第5話 ソイツは聖女の友達のことも好きじゃない


 新しい場所はやっぱりピリピリしていて、でもソイツと話している人は無駄にニコニコしていてなんだか気持ち悪い。ここは露天掘りだから掘るだけ掘ってさっさと帰りましょうとソイツは言った。

 昨日は常に誰かと話したりなんだりしていたソイツだが、今日は岩に背を預けて黙ってずっとこっちを見ていた。

 指先に光を集めて、それを地面の中に埋め込む。ドカーン。押し上げられるように地面が動いて、バキバキに崩れた状態で静止した。もう1回かなと思って光を集めようとするも、そっと袖を引いて止められる。


「もういいですよ。さっさと帰りましょう」


「……うん」


 そのまま袖を引いてソイツは真っ直ぐ転移陣の方へ向かう。おそらく俺のことが嫌いな人たちの視線が集まっても、何もないみたいに歩く様子は慣れてるなと思った。なんでかはよく分からないけど。



 神殿に戻ると聖女は籠っているようで、聖女に会うことはなかった。ソイツはもとから今日は午前だけで帰る予定だったらしく、あらかじめ俺の昼食を用意するように神殿に頼んでいたらしい。だから、今日はここでお別れ。そうなのだが、なんとなく胸のあたりに隙間ができて、そこに吸い込まれるみたいにいろいろ入り込んで痛かった。

 だから、神殿から出るまでついていくことにした。

 聖女に何か言われたのかとソイツはきゅっと眉を寄せてこちらを見ていたが、そんなことはない。なんだか嫌だったのだ。ソイツに、置いてかれるのが。

 長い廊下を二人で歩く。ときどき手がぶつかっても、ソイツは何も言わずに歩いていた。もういっそのこと手を掴んでしまおうかと思ったときだった。いくつもすれ違うばかりだった足音が、不自然にピタリと止まったのは。

 ソイツはちょっと驚いたように薄っすらと口を開けたまま前方を見ている。その視線の先にいたのは、若草色の髪をしたナヨナヨした感じの男だった。聖女をすぐに外に連れていく、聖女の友達だ。俺のことに気づいてないのか、聖女の友達は目を見開いたままそいつのことを見ていた。そのくせ僅かに目が泳いでいる。


「挨拶は省略させてください。殿下、この時期の神殿にどのような用があっていらしたのですか?」


「セド、リック……久しぶりだな」


「…………」


 ソイツと聖女の友達はしばらく目を合わせていたが、友達が何も言わないことに呆れてソイツはため息を吐き俺を振り返った。


「貴方、もう帰ってください」


「いやだ」


 俺が袖口を掴むと、ソイツはきゅっと眉を寄せて小さく舌打ちをした。そして黙ってじっと俺の目を見る。

 なんて言いたいのかはよく分かった。邪魔だって言いたいんだ。聖女の友達も俺のことを邪魔だって目でよく見るし、すぐに聖女を引っ張ってどこかに行く。

 でもそれは聖女のことが好きで、一緒にいたいって思うからだ。友達は聖女のことが好きなんだって聖女が言っていた。

 ソイツの友達へ向ける目はそんなんじゃなかった。穴の空いた水車を見るような、俺に石を投げてきた子供のような、水面か、それとも火みたいな何かが揺らめく目をしていた。そこにちょっとだけ、俺の額をはじくときみたいな色が滲んでいて、首元がそわそわする。

 じっと見つめ合って、譲らない俺にソイツは項垂れた。


「全く、アンタらは……揃いも揃って自己中が過ぎるんですよ」


 小さくため息を吐いて、ソイツは袖口を掴む俺の手を撫でた。


「お願いだからあっち行ってください。貴方、怖がられてるんですよ」


「いや、違うと思う……」


「はいはい、もう何でもいいです。とにかく今日はまた明日にしましょ」


 するりとソイツは俺の手を袖口から外して、いつの間にか手に持っていたらしいキャンディを俺に握りさせた。それで勘弁しろと言いたいのだろうか。うまく言葉が出てこなくて、俺は立ち尽くすしかなかった。

 ソイツは俺がついてこないことを確信して歩き出す。聖女の友達は少し身じろぎしたが、恐れているようではなかった。


「殿下、あちらでお話お聞かせ願いますか?」


「あ、ああ……」 


 並び立って神殿の外へと歩き出す二人を俺は黙って見送る。カラリ、口の中に入れたキャンディが歯に当たって音を立てた。



 あの後ソイツを追いかけようか悩んだが、そうする気にはなれず、俺はいつものソファでゴロゴロと本を読んでいた。 

 こんなに暇だっただろうかとちょっと不思議な気持ちになる。部屋でひとりぼっちだなんて特別珍しいことでも無かった。しかし、ソイツが俺を連れ出すようになって、いや、ソイツと会ってまだ1週間も経ってないのにソイツがいるのが普通になるんだと思っていた。

 真面目そうなくせして失礼で、聖女のことが嫌いで、子供には優しくて、俺を人間じゃないって言って、にこにこしているときは冷めた目をしているやつ。変で、暖かくて、一緒にいるとなんだか楽しい。

 俺は、こんな気持ちになったことがなかった。もっと一緒にいたくて、誰か別のやつと一緒にいると思うと首元がそわそわする。

 もしかしてこれが人に対して好きって思うことだろうか。変な感じだ。

 もっと話したい、触ってみたいと自覚すると、気持ちがふわふわしてきて本の内容が頭に入ってこない。本を置いて俺は天井を見上げた。

 人間はみんなほとんど聖女ににこにこしていて、褒めることが多い。それがなんだか気味が悪くて理由を聖女に尋ねたら、仲良くなりたいからだと答えていた。どうして仲良くなりたいかよく分からないけど、今、仲良くなりたいって気持ちは分かった気がする。

 明日、あったら何か話そうかと思ってあれこれ考えていると、部屋のドアが開かれた。聖女だ。もう夕方になっていたらしい。

 いつに増して聖女らしい格好をした聖女は少し邪魔そうに裾を引きずってこちらに歩いてきた。俺は起き上がってソファに座る。空いたスペースに聖女も腰掛けた。

 俺が話したいことを察したのか、聖女はにこにこと薄く微笑んで俺を見た。黙ったまま首を傾げるその姿は俺の話を促すようで、俺は答えるように口を開く。


「俺、アイツと仲良くなりたい」


「……! そっかぁ。いいね。でも、セドと仲良くなるのは難しいよ」


「ソレ、聖女だからじゃないの?」


「ふふふ。そうかな? 私は聖女候補だったあの子以外にセドと仲良かった人を知らないよ」


 聖女はにこにこと笑いっぱなしだが、聖女だからじゃないかと聞いた刹那、僅かに笑顔を途切れさせたのを俺は見逃さなかった。どうしてかは分からない。けれど、気にすれば聖女がめんどくさくなることは明らかだった。

 とにかく聖女は嘘を言わない。正確に言うなら嘘だと思っていることは言わないんだけど、嘘だったことが後からわかることはあまりなかった。


「そういえば昼に友達が来てたんだけど、聖女、何か約束あった?」


「特にしていないよ。ニージュは特に用事がなくても来るからね。どうなったの?」


「何しに来たのかってアイツに聞かれて、なにも言わなかったからアイツが話を聞きに連れてった。聖女の友達、神殿に来ちゃダメなの?」


 聖女は少し視線を反らして考え込むような仕草を見せた後、口元だけで微笑んだ。


「ううん、神殿に来ちゃいけない人なんていないよ。きっと他の用事を優先させなくてはいけなかったんじゃないかな。でもまぁ、ニージュもセドのことが好きだから、もしかしたら会いに来たのかもね」


 ニージュは正直じゃないからさとどこか懐かしむような聖女を後目にきゅっと眉を寄せていると、聖女は思わずといったように声を出して笑った。ここまで笑うのはなかなかに珍しいことだった。

 何があったのだろうと首を傾げたくなるが、聖女の機嫌は難しいので黙って見つめておく。


「あはは そ、そっかぁ! 本当にラグはセドのことが好きなんだね。すごい、すごいことだよ。いいね、私、二人が仲良くしてるとこ見てみたい」


 俺の手を両手で包んだ聖女はなんだか冷たくて、嬉しそうに笑っているけど、その目はどこか忌々しげだった。


「がんばる」


 俺の声に聖女は一つ頷いて立ち上がる。聖女が明かりを消して自室に向かってから、俺はそっと目を閉じた。



 夢を見た。


 紫の髪が視界にちらついて、ああ、これは誰かの記憶なんだろうなと理解した。

 俺は芝生の上に膝を折って座り込んでいて、暖かい日差しにふんわりと撫でられている。

 そこに、少し幼いソイツが急ぎ気味に歩いてきた。

 先に行かないでって言ったでしょうとソイツは拗ねたように顔を背けながら言って、思わず記憶の主はふふふと笑っていた。記憶の主はソイツに座るよう促して、ソイツの小指に白い花を巻く。シロツメクサだった。その穏やかな手つきが主が温かい顔をしていることを伝えていた。

 ソイツは少し頬を赤く染めて小指を眺め、ありがとうございますと記憶の主に緩く微笑んだ。突如視界が歪んだ。泣いた。記憶の主は泣いていた。

 ドレスを握り込んでいた手が優しく包まれる。小指にシロツメクサをつけた手だ。

 泣いても、泣かなくてもいいのだとソイツは言った。聖女にならなくても、なれなくても、あなたこそが僕の価値だとソイツは尊ぶような笑みで記憶の主を見ていた。

 ひたすらに温かいその夢は、心に何故か隙間風を通すのだった。

 

 

 長い夢をみていた気がするのに空はまだ紺色で、橙色を待ち侘びるように青をはらんできていた。俺は身体を起こして、窓を開け、少し冷たい空気に身をさらしてみる。なんてことないただの風だ。心地よくて、でも、なんだかソイツに会いたい気持ちになる。

 早く起きてしまったので聖女が来る前に着替えたりなんだりしていたら、聖女に驚かれた。扉を開けた瞬間に目を丸くした聖女には、ちょっとムッとした。別に俺にだって着替えくらいできるのだ。


「すごいね、ラグ。やっぱり今日もセドが来るからかな」


 そうじゃなくてもできると文句を言いたくなったが、恐らくソイツのせいなので何も言えなかった。少しでも早く会いたくてっていうのは本当だったから。

 でもね、と聖女が話を続けるのでそちらに視線を向ける。


「今日は気遣ってあげてね。セドはたぶん、ニージュのこと、好きじゃないから」


 ソイツは聖女の友達のことも好きじゃないんだって。ならばソイツが好きなやつってどんなやつなのだろうか。気になったけれど聖女の窓の外みたいな薄い笑みが、聞く体温を奪ってしまった。

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