第2話 ソイツは俺を人間じゃないと笑った


 ソイツは言った通りに一時間後に俺を起こした。ゆらゆらと揺さぶられるのがなんだか楽しくて笑ったら、ソイツは俺の額を指で弾いた。痛い。

 ソイツはその後もみっちり勉強をさせて、明日から実践ですよと釘を差して去っていった。



 ソイツがいなくなって暫くしてから聖女が帰ってきた。聖女は湯浴みを終え、じっと俺を見た。


「鱗が久しぶりに生えてるね。何かあったの?」


 スルリと聖女が首元を撫でる。そこには確かに鱗が数枚生えていた。


「なんか知らない奴が来たからかも」


「気にいったんだね。……セドは、昼食を食べなかったらしいね。どんな様子だった?」


 髪を乾かさずぽたぽたと水滴を垂らしたままの聖女はどこか機嫌が悪そうに見えるが、ふんわりと笑って小首を傾げていた。


「弱そうだけど力強くて、ちょっと寂しそうだった。勉強を教えに来てくれたんだ。俺に仕事をさせたいんだって」


「そっか。セドらしいかも。相変わらず真面目さんだなぁ」


 聖女は遠くを見るように呟けば、どことなく張り詰めていた空気が緩んだ。聖女は時々空気をピリピリさせるから苦手だ。にこにこと笑ったままなのも怖かった。

 最初の頃はどうして聖女に変な感じがするのか分からなかった。侍女達も表情を変えないし。でも、今はなんとなくに、にこにこしたままだから変なんだって思う。

 聖女がソファの端のほうに座って俺を手招きする。俺は大人しく頭を膝に預けた。聖女が俺の髪の隙間に指を通しだす。


「ラグ。セドは男の子で、友達を亡くしたんだ。3年ほど前のことだったよ。その頃には私たちは学生だったんだ」


 学生というと、まだ子供だと言われる時期だ。友達を俺は知らない。仲のいい人のことを呼ぶんだと聖女は言った。聖女の友達が来たときだった。その友達は俺のことが嫌いみたいで、すぐ聖女を連れてどこかに行くけど。


「ラグはそのことを気にしてはいけない、でも気に留めなくてはいけない。それくらい大事なことなんだ」


 セドと仲良くしたいなら尚更ね。


 その言葉を最後に俺の意識は眠りへと沈んでいった。ぐるぐると頭の中が回る感覚がした。



 夢を見た。

 紫色の髪の女の後をソイツが追いかけている夢だった。

 女は紫の長い髪をなびかせて悠々と歩いていた。その瞳は聖女と同じ金色の瞳だったが、ずっと力強い。

 本やら何やらを抱えたソイツがちょっと小走り気味に追いつくと、女はふっと笑った。ソイツは一瞬ムッとした顔をする。しかしすぐ女と同じように顔を綻ばせた。

 なんてことなくて、幸せそうな夢だった。



 聖女は出かけていった。浄化の仕事があるらしい。

 俺はソイツが来るのをソファで本を読みながら待っていた。コツコツとソイツの足音がした気がして、本を置いて扉の前まで駆けつける。コンコンコンとドアをノックする音がした。

 扉を開けたソイツは目を丸くする。


「やる気があるのはいいことですね。では早速行きましょうか」


「うん」


 ソイツは俺の手をとって歩き出した。細い指がキュッと手に回って緩く握り込む。首元がそわそわした。


「なんで手を繋ぐの?」


「聖女様も出かけるときは貴方の手を掴むでしょう?」


「そうだけど……」


 ソイツは聖女と同じことを全くしない。頭を抱えてくることもなければ、撫でたり唇をくっつけたりもしてこないのに、そこだけ聖女と同じだって言われても納得いかなかった。


「貴方ね、怖がられてるんですよ。だから手を握って貴方が勝手にどこかいかないようにして安心させるんです」


「俺人殺さないよ?」


「殴ったりわざとぶつかったりしません?」


「それもしない。痛いことはするなって言われた」


「聖女様もそこんところはしっかり教えてるんですね」


「なんで手を離さないの?」


「一言目が殺さないよな時点でアウトなんですよ」


 ソイツは魔法陣の中に俺を押し込んだ。ソイツも入ってくると魔法陣が光る。転移陣だったらしく、だだっ広いところについていた。

 山がいくつかあって人が石を運んでいる。

 ソイツは地図を取り出して、一つの三角を指さした。


「俺等がいるのはこのあたりです。君にはあの小山を崩して貰います。削るように少しずつ。できた岩が運び出されるのを待つ間に、あちらの小山も削ってもらいます」


「分かった」

 

「くれぐれも人がいないことを確認してから行ってくださいね」


「うん」


 ここではたくさんの人が毎日山を掘って、その掘ったものから使うものを取り出しているらしい。それで、俺がドカーンってやると掘るのよりも早くていいらしい。

 指先に光を溜めて離す。ドカーン。がらがらと小山の端が崩れて岩ころが転がる。小山が静かになってから、人が岩を運び出した。

 一度に全部崩しちゃえばいいのに、と思うがそれは人が運びきれないし、雨が降ったり時間が経ったりして固まってしまうとソイツは言った。確かに、雨が降って乾くと、地面は固くなった気がする。

 ソイツから指示された次の山に向けても同じ様にドカーン。がらがらと岩ころが転がりだした。

 最初の小山もまだ人が岩を運んでいるし、どうしたものかと思ってソイツを探す。ソイツは少し離れたところで何やら誰かと話していた。


「まさか神殿の爆弾、眠れるドラゴンをこのようなことに使うとは、流石宰相一家の右腕にございますね」


「長官が僕の提案を上に斡旋してくださったのが大きいですがね。そも、あれを人間兵器としてのみ利用し温存しようとするのが間違っているのです。あれは火山と一緒だ。マグマをため込んでしまえば太陽さえ覆う大災害へと繋がる。しかし、頻繁に噴火する火山はそこまでの被害を生みません」


「そうかも知れませんが、あれは力を好きなように使うことができる。便利な反面、我々はそれが怖いのも正直なところだ。くれぐれもご自愛ください」


「聖女様の暗示を一応は受けているとはいえ、皆さんを最初のまだ危ない段階に付き合わせてしまうことには申し訳なく思っています」


「いえ、鉱山で死ぬ者は多かったものですから、それが減らせるなら安いものです」


「そう言っていただけるとありがたいです」


 俺はよく本を読む。動物や植物の本ばかりなので人のことはよく分かっていないことが多かった。宰相一家、暗示とはいったい何なのだろうか。

 逆に火山についてはよく分かった。昔、火山が噴火してその灰が空を多い、たくさんの植物や人が死んだ。俺たちが住んでいる城のある街はもともと火山だったらしい。だったなんて言い方はおかしい気がするけど。

 話を終えたらしいソイツに手を振る。気づいたようで緩慢な動きでこちらに歩み寄ってきた。それを確認して俺は駆け寄る。俺が動き出した途端にピタッと足を止めるので、何とも言えない気持ちになった。


「何かありましたか?」


「することないなーと思って、俺も岩運ぶの手伝った方がいい?」


「慣れてない貴方が行っても邪魔になるだけですよ。それに、先程も言いましたが、貴方怖がられてるんです」


「……俺が火山だから?」


「貴方は火山みたいな災害なんてものじゃない。所詮は人間兵器ですよ」


 ソイツはやっぱり不思議な奴だと思う。初めて会ったとき、ソイツは突然俺を人間兵器なんて呼んだ。それはすごく変なことだった。

 俺のことを人間兵器だの神殿の爆弾だの言うやつが、聖女と会った頃はたくさんいた。でも聖女がそういう奴にすごい怒るから、そういう奴は居なくなっていった。

 だのにソイツは平然と俺を人間兵器と呼ぶ。そして聖女に怒られていなかった。

 聖女は俺は人間なんだとよく言った。だから人間として当たり前に生活できなくてはいけない、と。俺がやってきたこと、されてきたことは人間じゃないんだって言った。

 聖女は俺を人間にしたいのだと言った。

 そしてその考え方は神殿の人々に受け入れられた。流石聖女だと賞賛するやつらばかりだった。

 でも、ソイツは違う。違うと分かっていて俺は聞いた。


「聖女は俺のこと人間だって言うよ?」


「っはは……聖女様らしいですね。でも、貴方は人間じゃない」


 俺はそう決めました。


 と、ソイツは子供みたいに笑っていて、桜が咲いていたらその花弁はきっと綺麗に舞ったのだと思う。 

 そよ風にすら揺らいでしまいそうで、俺は思わずソイツの腕を掴んだ。


「ん? 文句があるんですか?」


 違う。文句があるわけじゃなくて、どこかに行ってしまいそうで怖くて、でも、


「なんでちょっと楽しそうなの?」

 

 ソイツはぎゅっと眉を寄せた。




 人間がいなくなったら小山を削ってを繰り返して、太陽が高くなってきたあたりでソイツはやめるように言った。そろそろ昼食の時間らしく、岩を運ぶ人も一旦休憩するらしい。

 

「下手にお弁当を用意して薬物を入れられても困りますし、街の適当なレストランにでも行きましょう。一度神殿まで戻りますか」


「うん」


 転移陣を使って神殿まで戻ると、丁度そこで聖女と出会った。チッと舌を打つ音が小さく隣から聞こえる。しかしソイツは笑みを作っていた。

 聖女は足を止めてぼんやりとソイツを見、いつもより控えめな笑みを浮かべた。


「久しぶりだね。セド、元気だった?」


「見ての通り五体満足です。聖女様のおかげで暮らさせていただいておりますゆえ」


「違うよセド。最近よく眠れてる? ご飯はちゃんと食べてるかな?」


 聖女は獲物を追い詰めるようにソイツに歩み寄る。やけに足音がして、廊下中どころか心臓にまで響くようだった。

 聖女の指先がソイツの目元に伸びる。

 それを思わずはたいてしまった。

 パシンと乾いた音が鳴って、聖女は驚いたように俺を見た。今になって初めて俺に気づいたというよりは、俺がしたことが信じられないようだった。


「どうしたの? リグ」


 聖女の零れそうな程開かれた瞳に映る俺は瞳孔が開いていて、トカゲのような目をしていた。首元がかゆい。

 浮いたままの俺の腕をソイツはそっと下げさせた。そして一歩歩み出て聖女に向かい合う。


「嫉妬でしょう。貴方が甘やかすから心が狭くなったのでは? どうか人との接し方も教えてやってくださいよ」

 

 ソイツが俺に視線を向けて返事を促す。そういえば聖女に質問されたのは俺だった。ソイツの目を見てコクリと頷く。


「聖女は触らないで」


 聖女は腕を下ろして、温度のない笑みを浮かべた。不機嫌なときの笑みだ。


「これから僕たちは昼食を食べに行きます。詳しくは侍女さんから報告を受けてください。それでは」


 聖女は何か言いたげだったが、結局何も言わずにひらひらと手を振っていた。それを見たのは、振り返った俺だけだった。

 なんだか不気味で、ソイツの背中を隠すように歩いた。

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