第8話 セドは俺を人間扱いできない
俺は、一人ぼっちだった。周りに誰もいなかったのに、一人ぼっちだということを知っていた。
俺の親はいない。気づいたときには山か、森か、とにかく自然の奥深くで俺は過ごしていた。
そこでひたすらに真似事をする。他の動物がするように木に登ったり、獲物を狩ってみたりする。俺は目の前の状況をただ受け入れて、正しいのかわからない方法で生きてきた。
その頃は知らなかったことだが、俺は、その頃退屈だったんだと思う。
そんなときに聖女は現れた。いや、あのときはまだ聖女は聖女じゃなかったのかもしれない。
月明かりの下。聖女は逆光で顔を隠しながら俺を覗き込んだ。
『はじめまして。君、こんなところでどうしたの? それ、痛くない? 真っ赤だ。治してあげよう。こっちにおいで』
聖女はしゃがみ込んで俺に手を差し出した。生物としてはもっと警戒すべきだったのだろうが、俺には近づいてみないという選択肢がなかった。だって誰かに話しかけてもらうのは、それが初めてだったから。
光とともに傷口がふわりと暖かくなって、ヒリヒリとした感覚がなくなっていく。聖女の癒やしの力ってやつはすごいと、今思い返しても思う。
『これで大丈夫。君、いつもここにいるの? よければ友達になってくれないかな? 私さ、学校では一人なんだ。ううん、学校以外でもね』
聖女は月のそばの一等明るい星を見ていた。俺はその金色の瞳が月光を反射して白んでいくのを見ていた。
『眩しいんだ。みんな。……いや、私が大好きな人はみんな。眩しすぎて見てられないんだよ』
『み……?』
『いいね、君は。真っ黒だ。どんな光も吸い込んでしまいそう』
そう言って聖女は俺のことを抱き上げた。
『君のこと、ラグって呼ぶね。嫌でなければ明日、ここに来たときに姿を見せてくれないかな?』
聖女の手のひらは相変わらず冷たくて、でも、岩や地面とは全く違った。その脆い感覚を人間だと知ったんだ。
ああ、そういえば聖女はあの時も名乗らなかったな。存外、ソイツと同じ理由だったのかな。だとしたら、聖女はどうして俺を見つけたの?
聖女はその次の日からほぼ毎日やってきた。その度に本を見せてくれたり、魔法を教えてくれたりした。聖女は色んなことを教えてくれたから、聖女の言うことは何でも聞いてみようとなんとなく思っていた。
そんなある日、俺は五月蝿いところに放り込まれて、静かにしたらあたりが真っ赤になっていた。それから俺は聖女と神殿で暮らすようになって、そこで、聖女に……アレを食べてって言われたんだ。噛むだけでいいって。あれ、アレは紫色で、すごく気持ちが悪かった。
思い出すだけで吐き気が肺の中から頭の奥までぐるぐるしている。今になってすごく良くないことをしたような、そんな予感がする。アレなんだったんだ? 聖女、聖女がすごく冷たい目で見てて、なのににこにこしてて、そこには神殿の偉そうなやつとかもいて。
人、人が集まってた。小さなお祭りみたいで、神殿の中なのに酒の匂いがして……
「おい! 大丈夫ですか! サボってんじゃねぇですよ! 何度言わせるんですか! おい! ……ラグ!」
さっきの馬車のときと同じようにガクガクと身体を揺らされる。その手がやけに熱いのは、俺の血の気が引いているからなんだろうか。正直起きたくない。でも、呼ばれてしまったら起きないわけにはいかない気がした。
「ん、なぁに?」
「いや、なんかあったのは貴方でしょうが。顔色の悪い」
わざと寝ぼけたように返事をすれば額を勢いよく指で弾かれた。そしてそれを謝るかのように頭をわしゃわしゃと撫でられる。
「聖女が俺を拾ってこないほうがよかった?」
「え? 聞こえてたんですか? 耳いいですね貴方。………だってそうでしょう? 人間には人間の社会があるように、貴方にも貴方のお仲間との社会があったのでは? 貴方は貴方の場所で生きれたほうがよっぽど幸せに生きれたんじゃないかと思うんですよ。それを聖女様が無責任に拾ってきて、戦争にぶち込んで、めちゃくちゃじゃないですか」
まぁでも拾っちゃったからには最後まで面倒を見させますよとソイツは呆れた目で遠くを見ていた。
「俺、嬉しかったんだ。聖女と会えて。だって、一人だったから。話できるやつとかいなかったし。だから……」
「なるほど、クソ人外様は人間扱いをご所望ということですか」
「急に口悪い」
俺は倒れた俺を起こすためにしゃがみ込んでいたソイツの腰に縋り付く。引き剥がされるかと思ったがそっと手を握り込まれた。
「俺は、貴方のこと対等な生命体として見ることはできても、同じ人間として扱えませんよ。だって貴方は人間じゃないって、俺はそう決めてるから」
言い聞かせるように言われてグッと言葉につまる。真っ向から拒否されると二の句が紡げなかった。
「でもまぁ、人間らしく扱ってあげますよ。お望みならね」
「別に、お前が思うように扱ったらいいと思うし。でも、名前、呼ばせてよ」
ソイツは深くため息を吐いた後、きちんと自己紹介させてほしいと言って俺を立ち上がらせた。どこかワクワクしているらしい俺の目を見てソイツがきゅっと眉を寄せる。
「俺はセドリック。聞き慣れているでしょうからセドと呼んでもいいですよ」
「俺はラグ」
「あーはいはい。これからもよろしくお願いしますね、ラグ」
「うん」
「ほらほら、後一仕事して帰りますよ。貴方寝過ぎなんですから」
「うん」
「うわっやけに従順で気持ちが悪い」
胸の中がぽかぽかとするなぁ、と思っていると、そわりとした感覚が首を走った。
俺たちは帰りに馬車に揺られていた。勝手にセドの肩を借りているが、セドは何も言わない。
「貴方、首の鱗減ってますね。どうしたんですか?」
セドがそろそろ苦言を呈すかと思ったが、思いも寄らない質問にびっくりする。首元を触って確認すると、確かに鱗が減っていた。
「このままなくなってくれればいいんですけどねー」
「やだ、明日買い物行く」
「はいはい、また突然生えたら困りますし買い物には生きますよ。でも首元に何かつけてるとうざったくないですか、俺は苦手です」
「ふぅん?」
「にやつくのやめてくれませんか?」
俺の中で何かが吹っ切れたようで、セドの話を聞いているだけでなんだか口元がによついてしまう。それにセドは相変わらずきゅっと眉を寄せるのだった。
明日がすごく楽しみ。
ほおを引っ張って顔を元に戻そうとするもどうしても笑ってしまう。それさえおかしくてさらに口角を上げていると、額を指で弾かれた。
「あーあ、いっそのこと聖女様にお願いすればよかった」
「なんでそんな事を言う。俺セドと行きたい」
「別に俺はどーでもいいです」
素っ気ないように見える。でもセドなりに俺に気を許しているのだと、なんとなくわかった。
神殿に着くと、セドは先に降りて俺に手を差し出した。俺がその手を取って降りると、そのまま俺の手をゆるく握り込んで歩き出す。部屋の前まで来ると、セドはぱっと手を離した。
「では、また明日」
「えー、明日早く行きたいし、神殿に泊まれば? 俺ソファで寝るから」
「嫌ですよ。何されるか分かったもんじゃない」
「俺何もしないよ」
「いや、聖女様ですよ。あの人正直なくせに素直じゃないですからね」
「なんだそれ」
セドの袖を掴んでギリギリまで駄々をこねたが最終的には額に一発食らった。それでも納得いかなくてじっとセドを見ていると、セドは深いため息を吐く。
「はぁ……じゃあ待ち合わせしましょ」
待ち合わせ? たまに聖女が言ってるやつだ。待ち合わせがあるから失礼しますみたいな。よく分からないけどわくわくする。
「明日の三回目の鐘頃にセントラル広場の噴水で待っていてください。お利口ならそれくらいできるでしょ」
「わかった……!」
俺はぶんぶんと手を振ってセドを見送る。そうしてあっさりとお泊りを回避されたことを忘れたのだった。
そしてしばらくしてから聖女が部屋にやってきた。朝とは打って変わって機嫌が良さそうである。
しかももぐもぐと夜なのにお菓子を食べていた。ずるい。そう思って見ていると無言でクッキーが差し出されたので、受け取ってもぐもぐと食べる。ちょっとしっとりしてるタイプだった。
「これで共犯だね」
「……! じゃあもっとちょうだい」
「なるほど、そうくるか」
そうして二人でお菓子を食べていた。聖女が腕いっぱいに甘味を抱えているのはなんだか面白くて、途中で思い出し笑いをしたら気管に入った。聖女め。
聖女に今日、セドと約束したことを話すと、聖女は目を丸くした。
「二人で買い物、噴水、待ち合わせ……それ、デートだよ。ラグ」
「でーと?」
「そう、仲のいい友達や恋人と二人きりで出かけることだよ」
「デートって何するんだ?」
「手をつないだりとか、食べのものを分け合って食べたりとか、終盤になればキスもするんじゃない?」
「かなり仲いい同士だ」
「しかも多分キスは口にする」
「嘘だー!」
「嘘じゃないよ。平民はこんな感じらしいし」
キスとは仲のいい者同士で行うのだと聖女から聞いた。よく聖女は口を頭とか頬とかにくっつけてくるんだけど多分ソレ。ソレを口にする? よくわからない。よくわからないけど、やってみたい。
「ん? 平民は?」
「そう、貴族がそういうことをするのはしたないからね。キスとかも結婚するまではしないんだって。まぁ、セドは……一生独り身だって自ら言ってたから大丈夫だと思うよ」
「じゃあ俺が一緒にいようかな」
「うーん、独り身ってそういう意味じゃないかな。でも、いいね。一緒にいてあげてよ。セドはひとりでも大丈夫だけどさ」
「うん」
聖女が薄く笑う。儚いその温度が、澱みなく揺れているのを俺は呆然と見ていた。あまりにも純粋で、つきものが取れたかのような……いや、これは、セドとは別の方向に澱みが向かってるんだ。お菓子を食べていた理由が分かった気がする。聖女は今、怒っている。とてつもなく。
そして、その原因は恐らく……
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