第4話 ソイツは俺は悪くないと言った


 神殿に戻ると、ソイツは部屋まで送ると言ってくれた。なんでも嫌な予感がするらしい。


「そういえば貴方、その首、どうしたんです?」


「首?」


「ほら、そこ。鱗みたいな凹凸おうとつできてますけど」

 

 この前聖女にも指摘された場所だった。触って確かめてみると、少し増えている気がする。


「普通に鱗だから大丈夫だよ?」


「普通鱗って突然生えないんですよ」


 確かにそうだ。鱗が生えている生き物はもとから鱗が生えている。


「白だからあんま目立ってませんけど、他人様に見つかったら大騒ぎですね。外出するときは隠すようにしてください」


「わかった」


 俺の部屋が目の前に見える。それではと言ってソイツが帰ろうとしたときだった。ソイツが突然動きを止める。


「セド?」


 聖女がこちらに向かってきていた。ソイツはそう呼ばれた途端、僅かに身体を強張らせた。


「ラグがお世話になったね。ありがとう」


「別に、働いてもらってるだけです。王公認で監視をしているにすぎませんから」


「でも、ラグは楽しそうだよ。ありがとう」


 聖女が足を進め出した途端、何をしようとしているのかよく分からなかったが、確かに嫌な予感がした。俺はソイツに近づいて首を守るように後ろから腕を回す。

 聖女はニコリと小首を傾げた。


「ラグ、どうしたの?」


「聖女は触らないで」


「…………」


 聖女は困ったなぁというように笑う。しかしその瞳の奥に、不機嫌な澱みが広がっていた。


「どうしてそんな意地悪を言うの?」

 

「嫌だから」


 殴られても抱きしめられても口をくっつけられても嫌だと思うことはなかった。あまりしつこいとやめてほしいとは思ったが、嫌ではなかった。嫌だって気持ちを俺はよく理解していなくて、今もきっとそれはそうなのだが、ソイツに聖女が触るのは嫌だった。

 なんだか、取り返しのつかないことになりそうだったから。


「……! そうなの」


 聖女はしばらく考え込むような仕草を見せたが、最後には明るい声を上げた。俺にはその意味が分からなかったが、ソイツはなんだか疲れたような顔をしていて、ため息でも吐きそうだった。


「では、僕は帰らせていただきますね」


「ああ、うん。今度は二人で話そうね」


 なおもゆるく微笑む聖女に首のあたりがそわっとした。別に、話すなとは言ってないけど、なんでそんなにソイツに絡もうとするのか。


「あはは、一文官ごときが聖女様となど、お話することさえ恐れ多いですよ。ご遠慮させていただきます」


 すげなく断って背を向けるソイツを聖女はじっと見ていた。見えなくなるまで、ずっと。でもやっぱり前と同じくソイツは振り返らなかった。



 聖女が湯浴みをしている間に俺も水浴びを終えた。汚れるだろうからよく洗うようにソイツに言われたことを思い出す。わざわざ言わなくても俺は毎日水浴びをしているのだが。

 思い出してムッとしつつも本を読んでいると、今日は髪を乾かしてきたらしい聖女が隣に座ってきた。ゴシゴシとタオルで頭を拭かれて視界がブレる。

 邪魔だなと思うけど、髪を乾かさないと風邪を引くらしいので我慢する。ソイツが見たらため息を吐かれそうだ。

 ソイツは聖女のことがあまり好きそうじゃないくせに、よく知っているかのようなことを言う。それってどういうことなのだろうか。


「聖女とアイツって何かあったの?」


 聖女はピタリと動きを止めた。頭にじわりと腕の重さがかかる。


「ソレ、後でもいいかな。頭を乾かす間に考えるよ」


「……うん」


 時々手を止めるようになったが、聖女は黙々とタオルで水気を吸っていった。その静けさが何かがあったことを告げていた。聖女が気にするほどの何かが。

 俺の髪を乾かし終えたらしい聖女はしばらくタオルを握りしめたり、引っ張ったりしていたが、覚悟を決めるように一つ頷いた。


「セドの友達が亡くなった話をしたよね」


 聖女はそう切り出した。口を開く気になれず、コクリと首を僅かに動かす。


「その友達と私は仲が悪かったの。別に嫌い合おうとしてたわけじゃない。でも、私たちは対立せざるをえなかった」


 聖女は言葉を区切って一つ息を吸う。


「彼女と私は同じく聖女候補だったから」


 候補だった。そりゃそうだ。いまは聖女が聖女をしているのだから。 


「神殿が予言した日、確かに金色の瞳をした女の子が生まれた。しかし、二人も。神殿は混乱した。だってそんなこと一度もなかったからね。だから二人とも聖女候補とし、様子を見ることにしたんだ」


 ───しかし、いくら待てども二人は聖女の力に目覚めなかった。

 そして桃色の髪をした平民生まれの聖女候補は神殿で、紫色の髪をした貴族生まれの聖女候補は生家で、それぞれ育てられ、学園へ通う齢になった。 

 その間にも戦争は続き、国民の神殿への不満や不信感は募るばかりだった。本物の聖女を見抜けない神殿に神があきれているから聖女の力が授けられないのではないか、という説さえ囁かれるようになり、それを誰もが信じていた。

 学園を卒業し大人になれば、完全に神の手から離れたことになる。浄化の力を得ることはできない。

 焦る民は言った。今こそ選ぶときなのだと。

 我らは神に試されているのだと。

 そして神殿で育たなかった聖女は不純だとして、他にも様々な理由から平民生まれの聖女候補が聖女として選ばれた。


「つまり、私が。だからね、セドは彼女が聖女になれなかったのは私のせいだと思ってるんじゃないかな。そうじゃなくても大分複雑な気持ちだと思うよ。それが私たちにあったこと」


 確かに聖女は戦争を終わらせた。けれどもそこまで求めることだったのだろうか。俺には分からなかった。でも、多分ソイツは選ばれなかった聖女候補のことが好きだったのだと思う。

 そりゃライバルのことは好きになれないだろう。対立しているんだから。


「じゃあなんで聖女はアイツと仲良くしようとするの?」


 ソイツに嫌われていることはわかっているはずなのに、聖女は何故しつこく話しかけるのだろうか。


「うん。……バカらしいことなんだけどね。ふふ。……セドは私に席を教えてくれたの。入学式のときにね、たったそれだけ。でも、嬉しかった」


 普段温度のない聖女の頬が朱で染まって、柔らかく目尻が下げられる。尊ぶような笑みだった。

 俺にはその気持ちが分からない。でもその口元は好きなんだと言っていた。



 夢を見た。

 やけに身体がだるかった。そしてそれはソイツの感覚なのだと、ぼんやり眺めながら理解した。

 ソイツは神殿の大広間で膝をつき崩れ落ちていた。

 目の前にはぐちゃぐちゃの肉塊が黒い布切れと紫色の毛髪と混ざったものが落ちていて、着いた膝から血が染み込んでいっていた。

 ソイツは嗚咽を抑え込むようにしながら泣いていた。ぽたぽたととどまることなく流れる涙が血の海に模様を作っては馴染む。息を吸い込むときに漏れる声が痛々しくて、俺の胸にまで鈍痛が響くようだった。

 純白の神殿に広がる地獄絵図は悍ましく、どこか神聖で、揺らめく炎のように俺の目を焼く。

 ソイツと肉塊になった誰かは煌々とした星空に見守られていた。

 


 聖女は今日は浄化に行かず、神殿での役割を果たすらしい。なので俺は神殿の入り口でソイツが来るのを待っていた。

 俺を見つけた途端にアイツが足を止めるので、なんだかモヤモヤとする。それを振り払うように駆け寄れば、ソイツはため息を吐いた。


「出迎えなんてどうしたんです?」


「うん。聖女がいるから」


「はぁ……そうですか」


 何故もう一度ため息を吐かれたのか解せないが、ソイツが緩く俺の手を握って歩き出したのに驚いて文句がうまく言えなかった。いつもよりも強く握られている気がして、ソイツの緊張が伝わってきた。


「今日は昨日と別の所に行くんですけど、説明した通りちょっといろいろあった場所ですので勝手に動かないでくださいね」


「うん」


 転移陣に乗ってやってきたのはあまり代わり映えのしない荒野だったが、どこか見覚えがあった。

 どこか聞こうとソイツの方に顔を向けると、無数の墓が建てられているのが目に入る。木を十字に組んだだけの簡素な墓が乾燥した風に吹かれていた。

 カツンと後頭部に衝撃を受けて振り返ると、子供がこちらを睨みつけていた。どうやら石を投げられたらしい。


「お前のせいで……お前のせいで父ちゃんが死んだんだ!」


 そんなこと言われても、正直よく分からない。

 しかしソイツは理解しているようで、きゅっと僅かに眉を寄せていた。


「もしや俺が教えたこと忘れてます? 見覚えがあるか分かりませんが、ここは貴方が駆り出されていた戦場です。元、ですけどね。ここにあった鉱脈と平らな地形が戦争を生み出してしまったというわけです」


 その戦争に親が参加していたんでしょうねとソイツは子供に背を向けたまま、歩き出しながら言った。

 子供には聞こえないように小声だったが、それはやけにはっきりと聞こえた。


「それ、俺悪くないよ」


「まぁ、戦争に善悪はないと思いますが、貴方の責任ではないでしょうね。だって分からなかったんでしょう? 誰が敵か」

 

 誰が敵かも何も、あそこに味方はいたのだろうか。それさえもそのときはよく分からなかった。


「右も左も分からないところに放り出されて、じゃあ頑張ってねなんて身勝手が過ぎます。神殿側にはもう少し考えてほしいところでした」


 ソイツに言われた通り、聖女に拾われたばかりの俺は何も分からなくて、放り出されたこの場所で唖然としていた。ただ、五月蝿いから静かにしただけで、殺したなんて意識はなかった。結果それは正解で、俺は聖女様のおかげだとか言って神殿に帰してもらえた。

 でも、人を殺してはいけないと聖女は言った。

 そのことがずっと喉に小骨が引っかかるように、頭の片隅に残っていた。


「まぁ、よかったじゃないですか。石を投げてもらえて。聖女様が人を殺したり傷つけたりしてはいけないと言うのはこういうことです。悲しい気持ちになるのはその人だけじゃない。人は互いに影響しあって生きています。俺たちはそのしがらみから逃れることはできない」


 人はときに手を繋ぎ、体重をかけ合って生きている。だから一人がいなくなるだけでも、一人が揺らぐだけでも、崩れてしまう危うさがあるのだとソイツは言った。


「物事の裏側にあることを見逃してはいけません。聖女様がいなくなったら貴方を庇ってくれる人も、物事を教えてくれる人もいなくなるんですから」


 そして善悪はないだの言っていたソイツは俺の手を少し強く握り直して言った。


「まぁ、さっきのことについてはね。貴方は悪くないです。だって貴方は人間じゃない」


 その手がいつもより暖かく感じたのは気の所為だろうか。

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