鳥人族と魔女
第8話 第二拠点へ
街から戻って数日、山は少しずつ春めいていた。
雪に覆われていた地面が顔を出し、やがて狩人たちが山へ入ってくる季節となる。
そうなれば小屋に人が立ち寄ることも増え、面倒事も避けられない。
そのためエルディンは、毎年この時期になるとさらに北の、人が寄りつかぬ場所へ移動していた。
焚き火の薪の残りを見やりながら、エルディンは黙々と物資を仕分けていく。
保存食、火打石、衣類、罠具、補修道具――。
雪深い山奥を抜け、次の拠点へ向かうには無駄を削ぎ、耐久性も求めねばならない。
「おい、手が空いてるなら来い。詰め方を教える」
ゼルナは小走りで寄ってきた。
床には布を広げ、荷物がずらりと並んでいる。数日前の依頼のときより明らかに多い。
「これ、全部入るんですか……?」
「入れる。無理やりじゃなくてな。――まずは重い物から。左右のバランスも忘れるな」
エルディンは袋の中身を一つずつ見せ、淡々と説明を続けた。
「重心が下にあると歩きやすい。食料と水は中央、すぐ使うものは上。隙間は布で埋める」
「は、はい……!」
ゼルナは真剣な眼差しで手元を追い、時折うなずいた。
「……そこ、袋の口が潰れてる。形が立つように詰めろ」
「す、すみません……もう一回やります」
「やり直しは構わん。山に入れば、一度で済むことのほうが少ない」
声は厳しさを含んでいたが、棘はなかった。
ゼルナは緊張を滲ませつつも、黙々と手を動かしていった。
雪がゆるみ始めた朝、二人は小屋を出発する支度を整えていた。
ゼルナはザックを背負い、よろけぬよう慎重に立ち上がる。
ふとエルディンの荷に目を留め、首をかしげた。
「……あれ? 重そうなのが上のほうに……」
「俺の荷は多い。背中寄りの上に重い物を詰めるほうが負担が少ない」
「じゃあ、私の荷物は下が重いほうが……?」
「そうだ。慣れていないうちは、ふらつかずに歩ける詰め方を覚えろ」
エルディンは自分のザックを軽く叩きながら続けた。
「俺は倒れにくさより、疲れにくさを選ぶ。慣れていればそれができる」
「なるほど……」
ゼルナは自分の荷に視線を落とし、そっとベルトを締め直した。
その背に、エルディンが小さく言葉を添える。
「焦るな。足を止めずに歩けることが先だ」
二人は街とは逆の稜線へと歩き出した。
第二拠点は北東、山を二つ越えた先にある。
エルディンは枝を拾い、支えとしてゼルナに渡す。
雪解け水が山道を濡らし、足を取る。
例年なら雪解け前に移動していたが、今年は事情が違った。
ゼルナという新たな同居人の存在。
そして数日前に見た幼い奴隷の亡骸――その悪夢に、ゼルナはいまだ悩まされていた。
日が経つごとに和らいではいたが、眠りは浅い。
環境を変えれば少しは落ち着くだろうと、エルディンは第二拠点を選んだ。
無言の行軍。
荷の重さと斜面の段差に、ゼルナの歩幅が乱れる。
肩に食い込むベルト、荒い息。
それでも言葉を飲み込み、必死に歩を進めていた。
エルディンは振り返らずに声をかける。
「……足が痛いなら言え。無理をするな」
ゼルナは驚いたように顔を上げ、すぐに俯いた。
「い、いえ……大丈夫です。慣れてきましたから」
「強がっても良いことはない。まだ先はある」
それは叱責ではなく、事実の確認にすぎなかった。
エルディンは周囲を見渡し、小さな窪みに二人分の荷を下ろした。
「ここで一泊だ。準備は俺がする。座ってろ」
ゼルナは黙って頷き、重い荷を降ろす。
干し肉を投げ渡され、驚いた顔をした。
「思ったより歩けてる。予定より早い」
「……ほんとうですか?」
「俺が嘘を言うと思うか」
ゼルナは照れくさそうに笑みを浮かべ、小さく「ありがとうございます」と呟いた。
その夜、彼女は深く眠り、朝まで目を覚まさなかった。
翌日、昼を過ぎたころに第二拠点が見えた。
川のほとり、風を避ける岩陰に建つ小屋。
木と石を組んだ造りは健在で、幾度も使われてきた歴史を物語る。
扉を押し開けると、冷たい空気が流れ込む。
窓を開け放ち、荷を床に置いた。
「……ここが、次の……」
ゼルナの声には疲労がにじんでいた。
エルディンは床下の薪を取り出し、火を熾す。
温もりが広がる中、ゼルナは毛皮に身を横たえ、そのまま眠りに落ちた。
(……まぁ、当然だな)
荷の重み、山道の緊張。ようやく解けた心身が、彼女を深い眠りへ導いた。
エルディンは荷を棚に移し、床下の隠し倉庫を確認する。
保存食、着替え、治療具――必要なものは揃っていた。
扉を閉じ、火のそばに戻る。
静かな小屋に、焚き火の音だけが響く。
そのとき、耳が異なる音を捉えた。
羽ばたき、そして雪を踏む足音。
山刀に手をかけ、扉に向き直る。
──コン、コン。
控えめな音が二度。
「開けるぞ、いるんだろ」
低い声に、警戒がわずかに緩む。
「……ロクタルか」
扉が開き、鷹のような姿の人影が入ってきた。
ラプタリアのロクタル。エルディンの旧き友だ。
「よう、やっぱり来てたか」
羽を畳み、椅子に腰を下ろすロクタル。
火を見つめる眼は鋭くも穏やかだった。
「……で、あっちで寝てるのは?」
「拾った。詳しくは、起きてからでいい」
ゼルナはまどろみの中で薄く目を開け、知らない声に耳を澄ませる。
焚き火の向こうに、鷹のような影。
再び瞼を閉じ、眠りへ沈んだ。
火を挟んで語り合う二人。
「……ダークエルフを連れてるなんてな」
ロクタルの言葉に、エルディンは薪を一つくべる。
「あの戦争で散々手こずらされたって言ってたじゃないか」
「……あの時は敵だった。それだけだ」
「エルフは世間じゃ今も魔族扱いだ。親を失った者も多い」
「知ってる」
「なら、なぜ……」
エルディンの声は低く、しかし揺るぎなかった。
「……俺が拾ったのは、敵でも魔族でもない。ただの、迷子だ」
火花がはぜ、赤い光が木壁を揺らす。
ロクタルはしばし沈黙し、やがて別の話題を口にした。
南の岩峰地帯。雪解け水に混じって流れ着いた“何か”。
井戸に影響を及ぼし、依頼が出されようとしている。
「確定してないからこそ厄介だ」
「そっちの方が性に合う。確かな敵より、分からん原因の方がな」
火の揺らぎに、二人の影が重なった。
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