へのプレゼントを買いに行く』という自然な理由でデートに誘えるんですから、距離を詰められるだけ詰めなければダメです」
「……それは、確かに」
『ただのいい人止まり』という言葉が耳に痛くて説得力があったが、一つ疑問が残った。
「でもちょっと待ってください」
「あ、何かと理由をつけてデートに誘わないつもりですね? 本木凌に取られてしまっても知りませんよ?」
「そうじゃなくって、どうしてここまでしてくれるんですか?」
距離感が近いから忘れがちだが、香折とは知り合って間もない。それなのにここまでしてくれるのが不思議だった。
「それはもちろん、友達だからですよ。あと、知人に『一般の方』が誕生するところを見てみたいですしね」
「どうせそんなことだと思いましたよ!」
ちょっとでも感謝の気持ちを抱いたのが間違いだった。
「それより、早く連絡入れましょう。桐山さんも速水さんとデートしたいですよね? したくないなら別にいいです。友達3人くらい経由すれば、適当な男を速水さんに紹介できるでしょうし」
香折はスマートフォンを両手で持つと、メッセージを打ち始めた。
なんだかんだで香折は交友関係が広そうだ。本当に唯衣へ男を紹介するくらいは簡単だろう。
「わ、分かりましたよ」
唯衣あてに『香折への誕生日プレゼントを買うので付き合って欲しい』という旨のメッセージを打ち始める。
「ところで、その髪型で行くつもりですか?」
「あ」
最後に切ったのはずいぶん前で、襟足もだいぶ伸びてしまっている。
「はあ、そんなことだと思いました。私が行ってる美容室を教えてあげますから、とりあえず今は服を買いに行きましょう。どうせデートに着ていけるような服持ってないですよね」
香折は椅子から立ち上がり、ハンガーにかけてあったコートを手に取った。
「確かに持ってないですけど……男の服分かるんですか?」
「私イラストレーターですよ? 男性のイラストも普通に描くんだから当然です」
「なるほど……」
言われてみれば確かにそうだ。失礼な質問だったかもしれない。
「そしたら、怜ちゃんも誘ったほうが楽しそうですね。あ、夕飯奢ってくださいね?」
「それが目当てか!」
◇ ◇ ◇
次の休日。
千里はターミナル駅の改札口で唯衣と待ち合わせていた。
駅に着いてから3度駅のトイレで身だしなみをチェックしたが、それでも不安で仕方がない。心臓の音がやたらうるさくて、さらに緊張が増していく。
待つこと15分。約束の時間5分前に現れた唯衣の姿に、千里は固まった。
今日の唯衣はニットの上にコートを羽織り、柄物のミドルスカートからは黒タイツを履いた足が伸びている。
普段と大きく変化があるわけではない。しかし服装、メイク、髪型、どれをとっても明らかに普段より『気合』が入っているのが見て取れ、それがさらに唯衣をさらに輝かせていた。
「……どこか変ですか?」
唯衣に声をかけられるまで、千里は唯衣に見とれてしまっていたことに自分でも気づいていなかった。
「あ、いえ、変じゃないです!」
「それならよかったです。こうやって男性と2人でお出かけすることって今までなかったので、せっかくですし普段と少し変えてみたんですよね」
「……いやいや、流石にウソですよね?」
思わず顔が苦笑で引きつる。
「私子供の頃から仕事してましたし、だから友達も全然いなくて」
「いやでも、同じ業界の人……とか」
深掘りしてもダメージを受けるだけなのに、気になって聞いてしまう。もしかして自分はマゾヒストなのかも、と千里は思う。
「狭い業界なので付き合ってるときはいいですけど、別れた後に同じ現場になるのも嫌だなって思って誘いは全部断ってました」
「なるほど……」
狭い業界だ。確かに『何か』あったら面倒そうだ。
「あ、そういえば」唯衣は千里を見る。「雰囲気かわりましたね」
唯衣と目が合う。心臓の鼓動が早くなり、反射的に視線を外す。
「……俺も女の人と出かけることって全然なかったので、ちょっと、頑張ってみました」
「そうなんですか。意外です」
「専門では勉強ばっかりしてたので……」
失恋の傷を見ないで済むよう、専門時代は文字通りキーボードを打ち込みまくっていた。
「あ」
何かを見つけたのか、唯衣が声を漏らす。
「どうしました?」
「ってことは私達初めて同士なんですね」
無意識のうちに唯衣に顔を向けてしまっていた千里は、唯衣の微笑みを直視してしまい―― 時が止まったような気がした。
騒がしかった周りの音も、雑多な周囲の光景も消え、唯衣以外認識できなくなってしまったかのようだった。女の子の笑顔は魔法だ。幸福感に胸が詰まるような感覚がしてくる。
唯衣と恋人になれたら、いつでもこんな幸せな気持ちになれるのかと思うと、そんな未来を想像せずにはいられなかったが、現状では妄想でしかない。
「……確かにそうですね」
再び前を向き、内心を悟られないように平静を装う。
「そういえば、どこへ行くんですか?」
2人並んで歩き始めると、唯衣が尋ねてきた。
「紅茶を買おうかなと思って。前にチラッとお茶が好きだって言ってたので」
「へえ、いいですね。……東さんって紅茶よりエナドリのほうが好きそうですけど」
「それは確かに」
ちなみに香折から店と何を買うかは指定されており、おまけにその後のデートプランまで東香折プロデュースだ。
店までのルートは頭に叩き込んでおいたため迷わず到着できたものの、店に入るなり千里は情けない言葉を発しそうになってしまった。
「たっ……」
「た?」
高い、と言いそうになったのをギリギリのところで留まることができたものの、唯衣に聞かれてしまっていた。
「あいや、たっくさん種類があるんだなって」
確かに高いが、店に入るなり値段の話だなんてありえない。
「確かにこれだけあるとどれにするか迷っちゃいますね」
唯衣に怪しんでいる様子はない。うまくごまかせたようだ。
香折から何を買うかはすでに指定されているが、迷わずに何を買うかを決めてしまっては怪しまれるリスクがある。悩むふりをして店内をうろついていると、同様に店内をうろついてた唯衣は気になる茶葉があったのか、サンプルの香りを嗅ぎはじめた。
「あ、これいい香り」
「よかったら、ついでに買いましょうか?」
チャンスだと思った。唯衣の横に立ち、声をかける。
「いえ。私は誕生日ってわけでもないですから」
唯衣はサンプルを鼻から離し、元の場所へ置いた。
「……確かに誕生日でもないのにプレゼントってのも変ですよね」
気まずさをごまかすために作り笑いを浮かべる。
「もしかして気を使ってるなら気にしなくて大丈夫ですよ」
「いや、そういう訳じゃないんですけど……あ、これにしようかな。買ってきますね」
図星だったのをごまかすように香折から指定された茶葉を手に取ると、逃げ出すようにレジヘ向かう。
現時点では0点だろう。思わずため息が出てしまった。
◇ ◇ ◇
店を後にすると、千里は何度も脳内シミュレーションしていた言葉を発した。
「何か他に見たいものありますか?」
「うーん……服はこの前買ったし……特にないですかね」
「よし、じゃあちょっと、お茶……でもしませんか?」
「いいですよ」
唯衣も快諾し、ここから挽回だ! と意気込んでいたものの、そううまくは行かなかった。
どのカフェも混んでいる混んでいる。どこも1時間以上は軽く待たされそうだ。
ふと唯衣の足元へ視線が行く。ハイヒールではなくパンプスだが、少なくとも長距離歩くのに適した靴ではないだろう。早く店を見つけなければ減点されてしまう。
冷や汗をかきながらマップアプリで調べていると、駅から離れたところにある店を見つけた。
「あ、ここから少し歩いたところに店あるみたいです。レビュー見ると穴場って書いてあるので、空いてるかもしれません」
辺りの風景を見るふりをして唯衣の表情を伺うと、少なくとも不機嫌そうには見えないが、感情があまり表に出ない唯衣だ。今この瞬間も減点の真っ最中かもしれないと思うと怖くなってくる。
「はい、じゃあそこにしましょう」
淡々としたいつもの態度が今は辛かった。
◇ ◇ ◇
店内はずいぶんと年季が入っていた。
全体的に赤茶けた雰囲気で、清掃はされているようだが、壁紙の色やテーブルの劣化具合がノスタルジーを抱かせる。どうやら天然のレトロ喫茶のようだ。
唯衣は席に着くと、店内を見渡し始めた。
「いい雰囲気ですね」
「あ、それならよかったです」
ひとまず一安心。思わず安堵のため息が出る。
千里はラミネートされたメニューを唯衣に向けて開いた。意外とケーキは種類豊富だ。
「何個にしようかな……迷いますね」
唯衣は真剣な表情でつぶやく。
「ゆっくり決めてください」
すぐに決めてしまった千里は唯衣に笑みを向けると、水を飲んだ。唯衣の発言にひっかかりを覚えたものの、気のせいだと流すことにする。
「すみません、なるべく早めに決めますね」
唯衣は再びメニューに視線を落とし――そして3分が経過した。
「うーん……」
5分経過。
「う〜ん……」
そして10分が経過しても、なおも唯衣は悩み続けていた。
メニューを見下ろし続ける唯衣の様子は、さながら囲碁か将棋で劣勢に追い込まれ、次の一手に悩む棋士のようだ。
これには千里も予想外だった。ケーキ一つでここまで悩む人は見たことがない。
しかし普段は物事に執着のなさそうな唯衣がメニューを真剣に見入っている姿はギャップがあっておかしくて、「うーん」と唸る声は耳に入るだけで自然と笑顔になってしまう。
急かすことも声をかけることもせずただ唯衣を眺めていると、12分経ってようやく唯衣は顔を上げた。
「決めまし……すみません、私どれくらい悩んでました?」
「10分くらいですかね?」
「ごめんなさい」
唯衣は申し訳無さそうに頭を下げる。
「あいや、あっという間でしたから気にしないでください。それより頼みましょう」
近くにいたスタッフを呼び、注文する。
唯衣が選んだのは、ショートケーキ、チーズケーキ、モンブランに紅茶だった。
「わぁ……」
3種のケーキがテーブルに運ばれてくると、唯衣は財宝を前にしたかのように目を輝かせた。
千里も甘いものは好きだが、普段の唯衣とのギャップも相まって、今は唯衣をひたすら眺めていたい。と思ってしまうほどだった。
千里がつい見とれてしまっていると、視線に気づいたのか唯衣の表情が真顔へ変わっていく。
「変……ですよね」
先ほどまでとは別人のような表情で千里を見る唯衣。
「いえ! 全然。むしろかわいいなって思いま――」
つい口を滑らせてしまった。慌てて口を押さえるがもちろん手遅れだ。
「かわいい」
「あいや、その、かわいいっていうのは言葉の綾というかなんというか、動物に対するかわいいに近いような……いやこれも違うな。とにかく、別に、引いてはいないです。なんていうか、声優ってアスリートみたいなものですし、消費カロリー多そうだからしょうがないのかなっていうか」
頭をフル回転させながら取り繕うが、ごまかせていない。
「……まあ、たしかに演技した後はお腹も空きますね」
唯衣もこの話題を続けたくないのか、千里の破綻した言い訳に追求してくることはなかった。
しかし、ここからが本番だ。
「いいですか。基本は速水さんに話をさせるんです。そして深掘りしてください。毎回である必要はないですけど『はい』か『いいえ』で答えられる質問は避けてください。もし唯衣さんから質問があったらもちろん答えていいですけど、自慢話は絶対にダメです。いいですね?」
事前に香折から受けたアドバイスを千里は頭の中で反芻していた。
「深掘りする。自慢話はしない。深掘りする。自慢話はしない」
「何か言いました?」
無意識のうちに口に出てしまっていた。
「あ、すみません。つい仕事のこと考えちゃって。はは」
仕事を理由にしたのは、少なくとも非難はされないだろうと反射的に思ったからだ。
「仕事お好きなんですね」
唯衣は気分を害しているということもなさそうだったが、千里は唯衣の発言の意図をはかりかねていた。
「……そういう訳でもないんですけど、無意識のうちにやっちゃうんですよね。そういう意味では好きなのかも」
とりあえず正直に答えることにした。実際、無意識で脳が考え続けているのか、休日の間に問題解決のアイディアが急に浮かび上がってくることがあり、月曜日が来るのが少しだけ楽しみになってくる。
「好き……ですか。私は今の仕事好きなのかな、ってふとしたときに思うことがあるので羨ましいです」
「あっ、それより、食べましょう!」
この話題は地雷なことに気づき、千里はケーキを手で示す。
「確かにそうですね」
2人揃って手を合わせ、お互いケーキに手を付ける。
「うまい」
千里は思わず感想を口にしていた。唯衣もきっと気に入っているはずだと思い視線を向けると、別人のような顔をした唯衣がそこにいた。
目を細め、おいしい、というよりは、心地よいという言葉がぴったりな表情でケーキを咀嚼している。
一瞬困惑したものの、普段とは別人のような隙だらけになってしまった唯衣につい視線が行ってしまい――目が合った。
「……」
唯衣は真顔に戻ると、無言で紅茶を飲みはじめたものの、
「速水さん……髪の毛が」
カップの中に入ってしまっていた。
「……油断しました」
唯衣はハンカチで毛先を拭き取り、そして今度は消しゴムでもかじっているかのような固い顔でケーキを食べ始めた。
「ケーキはおいしそうに食べたほうがいいと思いますよ」
「変じゃないですか? 子供みたいで」
「思いませんよ。思うはずないです」
変なはずがない。唯衣のお茶目な一面を見られて、逆に微笑ましくなってくる。
「それなら……」
最初は固さの残る表情でケーキを食べ始めた唯衣だったが、徐々に表情が緩み始め、クールな美人が『いい意味』で台無しになっていく。
「本当にケーキが好きなんですね」
「まあ、一般平均以上は好きだと思います」
唯衣は恥ずかしいのか、視線を落としたまま答える。
いい流れだと思った。まさに深堀りするチャンスだ。
「ケーキをそこまで好きになった理由があったりするんですか?」
「そうですね……」チーズケーキを食べ終えた唯衣はフォークを置いた。「私昔は子役をやってたんですが、わがままばかり言う私に母が言う事を聞かせるためのごほうびがケーキだったみたいなんです」
ケーキに目を輝かせる幼い唯衣がたやすく想像できてしまった。
「そういえば親子で声優なんですよね」
「厳密には母は『元声優』ですね。今は私のマネージャーをやってます」
「お母さんがマネージャーって珍しいですね」
なんとなくだが、マネージャーを家族がやるイメージがなかった。
「将来的には私に女優業もやってほしいみたいで、それを見越してマネージャーをやってるみたいです」
確かに唯衣は写真集を出すほどで、当然『実写映え』するだろう。
しかし、唯衣がさらに遠くの世界に行ってしまうような気がした。今はたまたま接点があるだけで、本来は遠い世界の住人だと分かっていてもだ。
それに俳優なんてヤリチンばっかりに決まっている。そんな世界に足を踏み入れたら最後、唯衣が毒牙にかかってしまう!
「……速水さんなら天下取れそうですよね」
しかしせっかくいい流れなのに、本音を言って場をしらけさせたくなかった。無理に笑顔を作り、心にもない言葉を口にする。
「ふふ、なんですか天下って」
ちょっと面白かったのか、唯衣の口元に笑みが灯る。
「きっと女優と声優で二冠取れますよ」
しかし笑いは取れた。内心に生じるネガな感情に目を向けず、盛り上げに徹する。
「それは言いすぎですよ」
否定しつつも、唯衣の態度はまんざらでもなさそうだった。
なんだか口が回る。場の雰囲気のおかげだろうか。心にもないことを言った結果なのはいただけないが、打ち解けられてきたのは間違いないだろう。
しかしまだ『タメ口で話せるようになる』は達成できていない。いきなり難易度が上がり過ぎだが、このままではいい人止まりだ。
自然な話の持っていき方が見つからず悩んでいると、バイブ音が唯のカバンから聞こえた。
「すみませんちょっと」
「あいえ、気にしないでください」
唯衣はスマートフォンをカバンから取り出して操作し始め、顔を上げると千里を見た。
「ごめんなさい、事務所から……というか母から仕事についての連絡が」
「え……あ、それなら仕方ないですね。出ましょうか」
それにしても間が悪い。タメ口で話せるようになる、というのは香折からの指示だが、千里だって唯衣と仲良くなりたいと思っているのだ。
しかし仕事ならば仕方ない。立ち上がり、伝票を持ってレジへ向かう。
「会計は割り勘でいいですよね」
「あ、はい」
全部出したいところだったが、紅茶屋で断られたばかりだ。今回も断られてしまうだろう。
先に千里が自分の代金を払おうとすると『キャッシュレス決済は利用できません』とレジに張り紙がしてあった。
古い店だし仕方ないよな……と思いつつ現金で払おうとすると……ない。
「どうしました?」
「その、ちょっと足りないみたいで」
「じゃあ、ここは私が出しますね」
唯衣は特に嫌そうな態度を見せることなく、千里の分も代金を支払った。
「すみません」
「いえ。気にしないでください」
会計を済ませ、並んで店を出る。
今日の結果に千里は焦っていた。長時間唯衣を歩かせ、あげくの果てにお茶代を払わせてしまっている。減点要素しかない。
このままではダメだ。絶対に挽回しなければ!
「次は、自分に奢らせてください」
「別にこれくらい大丈夫ですよ?」
唯衣の発言を聞いて、千里は以下の2つの解釈をした。
『もう2人で出かける気はないから次はない』
『今回はやむを得ない事情があっただけだから次は割り勘にしよう』
もし前者だったら……と思うと寒気がしてくる。
「いや、同い年で奢られっぱなしもどうかなって」
意識して笑顔を作り、あえて後者の前提で話を続ける。
「そう言うなら。というか同い年だったんですね」
「そ、そうなんですよ」
もしかして年下に見られていたのだろうか、と千里が思ったのもつかの間、
「なんとなく年上かと思ってました」
思わずため息が出る。さっきから唯衣に振り回されっぱなしだ。
しかし、この流れはチャンスだと思った。
「あれ、でもそうならずっとお互い敬語なのも……なんですよね」
煮え切らない物言いだったが、今の千里にとってはこれが精一杯だった。試験の結果を前にした受験生のような気分で唯衣の反応をうかがう。
唯衣は即答せず若干間が空いたものの、
「ふふ……そうだね」
微笑を浮かべ、タメ口で応えてくれた。
2人の間にあった見えない壁が1枚消えた気がした。
端から見たら、大人同士のやり取りにしては初々しいと思われるだろう。
しかし、あの速水唯衣と……いや、目の前の魅力的な女の子とそんなやり取りができるなら、どうでもいいどころか、大歓迎だった。
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