オーナー

 夕方。千里の自宅。


 千里がノートパソコンを閉じ、背もたれに体を預けながら伸びをしていると、怜が近づいてきた。

「お腹すきました」

「……今は俺が保護者だもんな」と返事して立ち上がると同時にインターホンが鳴った。


 通販で何か注文した記憶はない。となると宗教か、ウォーターサーバか、ヤクルトか……。


「はい」


 インターホンについているマイクに向かって返事をする。


「はじめまして。新しくオーナーになった速水といいます」


 相手は若い女性のようだ。音質が悪いインターホン越しでも聞き取りやすい声で、同時に聞き覚えもあるような気がした。

 確か『ハヤミ』と名乗っていたが、まさか、と思いながら玄関に向かい、ドアを開ける。


 立っていたのはそのまさか。声優の速水唯衣だった。


 16歳でデビューし『前世も声優だったのでは』と言われるほどの演技力で、今や毎クールで何本もレギュラーを抱える人気声優だ。


 鎖骨に掛かる程度の長さの黒髪は薄暗くてもつややかさが分かり、一見無表情でとっつきづらそうな印象を抱くものの、星空に照らされた海を閉じ込めたような目には、とっつきづらさすらも逆に好意的に捉えてしまうような魅力があった。ただ立っているだけでも1枚のポートレート写真のようだ。


 自分の視覚が信じられなかった。同じ次元に存在しながら存在しないも同然の『人気声優 速水唯衣』が、今、目の前にいる。


「はっ、速水、唯衣……さん」


 声が裏返り、本人を前にして呼び捨てしそうになってしまい、慌てて敬称を付け足す。


「私のことをご存知ですか?」


「え? えと、ハイ。ご存知ております」


 緊張のあまり言葉遣いがおかしくなってしまった。

 もっと色々言いたいことはあったはずだ。しかし本人を前にして何も言葉が出てこない。


「お兄さん? どうしたんで――え!」

「ぐぇ」


 様子を見に来た怜は千里を突き飛ばし、千里の前に出た。


「あの、速水唯衣さんですよね?」


「あ、はい。お二人はごきょう――」


 唯衣が最後まで言い終える前に、怜は唯衣の両手を取っていた。


「わたし速水さんの出る作品とインタビュー記事は欠かさず見ています。『俺レベル99が上限の世界でレベル1024の勇者に転生して魔王も女王も奴隷もハーレムの一員にします』はクs……じゃなくてお蔵入りさせたほうがよかったのではという出来でしたけど、速水さんの演技だけは最高でした! あと、最近音声作品も聴きました。本当に、声優をやってくれていて、いやこの世に存在してくれてありがとうございますと改めて思うほどよかったです」


「はい、ありがとうございます……」


 早口で自分が言いたいこと言っているようにしか見えない怜に、唯衣は表情こそ崩れていないものの、声から困惑しているのが伝わってくる。


「それからそれから、将来は声優になって速水さんと共演してあわよくばダブルヒロインを2人でやって、意外性を突いて速水さんが元気系ヒロインで、わたしがクール系の――」


「あのー、なんの騒ぎですか?」


 千里の部屋から3つ離れたドアが開き、千里と同い年くらいの女性が現れた。怜と唯衣の中間くらいの長さのピンク髪をポニーテールにし、顔には疲れが滲んでいる。


 彼女は唯衣を見るなり、音も立てずに駆け寄ってきた。


「速水唯衣……? 本物……? すごい、髪の毛サラサラ……ホントに人類……?」


「あの……?」


 謎のピンク髪の女性は至近距離で唯衣を観察し始め、さすがの唯衣も困惑した様子だ。


「あの、速水唯衣さんをご存知なんですね」


 千里がピンク髪の女性に声をかけると、


「速水唯衣の代表作といえば」と質問を質問で返し、千里を見定めるような視線で見てきた。


「……VVV. ビクトリーマン(スリーファイブビクトリーマン)の古都すずりです」


 予想外の展開ではあったものの、回答は一瞬で決まった。やはり真っ先に思い浮かぶのはこのキャラクターしかいない。


「ビクトリーマン好きなんですか?」


「まあ……好きだと、思います」


 相変わらずピンク髪の女性は千里を見定めるような目で見てくる。千里には質問の意図がわからなかったが、とりあえず返答する。


「古都すずりがかわいいから、なんていうつまらない理由じゃないですよね?」


「……ビクトリーマンの The 合体とブルーレイ持ってます」


「いいでしょう。皆さんちょっと私の家に来てください」


 よく分からないが彼女の中で合格だったようだ。


 千里たち3人はピンク髪の女性に続いて家に上がり、奥の部屋に足を踏み入れ、中の光景に千里は思わず「わ、すご」と声を漏らしていた。


 理由は部屋の一面に『おもちゃの壁』ができていたからだ。


 天井にまで達しそうな高さのショーケースには、美少女フィギュア、そしてロボットアニメの合体トイが文字通り肩を寄せ合って並んでいた。


 千里、唯衣、怜の3人が仲良く揃って目の前の光景に圧倒されていると、


「ちなみにロボットアニメでは何が好きですか?」


 ピンク髪の女性が声をかけてきた。先ほどとは違い上機嫌で、口調も友好的だ。


「俺はやっぱり…… VVV. ビクトリーマンですね」


 VVV. ビクトリーマンは、3体のヒーローが合体・変形してロボになって戦うヒーローアニメであり、ロボットアニメだ。メインヒロインの古都すずりの声は唯衣が演じている。


「通ぶって変に古い作品を持ってこないあたり好感持てますね。ビクトリーマンはただのコンテンツではなく、見た人の『心の一部』になってしまうような素晴らしい作品ですからね」


「ええと、ビクトリーマンお好きなんですね」


「ふっ」ピンク髪の女性は、その言葉を待っていたと言わんばかりに笑った。「見てください。私の描いたイラストです」


 彼女は机の上に置いてあるタブレットを手に取ると、ディスプレイを千里に向けた。


「すごい……」


 表示されているビクトリーマンのイラストに、千里は思わず声を漏らしていた。

 必殺技の『ビクトリーサンシャイン』を放つために手を前方に伸ばしたポーズを取ったイラストで、効かせ過ぎにも見えるパースのおかげでビクトリーマンの巨大さが際立ち、見ていて下手な映像作品よりも『動き』を感じさせるイラストだ。


「もしかして、プロのイラストレーターですか?」


 千里の横にやってきた唯衣がディスプレイを見ながら尋ねる。


「よくぞ聞いてくれました! 私こういうものでして」


 ピンク髪の女性はタブレットを操作すると、SNSのプロフィールページを表示させた。


「あずまスメル……ってホントですか?」


 思わず千里はピンク髪の女性に視線を向けていた。


 あずまスメルはフォロワー数50万を超える人気イラストレーターで、ライトノベルの表紙からゲームのキャラクターデザインまで幅広い仕事を手掛けている。


 イラストがこの世に存在する以上、描いた人がこの世に存在するのは当然のことだ。千里も当然理解しているが、あずまスメルを前にしてなぜか「実在したんだ」というおかしな感想を抱いてしまった。

 あと勝手におっさんだと思っていたので、自分と同年代の女性だというのも驚きだ。


「はい。本物ですよ。ちなみに『あずまスメル』は本名の東香折(あずまかおり)から来てたりします」


「あ、俺は桐山千里です。でこっちが……」


「桐山怜です。名字の通り、お兄さんの妹です」


 あっさり本名を明かしてきた香折に、桐山兄妹(?)も名乗り返す。


「ちなみに怜ちゃんは」


「もちろん、ビクトリーマンです」


 香折の問いに怜がVサインを作って即答すると、2人は無言で握手を交わす。


「おふたりとは気が合いそうですね」


 共通の趣味があることが分かると心を許してくれるタイプなのか、香折の態度は初対面とは別人のようだ。


「それにしても本当にロボット好きなんですね……」


 唯衣がショーケースに視線を戻し、改めて感想を述べていると、


「よくぞ聞いてくれました!」


 香折は唯衣に急接近すると目を輝かせ、


「ひゃっ」


 唯衣はなんとも可愛らしい声を上げる。


 香折はタブレットを操作し、SNSで公開しているロボットのイラストを見せてきた。


「実は私、女の子描くのも好きなんですけど、ロボットはもっともっと好きなんですよね。……まあ、女の子のイラストに比べてインプレッション数はさっぱりなんですけど」


 といっても画面上に表示されているインプレッション数は5桁に達している。


「でもすごいですよこれ。めっちゃカッコいいです」


 インプレッション数に関係なく、千里は感動を覚えていた。どう見ても1日2日程度で描き終えられるようなクオリティではない。


「ありがとうございます。私実はロボットアニメのメカデザインをするのが夢なんですよね。でも、現実は厳しくて」


 香折は寂しそうに笑う。


「というと?」


「やっぱり、女性がメカデザインってのがなかなか上の人に受け入れてもらえないみたいなんですよね。それにロボットアニメ自体も少ないですし」


「……」


 アニメ業界は歴史があるだけに、保守的なところもやはりあるのだろう。とはいえかける言葉が思いつかず千里が頭を悩ませていると、唯衣が口を開いた。


「……でも、いつかきっと出番がありますよ。そうじゃなきゃ……間違ってます」


 言葉の節々からは熱を感じ、心の底から思っているのが伝わってくる。


「ありがとうございます。速水さんってクールに見えて熱いものを持ってる人なんですね」


「お、俺もそう思います。性別とか関係ないです。気にしちゃダメですよ。こんなカッコイイもの描けるんですから。俺感動しました!」


 千里も唯衣と同意見だった。わざわざ言葉にしたのは下心あってのことなのだが。


「ありがとうございます。よかったら、もっと見てってください」


 香折はまだ固さは残っていたものの笑みを浮かべ、ロボットとフィギュアたちを手で示す。


「それじゃあ……」


 千里はビクトリーマンとは別に気になっていたおもちゃの前へ向かい――唯衣も千里のすぐ隣で立ち止まった。


「「え?」」


 お互い顔を見合わせ、千里は見てはいけないものを見てしまったかの如く首を反対側へ動かした。


「どうしました?」


「いや、結構マイナーな作品なので意外だなって思いまして……」


 千里はおもちゃの方角へ顔をゆっくりと戻した。


「私が、声優を始めるきっかけになった作品なので」


 唯衣の視線の先には、地味な人型ロボットのおもちゃがあった。

 その名も『ベクタースター』。5年前に放送されていたロボットアニメ『ベクタースター』の主人公機だ。


「わたし速水さんのインタビュー記事はだいたい目を通していますけど初耳です」


 いつの間にか怜が千里のそばに来ていた。


「……私のイメージには合わないと思うので」


 憤るわけでもなく、悲しむわけでもなく、ただ事実を説明するような口調だった。


「――そんなことないです」


 それを千里は即座に否定する。


「え?」


「あんなに熱くて心苦しくなれる最高の作品なんですから、性別も人種も何一つ関係ないです」


 唯衣は千里の発言が予想外だったのか目を丸くしていたものの、


「……そうですよね。ありがとうございます」


 唯衣は微笑を浮かべ、千里は無意識のうちに魅入られてしまっていた。

 じっと人の顔を見るのは失礼なこと。千里にもそれくらいの常識がある。しかしそんな常識という理屈は、唯衣の魅力によって一瞬で消え去ってしまった。


「ベクタースターいいですよね。私も好きです!」


「おわっ」


 香折が至近距離に顔を近づけてきて、千里は反射的に香折から距離を取った。どうやら好きな話題になるとパーソナルスペースが狭くなるようだ。


「そうだ、みなさん連絡先交換しましょう! せっかく縁ができたんですから、この機を逃すのは損です」


「あ、はい、いいですよ」


 千里は香折のスマートフォンのディスプレイに表示されているQRコードを読み込み、続いて唯衣が香折のQRコードを読み込むと、


「私QRコード表示させますね」


 スマートフォンを千里に差し出してきた。


「……えっと、いいんですか?」


 状況をすぐに飲み込めず、間をおいて千里は尋ねた。事務所的にNGなどありそうな気がしないでもない。


「別に私は構いませんけど……イヤですか?」


「いやいやいやいや、もちろん大歓迎です! じゃあ俺読み込みますね」


 QRコードを読み込むとディスプレイ上に『速水唯衣』という名前と、どこかの風景のアイコンが表示され、『追加』の文字をタップすると、連絡先一覧に『速水唯衣』という名前が追加されていた。


「怜ちゃんも交換しましょう」


 香折はスマートフォンを持った手を胸の高さにまで上げる。


 怜は「すみません、今ちょっと故障中で。あとでお兄さんに教えてもらいますね」と答えると、「分かってますね?」と千里に耳打ちしてきた。自分の分も用意しろということだろう。


「わかったよ」と小声で返すと、連絡先一覧から唯衣の名前をタップし、プロフィールページを表示させた。


 誰かのアカウント名を編集したのではなく、同姓同名でもなく、まぎれもない本人だ。


 現実味がない。そして、なぜか恐怖心があった。

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