第1話 始まりの音

 土曜日の放課後。

 anymoreの四人は、学校から少し離れたスタジオに向かって歩いていた。


「ほんとにやるんだね、バンド」

 莉子が苦笑交じりに言う。

「当たり前でしょ。名前まで決めたんだから」美羽は肩にかけたギターケースを叩いた。


「でもさ、私ベース触るの今日が初めてだよ? ちゃんと音出るかなあ」

「出なくてもいい。出すんだよ」

「ひどっ!」

 笑い合う声に、少しだけ緊張が解ける。


 一方で、結衣は無言のまま歩いていた。歌うのは好きだ。けれど、マイクの前に立つことを想像すると胃が痛む。

 隣でスティックケースを持った紗菜が「顔、真っ青だよ」と呟くと、結衣は慌てて笑った。

「だ、大丈夫」



 スタジオに入ると、壁に落書きとポスター、床に残るアンプの焦げた匂い。

 「おおー! 本物っぽい!」莉子がはしゃぎ、結衣はますます緊張する。


 楽器を構え、準備を終えると、美羽が深呼吸した。

「じゃあ――いくよ!」


 カウントのあと、ドラムが鳴り、ギターがかき鳴らされ、ベースが不安定に重なり、結衣の歌声が恐る恐る響いた。


 ――が、すぐに崩壊。テンポは乱れ、コードは外れ、歌もかき消された。


「やばい、止まってる!」

「ちょっと速すぎ!」

「ご、ごめん! 指追いつかない!」

 音がぐちゃぐちゃになり、最後は爆笑で終わった。



「……全然ダメだね」

 結衣が汗を拭いながらため息をつく。


「でもさ、今の……一瞬だけ揃ったじゃん」

 紗菜がぼそりと言った。

「え、どこ?」

「最初のサビ前。あれ、ちょっとゾクってした」


「わかる! なんか“バンドっぽい”って思った!」莉子も目を輝かせる。

「そう、それ。それでいいんだよ」美羽は笑った。


 ぐちゃぐちゃで、下手で、見せられたもんじゃない。

 ――けど確かに、たった数秒、四人の音がひとつになった瞬間があった。



 練習を終える頃には全員汗だくで、床に寝転んだ。

「しんど……体育の授業より疲れる」

「でも、楽しい」

 結衣が小さく呟く。自分でも驚くほど自然に出た言葉だった。


 美羽は天井を見つめながら、胸の奥で思う。

(そうだ。全部否定されたあの日から、私の音楽は止まってた。でも――もう一度始められる)


 “anymore”。

 すべてを否定する。

 そこから始めれば、どんな音だって肯定に変えられる。


 ギターを握り直し、美羽は立ち上がった。

「もう一回やろう!」


 三人が顔を見合わせ、笑いながら頷く。

 こうして、anymoreの“始まりの音”は少しずつ重なり始めた。

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