第7話 ソイツは今でもよく笑う


「明日は僕と一緒に勉強しますか?」

 突然、思い立ったようにソイツは聖女にそう問いかけた。聖女はぱっと目を見開く。その頬が信じられないほど赤くなっているものだから、なんだか眉間にしわが寄った。記憶の主も口元に手を当てている。

「今日は殿下に邪魔されて大変だったでしょう? 僕がいれば殿下が話しかけてくることはないと思いますけど」

「いやっ、え? それ、いいんですか? 貴族が平民とそんなに表立って親しくして……今もよく会いに来てくださいますけど……」

「それ、王子殿下に話しかけられまくってる貴女が言います?」

「それはっ……」

「すみません、あれは殿下が悪いですよ。にしてもなかなかに神殿は教育熱心なんですね…………僕、宰相一家の右腕なんて呼ばれているから、平民と話していても何かの策略だろうな、くらいにしか思われないんです。それに、貴女は人目につかないとこばかりにいるし」

 全く、彼らは僕のことをなんだと思っているんでしょうね。と、ソイツはキュッと眉間にしわを寄せてボヤく。

「そう思っちゃうのも分かりますけどね、虫害への対策や違法薬物関連の一斉検挙。どれも唐突に成し遂げられたので、皆混乱しているのだと思いますよ」

「はは、それは皆さんが不注意なだけですね」

「そうおっしゃられると耳が痛いです」

 今からは考えられないほど二人は和やかな雰囲気で話している。

「そもそもあれらはアマーリエ様が尋ねられたことに答えただけで、大したものではないんですよ。……さて、そんなことよりどうなされますか? どうせ僕も僕の勉強をしますから、困ることは何一つないんですけど」

 記憶の主はスカートを巻き込みながらギュッと手を握った。ジワリと流れてくるのは緊張か、はたまた嫉妬か、理解しきれないが、こちらの胸の奥まですーっと冷える。

「あ、アマーリエ様と一緒にいなくてもいいんですか」

 沈黙が垂れこめ、淀みのように冷たさが底に沈み込む。耳鳴りが聞こえてきそうだった。その質問の返事に心臓が預けられているようなそんな、

「いいんですよ、アマーリエ様は」

 記憶の主がそっと握りしめていた手を解く。胸の中にじわりじわりと温度が戻ってきているのを俺は感じて、気持ち悪くて仕方なかった。

 そしてそれよりも、ソイツが、寂しそうな顔をしているのが信じられなかった。

「別に僕たちはいつも一緒にいるわけじゃないですし、……アマーリエ様はお一人で大丈夫なお方だ。僕とは違う。だから僕も僕なりに自分で動かないと」

 あの横顔は俺が見たよりもずっと、ずっと寂しそうで、ほんの少し、暗く淀んでいた。

「じゃ、じゃあ、お願いしてもいいですか……?」

「ええ、これも僕の自己満足に過ぎませんが、お付き合いください」

 にこりと笑ってソイツは聖女の手を取り、先ほど何かを書いていた紙を握り込ませる。

「僕一人でも寂しいですから。さっきの約束について書いときました。忘れないでくださいね」

「は、はい……!」

 ソイツは今でもよく笑う。俺の知らないなんだか偉そうなやつとか、仕事先のやつとか、聖女にもにこにこと義務的に笑ってたりする。でも、その笑顔よりもずっと温度があって、でも、聖女候補に向ける笑顔よりは乾いていて、それが、友達に向ける笑顔なのだと気がついた。

 記憶の主はなんにもなかったかのように二人を流し目で見て背を向ける。二人と記憶の主を分けるガラスに映る金色は、宝物を見る目をしていて、物置の中を愛おしげに眺めているかのようだった。

 俺はそのときに、記憶の主がソイツを手放す気だったのだと気づいた。



 馬車の揺れに合わせて、ゆらりゆらりと意識が浮かび上がる。薄っすらとした夢見心地が楽しくて、笑いそうになったときグラグラと身体が揺らされた。


「起きてください。仕事の時間ですよ」


「んー」


 近くからソイツの声が聞こえてきてびっくりする。そうか。現実ではソイツは俺の隣にいるんだった。

 でもやっぱり起きるのは億劫で、テキトウに返事をしていたら額を指で弾かれた。


「いたい」


「サボるんじゃねぇですよ。俺がわざわざ付き合ってやってるんですから」


「なんで? なんで俺を連れ出してくれたの?」


 怠いながらも身体を起こしてソイツを見据える。僅かに眉を寄せたその瞳は僅かに揺れていた。

 そしてきゅっと眉が寄せられる。    


「そんなのただの自己満足ですよ。僕が僕なりに考えた結果、貴方の待遇について思うところがあっただけです」


 それ以外に何があるのかとでも言いたげな様子だった。


「やっぱりお前って変だな」


「は? もう少し口に出す言葉は選びなさいよ。聖女様にそういうこと教わらなかったんですか?」


 でも、本当に変だったのだ。ずっと神殿にいるのが正しいと神殿のやつらは思っていて、聖女だって俺を神殿から遠くに行かせる気はなかった。ソイツと一緒にいて分かったけど、それは俺のことが怖いからだった。

 ソイツはちょっと冷たいと思うときがある。義務的に接しようとしているからだろうか。しかしそのくせ、ソイツは俺との間に全く壁を作らなかった。ぬるっと隣にいて、何かあれば額に指をはじく。その距離はあまりに近い。


「思ったことは口にしたほうがいいって聖女は言った」


「それはそうですけど、人を選んでくださいよ。聖女様には何を言ってもよかったかもしれませんが、他の人にはその限りではないんですから」


「お前には?」


「まぁ、俺には言ってみてもいいですけど、他の人にダメなことはダメだと言いますからね」


「ふぅん」


 来る者を拒まず、去る者を追わず、そんなソイツの接し方は大切との距離感に所以するような気がした。そういう意味でソイツは俺を人間みたいな何かと認めているように思う。 

 なんだかんだ甘やかされているような気がして、ごろりとソイツの膝を枕に寝転がる。しばらく間をおいてため息が上から降ってきた。  


「貴方、話聞いてなかったんですか? 降りますよ」


「はーい」


 起き上がったばかりで、まだ低い俺の頭にソイツは軽く押さえるようにして手を滑らせる。撫でられたのだと気づいたのは、ソイツがしょうがないとでも言いたげな顔で僅かに唇の端を上げていたからだった。


「え……?」


「とにかく今日は頑張ってください。明日は休みみたいなものですから」


「休みみたいなものって?」


「貴方のその首元の鱗を隠すものを買いに行くんですよ。なんで隠してないんですか? 他人様に見られたら大騒ぎだって言いましたよね?」


「だ、だって、忘れてたんだもん」


「もん……? まぁ、いいです。そういうわけで明日は一緒にマフラーかなんかでも買いに行きますよ」


「うん」


 先に馬車の外に出たソイツが俺を引っ張り出す。もう駄々はこねないつもりだったのに、と無性に眉間にしわが寄った。

 でも明日はソイツと一緒に出かけるのだと思うとわくわくして、によによと口元と目尻が引っ張られる。


「ほら、あの山ですよ。俺は少し話があるので、することをしたら静かに待っていてくださいね」


「はぁい」


 山を少し崩してソイツを振り返る。遠い。でも頑張って耳を澄ませは話が聞こえてきそうな距離だった。


「眠れるドラゴンなんて呼ばれちゃいますが、まさか本当に鱗が生えているなんて思いもしませんでしたよ」


「いや、あれは最近生えてきたものなので……」


「それは大丈夫なんですか?」


「変わった様子もないので大丈夫でしょうよ」


「そこら辺はしっかりしてくださいよ。宰相一家の右腕様の手前、下手なことできないと皆仕事をしちゃいますが、今にでもやめたがってるんですよ。神殿の爆弾に巻き込まれるくらいなら無職になってやるって」


「それはすごいですね。やはりここにも戦場に立っていた人たちや、縁のない地に疎開していた人たちが流れ着いているんですか」


「まぁ、首都の近くなら頑張れば結界が守ってくれますからね、そういう考えの人もたくさんいましたし……働くってなると都会だって思う人がやっぱり多くてね、たどり着けない人たちが溜まるんですよ。ここは」


「なるほど、通りて元戦場でもないのにやたら人間兵器にピリついているわけです」


「なんだいその人間兵器って。ドラゴンさんのことか?」


「ええ」


「そりゃ変な話ですぜ。人間兵器っていうのは、人間に対して使う言葉だ。現にあっちの国で人間兵器と呼ばれていたのは災害級の魔法使い、所詮は人間だ」


 そうだ。そもそも人間兵器と俺のことを呼ぶのがおかしいのだ。だってソイツは俺のこと、人間じゃないって言ったんだから。問いただしたくて駆け寄りそうになるのをグッとこらえる。ソイツはすでに口を開いていた。


「人間扱いされている兵器。だから人間兵器なんですよ。皆が皆アレを人間扱いするべきだと言い、実際にそうしますが、結局は人間だと思っていない。最終的には兵器としての利用価値しか見ていないんですよ」


 聖女は俺を人間なんだと言った。聖女は俺を人間にしたいんだと言った。そしてそれは神殿の奴らや信仰者にも受け入れられた。


「聖女様だってそうだ。あんなもの、拾ってこなければよかったのに」


 結局は俺は人間じゃない。そんな普通のことをみんながみんな知っていた。綺麗事を並べて、優越感に浸って、俺のことを恐れながら馬鹿にしていた。

 その目を俺は知らなかった。

 ソイツと出会って、そのわずかな時間でも人間同士っていうものを眺めてみて、俺は悟った。あっち側に行くことは多分できないんだって。

 俺は、一人ぼっちなんだって。


 わかる。わかるけれど。そんなことソイツに言われるくらいなら、噛みついてしまえばよかった。


 あの時か


『貴方は謝らなくても感謝しなくてもいい。誰かの言いなりになっに使われていればいいんです』


 あの時か


『物事の裏側にあることを見逃してはいけません。聖女様がいなくなったら貴方を庇ってくれる人も、物事を教えてくれる人もいなくなるんですから』


 あの時か


『力の差がある以上は上下が生まれる。家畜と何が違うんです? ……まぁ、だから何だって話です。ドラゴンが何を食べるのかは分からないし、何を食べていても人々は恐れるでしょうから』


 あの時か


『っはは……聖女様らしいですね。でも、貴方は人間じゃない。俺はそう決めました。』


 あの時か


『じと〜とした目でこちらを見るのは辞めてくれませんか。はぁ……本当に聖女様は考えなし……いや、自分の欲望に忠実ですね』


 あの時も


『よっ人間兵器、仕事の時間ですよ』


 いつだってその喉元は、無防備にさらされていたというのに。

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