第3話 ソイツは多分、聖女を嫌ってる


 神殿は広いので、敷地外に出るだけでも結構時間がかかる。外に出てしまえば街の中で、たくさんの店があるので困ることはないけど。

 飲食店の多く集まる通りまで、本屋や玩具屋などがある通りを歩く。一人の小さな女の子供が走っていくのが見えた。覚束なくて転んでしまいそうに見える。その子供から何かが落ちた。

 子供が人混みに紛れてしまう前に、ソイツは落ちた何かを拾い上げて声をかけた。


「お姉さん、何か落としましたよ」


「あ、ありがとう!」


「可愛いぬいぐるみですね」


「そう? かっこいいでしょ。黒いドラゴンなんだよ」


 ソイツは膝をついて目線を合わせ、両手で黒いぬいぐるみをその子供に渡した。子供はぬいぐるみを掲げてきゃらきゃらと笑っている。トカゲのように見えるがドラゴンらしい。確かにコウモリみたいな羽が申し訳程度についている。


「ねぇねぇお兄さんたち〜」


「おっと、お話は座ってするものです。あちらのベンチを使いましょう?」


「はーい」


 子供はすぐさまソイツが示したベンチに座って、急かすようにぽんぽんと座面を叩いた。

 ソイツは「はいはい」と生返事をしながらその隣に腰掛ける。そして子供と同じように座面を叩いた。


「ほら、貴方も来てください。通行の邪魔です」


「うん」


 俺が座るとソイツはグイと俺の方に寄ってきた。俺たちを座らせようと端にぎゅうぎゅうに詰めていた子供に気を使ったのだろう。子供はソイツの様子を見て、少しゆったりと座り直した。


「ねぇねぇお兄さんたち知ってる? 神殿にはドラゴンがいるんだって。本ばっかり読んでる変なドラゴンがいるんだって、みんなが言ってるの」


 俺は神殿に住んでいるが、ドラゴンなんて見たことがなかった。第一そんなのいるのだろうか。かつて魔物と呼ばれていたものは結局ただの動物だったなんてことも少なくない。


「そのドラゴンはね、乱暴者でたくさんの人を殺したんだって。でも、聖女様がドラゴンを優しくしたの。聖女様を大好きになったドラゴンはいいドラゴンになったんだって」


 聖女を好きになったらいいドラゴンになるってどういうことなのだろうか。聖女は確かに優しいみたいだ。神殿の人はそう言う。ソイツだって優しいと言った。

 聖女は聖書みたいな女だった。

 「いい」になるお手本としては最も相応しいだろう。


「いいドラゴンは白色になったんだって、この子は黒いからね、悪いドラゴンなの。だからきっと強くてかっこいいよ」


「悪いってかっこいいの?」


「うん。悪いってね、きっと自由だから」


 なんで悪いのが自由だと思うのか分からなかった。けどきっとそれは子供にも言いようがなかっただろう。


「あ、お母さん」


 子供はそう言って人混みに紛れてしまった。

 ガヤガヤと喧騒が思い出したかのように鳴き始める。ソイツは人混みを探すように見つめていた。


「ドラゴンって何を食べるんでしょうね」


 動き出すのかと思って俺が腰を上げた時だった。ソイツは人混みを見つめたまま、一瞥もよこさずにそう言った。


「植物? 魔法石? 肉?魚? それとも、──人間?」


 何も考えていないような空っぽのその言葉はシャボン玉みたいにプカプカと浮く。


「人間も肉なのに、なんでわざわざ分けたんだ?」


 ぱちん。シャボン玉が割れる音がした。

 こちらを伺ったソイツの目が見開かれる。

 間違えた。


「……聖女と仲がいいんなら人間は食べないと思う。聖女は人間だから」


 ソイツはふいと視線を人混みに戻した。


「そうでしょうか。それは、人間を食べないから人間と仲良くなれたのか。それとも、人間と仲良くなったから人間を食べなくなったのか」


「どっちでも同じじゃないの?」


「はは、違いますよ。食べなくなっただけなら、結局は気が変われば簡単に人間を食べるってことじゃないですか」

 

 目を僅かに伏せた笑顔に俺はハッとさせられた。捕食関係にないから仲良くなれるのだと思っていた。そうでなくても仲良くなれば食べないだろうと思い込んでいた。が、そうか、食べるのか。


「貴族の中にはトラを飼っているという人もいます。でもそのトラは腹が満たされているから人を食べないだけであって、気が向けば簡単に食べますよ。一口だけ、その気持ちで簡単に人を殺せる」


 トラは本で読んだことがあった。猫の何倍も、人よりも大きいと聖女は言った。あの牙ならばどこを噛んだって人は無事ではすまないだろう。そうでなくても獣は首を狙う。人間なんてあっさりと死んでしまうだろう。


「力の差がある以上は上下が生まれる。家畜と何が違うんです? ……まぁ、だから何だって話です。ドラゴンが何を食べるのかは分からないし、何を食べていても人々は恐れるでしょうから」


 ゾウもカバも草を食べるが人を殺す。捕食だけが害す理由にはならない。人間こそがその代表例だと思うが、自分より巨大な生物を生物が恐れるのは当然のことだった。


「ねぇ、貴方は何を食べるんです? 神殿での食事は野菜中心でしたけど、肉とかはたべれないんですか?」


 お腹が空きました。と、ソイツが立ち上がる。


「うーん。神殿の人たちは食べない方がいいと思ってるけど、聖女は好きなもの食べたらいいよって言ってる感じ」


「まぁ、そうですよね。じゃあ別に食べれないものがあるわけではないんですね」


「聖女の方を信じるんだ?」


「聖女様は貴方に悪いことはしないと思うので。……何か食べたいものあります?」


「肉」


「具体性がない。却下」


「えぇ……」


 ソイツは多分、聖女を嫌ってるんだと思う。そのくせ変なところで聖女を信用していた。俺について王や神殿に話を通そうとしたのも、聖女を信じているからだと思う。多少無茶をしても聖女が庇うと確信していたようだった。

 聖女は多分、ソイツのことを気遣っているんだと思う。友達が亡くなったから。でも、それ以上になんだか……


「着きましたよ」

 

「ん?」


「何ボケてるんですか? まさか、歩いていることに気づかなかったなんて言いませんよね」


 きゅっと眉を寄せてソイツは俺の袖から手を放した。さっきまで掴んでいたらしい。聖女がよく袖を引っ張るので、その時の癖でなんとなく歩いていたのだろう。


「貴方にとってはなんでもかんでも社会勉強です。周りをしっかり見てください」


 ソイツは扉を開けて店の中に入る。チリンとドアベルがなる音がした。俺は閉まる前にドアに手をかけて、ソイツを追いかける。


「聖女は別にそんなこと言ってない」


「聖女様は貴方を手放すことを考えていないからそんなこと言えるんですよ。人間いつ死んでもおかしくないのに。……知ってますか? 最近の魔道具は学習するそうです。計算したり、道を覚えたりできる。人が作ったものがです。なら貴方もできるでしょう?」


 ソイツは店の内側の席に座って、薄い冊子を開いた。メニュー表だと聖女は言っていた。

 コトンと水が置かれ、そのガラスに水滴が染み出す。カランと氷の崩れる音がした。


「うん」


 頷いたときにはもう遅く、ソイツは不思議そうに小首を傾げた。

 メニュー表を俺に手渡して何を食べたいのかソイツは聞く。


「おんなじの」


 そう言うとソイツはきゅっと眉を寄せた。

 

 じゅわじゅわと音を立てる黒い皿が木の上に乗せられて運ばれてきた。ハンバーグだ。

 ハンバーグも肉からできていることは分かるが、肉を食べたいって思ったときにはハンバーグは物足りない。もしかして、だからソイツは眉を寄せたのだろうか。

 口の中にいれるとじわぁと汁が溢れてくる。おいしい。でも、肉のくせに柔らかくて変な感じだ。


「なんで肉をぐちゃぐちゃにしてまた固めるんだろ?」


「肉を切った時に端などが残るでしょ。そういう中途半端なサイズの肉を使うためです。ミンチにしてしまえば形は関係ないですからね」


「中途半端はバラバラにされる?」


「じゃないとまとめることができないでしょう? ある程度形作られていた方がいいと思いますし……まあでも最近は普通に肉を使うそうです。ハンバーグはすでに一つの料理として研究される立場にありますからね」


 ソイツは多分ハンバーグの話をしていなかった。いや、多分そのつもりだったのだとは思う。けれど、料理の話をするにはやけに、冷たい瞳をしていた。


「……ハンバーグ、好き?」


「? ……あぁ、はい。好きですよ?」


「俺も」


 少しだけ冷めてきたハンバーグを口に運ぶ。あー、汁っぽい。

 黙々と食事を進めるソイツの赤茶けた色を俺は知らなくて、とにかく俺も食べ進めた。

 カラン。どちらのカップの氷が崩れたのか、俺はよく分からなかった。



 午後から鉱山の方に戻ってお昼前と同じようなことをした。ソイツはそこにいる人と話したり、書類を確認したりしていた。

 たまに暇になってじっと見るとソイツはきゅっと眉を寄せる。なんだか面白くなってきてわざとじっと見るようにすると、口元がニマニマしていたのか、気づかれて額を指で弾かれた。手招きされたときは何だと思ったが、わざわざそのためだけに俺を呼んだらしい。なんだかそれも面白くて、笑ったらさらにきゅっと眉を寄せられた。

 何も言わずにため息だけ吐かれたのでそれからは真面目にやったはずなのだが、帰るときになってもソイツはジトッと俺を見ていた。


「ごめん」


 数歩前を歩くソイツが振り返る。ピタリと、切り込むような動きに静寂しじまが流れ込んだ。


「急にどうしたんです? ………俺が黙ってたから……?」


 沈黙を肯定と受け取ったらしいソイツはため息を吐いた。思わずピクリとぎこちなく背が揺れた。


「貴方が真面目にしてくれないからちょっと拗ねてただけてす。気にしないでください」


「うん、そっか……」


「貴方は謝らなくても感謝しなくてもいい。誰かの言いなりになっに使われていればいいんです」


 緩く俺の袖を引いてソイツは歩き出すけど、俺はなんで自分が「ごめん」なんて言ったのかさえ分からなかった。不用意に人から触られること以外で、嫌だなと思うのは初めてだった。ソイツの様子がいつもと違うのがなんだか嫌だったのだ。

 嫌だって言えばよかったのかな。

 それもよく分からない。

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