第7話 スノーゴーレムの墓標

一瞬、谷のすべての音が止んだように感じられた。

白い吐息は凍りつき、焚き火の煙すら宙に取り残されたように細く揺れる。


エルディンは腰を落とし、片膝を雪に沈めて山刀に手を添えた。

耳を澄ませば、雪の奥に潜む気配がかすかに軋んでいる。


「……魔法は、俺が合図するまで使うな」


短く言い切る声に、二人はわずかに目を見開き、すぐにうなずいた。


「もし、その合図ができなくなったら?」

リゼットの問いは低く、静かなものだった。

エルディンは一拍も置かず答える。


「近いやつを斬れ。手数が限られるなら、一番でかいのを狙え」


ゼルナは布の陰で息を潜め、蒼白な顔のまま凍りついていた。

風がふたたび流れ、雪がざくりと沈む。


――ひとつ……ふたつ……いや、それ以上。


足音ではない。雪が圧され、ずれる音。木々が風と異なる周期で震える。


木立の奥から、白く膨らんだ影がにじみ出る。

人の子供ほどの大きさ。丸い体、左右に不釣り合いな腕。ぬらぬらと揺れながら近づいてきた。


(……スノーゴーレムか)


だが、後方にはさらに大きな影。

二メートルを優に超える雪塊が、氷の結晶を肩に抱いて音もなく現れる。鈍い青光が闇を裂いた。


息を呑む気配が背後で連なる。

エルディンは視線だけで「まだだ」と伝え、刀をわずかに引く。


次の瞬間、小型の影が焚き火の残り香を嗅ぐように頭を傾け、――突進した。


白が裂ける。吹雪の帳を破り、群れが迫る。


エルディンは山刀を一閃。

風鳴りのような音とともに、小さな影が真っ二つに割れ、熱を失った雪のように崩れ落ちた。


「でかいのは魔法で潰せ! 核を狙え!」


その叫びに、リゼットの杖が火を噴く。

炎は巨体を穿ち、氷片が弾けた。

カーグの火術が脚を爆ぜさせ、エルディンは跳び、斬り、白い躯を次々と雪に還す。


最後に放たれた火の奔流が胸を貫き、氷の核が砕け散った。

巨躯は雪煙を残し、音もなく崩れ落ちる。


――静寂。


吹雪が嘘のように止み、谷に白い沈黙が戻った。


雪塊の残骸に、不自然な影が埋もれている。

エルディンが峰で押しのけると、小さな手が現れた。


氷に閉ざされた人間の子供。

粗末な麻布の衣服、赤黒い鎖の痕。

眠るように閉じられた瞼。


リゼットが息を呑み、カーグが膝をつく。


「人を……核に?」

その言葉に、エルディンは黙ってうなずいた。


「スノーゴーレムは自然にも生まれる。だが、怨念が濃ければ……こうして死者を抱く」


カーグが唇を震わせる。

「……奴隷商隊が襲われたと聞きました。逃げた子供も……」

リゼットも俯きながら言葉を継ぐ。

「街で、“奴隷の子供が行方不明だ”って……」


ゼルナがエルディンの袖を握った。

細い指が小さく震えている。


エルディンは静かに答えた。

「……埋める。このままにはしない」


やがて空が白み、遠い稜線がぼんやりと浮かぶ。

小さな墓を前に、エルディンはしばらく立ち尽くしていた。


(……一度、小屋に戻してから街に行くか)


だが、地面を見つめたまま震えるゼルナを見て思い直す。

昨夜の亡骸は、もし彼女が小屋へ辿り着かなかった“別の未来”だった。


「……街まで一緒に来い。報告と買い出しもある」

「でも、わたし……」

「今のお前を置いて行けるわけないだろう」


ゼルナは小さくうなずき、四人は夜明けの森を下った。


白銀の森は、まるで何事もなかったかのように静かだった。

雪を踏む足音だけが、規則正しく谷に響いていく。


途中、リゼットがぽつりと問う。

「……どうして、山に?」


興味というより、長い沈黙を破るための言葉。

エルディンは前を見たまま、短く答える。


「……人付き合いに、疲れたんだ」


それ以上の説明はなかった。

重たく乾いた響きだけが残る。

リゼットはただ「……そうですか」と返し、それきりだった。




正午を少し過ぎ、街の門が見える。

春の気配がわずかに混じる空気の中、四人の顔に笑みはなかった。


ギルドにて、報告は粛々と終えられる。

職員は顔をしかめ、報酬を約し、手続きを終える。


外に出ると、空は澄み渡り、街路に昼の光が降り注いでいた。


カーグが軽く手を挙げる。

「では、また」

リゼットも無言でそれに続く。


残されたエルディンとゼルナは、ただ静かに小屋へ戻る道を選んだ。

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