第9話 腐臭の水源
小屋の片隅、毛皮にくるまっていたゼルナが、もぞりと身を起こす。
眠気の残るまなざしを上げると――鋭く尖った嘴、羽、そして黄色の猛禽の目がこちらを見つめていた。
ゼルナは思わず息を呑む。
「……っ、だ、誰……?」
立ち上がりかけたゼルナに、エルディンが短く声をかけた。
「落ち着け。味方だ。……友人だよ」
その言葉のあと、猛禽の姿をした男が低くくぐもった声で応じる。
「俺はロクタル。ラプタリア――鳥人族だ。見ての通り、“鳥”みたいな種族だ」
「お前が、エルディンに拾われた子か。……驚かせたな」
ゼルナは視線を逸らし、かすかにうなずいた。
異形の姿に身はこわばるが、エルディンの背中が視界に入ることで心がわずかに落ち着く。
焚火に薪をくべながら、エルディンが言った。
「明日、ロクタルと一緒に調査に出る。村の方から流れてきた“何か”の原因を確かめる依頼だ」
ゼルナははっと顔を上げる。
「……じゃあ、わたし、留守番ですか?」
エルディンは焚火を見つめたまま言葉を濁した。
ゼルナは唇を噛み、しばし沈黙してから静かに言う。
「……私も行きたいです。一人で残るのは、怖い…ので…」
ロクタルが目を細める。
「大丈夫か? あまり顔色が良くないようだが」
ゼルナはうつむいたまま、はっきりとうなずいた。
「頑張るから……お願いです」
エルディンは静かに立ち上がり、ゼルナを見据える。
「……わかった。無理はさせない。だが、行くなら準備しろ。明日は早い」
翌朝、川面にうっすらと霧が漂う中、三人は小屋を後にした。
慣れない荷の重みに肩を揺らしつつも、ゼルナは顔色を取り戻していた。
「この依頼が終わったら――」
先頭を歩くエルディンが振り返る。
「少し本格的に戦闘術を教える。山じゃ、自分の身は自分で守れた方がいい」
ゼルナは驚いたように目を瞬かせ、小さく頷いた。
少し歩いたところで、エルディンがちらりとロクタルを見て口元をゆるめる。
「なあロクタル、俺とゼルナを両脇に抱えて空を飛んでくれないか?」
ロクタルは羽毛の肩を揺らした。
「冗談だろ。金をもらってもごめんだ」
ゼルナは苦笑し、胸の不安が少し軽くなる。
エルディンはその様子を横目で見て、歩調を落としゼルナに合わせた。
朝の光は斜面の雪を金色に染め、霜柱を踏み砕く音が冷気の中に響く。
頭上では猛禽が弧を描き、低く鳴き声を放った。
やがてロクタルが立ち止まり、前方を指す。
「……あの稜線を越えれば、目的地まであと一時間だ」
エルディンは雪の締まり具合や風向きを確かめる。
「天候はまだ保ちそうだ。このまま行く」
稜線を越えた瞬間、腐った魚と獣の死骸を混ぜたような臭気が漂った。
エルディンが立ち止まり、低く告げる。
「……腐ってやがる。近いぞ」
川沿いを下ると、小さな水源に灰緑色の影がうずくまっていた。
膨れ上がった腹、骨の浮いた頭、半ば溶けた獲物の残骸――吐き気を誘う悪臭の源だ。
「……あれは何だ?」とロクタル。
「ロトゥス・フィーンド。スライムの類で、死骸を核にした厄介なやつだ」
エルディンは山刀に手をかけた。
「感染性がある。噛まれたらすぐ治療だ。ゼルナは絶対に近づくな」
戦いは一瞬で激化した。
エルディンの山刀が腐肉を断ち、ロクタルの槍が穂先を突き立てる。
腐臭が雪に染み込み、矢が頭蓋を貫いた瞬間、怪物は崩れ落ちた。
「……終わりだ。ゼルナ、近寄るな。水も当分使えない」
エルディンは山刀を雪で拭いながら低く言う。
「こんな上流で湧くのは珍しい。何かが大量に腐ったか……」
ロクタルが鼻をひくつかせる。
「匂いは獣じゃない。……人間の死臭に近い」
ゼルナが不安げに問う。
「……じゃあ、誰かが?」
「可能性はある」
エルディンは厄介な死骸を見て言った。
「放置すればまた湧く。焼くぞ。風向きは下流だ、集落には届かない」
三人は警戒を置きながら焼却を始めた。
黒煙が川下に流れ、ぱちぱちと炎が腐臭を呑み込む。
ゼルナは雪縁を歩き、氷の下に金属の光を見つけた。
「……これ、何だろう」
彼女が拾い上げたのは細工の細かい銀の飾り輪。
中央には翠晶石が嵌め込まれている。
ロクタルが険しい顔をする。
「エルフ族の装飾品だ。金属はライトシルバー、石はエルフの聖域でしか採れない翠晶石だ」
エルディンが眉をひそめる。
「こんな奥地に……?人間はまず来ないはずだ」
ロクタルは沈黙し、やがて低く呟いた。
「ロトゥス・フィーンドの核は……エルフの死体か」
雪原に緊張が走る。
エルディンは短く頷き、決断を告げた。
「……痕跡を追う。水源調査の依頼は、まだ終わっちゃいない」
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