第8話 もう奈々のいない日常には戻れないよ


 

 それから、私と美月の距離はさらに急速に縮まっていった。

 この二年間、ずっと友達ですらなかったのが嘘みたいだ。


 今まで同様、教室で話すことはないけれど、美月と過ごす放課後に、私は病みつきになっていった。


 今日も美月と一緒に保育園にたすくのお迎えに行ったあと、二人……じゃなくて三人でリサイクルショップに向かった。

 赤ちゃんを一人と数える感覚には、私はまだ慣れない。


「たすくを座らせる、椅子が欲しいんだよね。私、お母さんみたいに器用に抱っこして離乳食あげられないからさー。この間やってみたけど、Tシャツがおかゆまみれになって、大変だった」


 げんなりした様子の美月に私は笑う。


 離乳食かあ。

 赤ちゃんって一年ぐらいずーっとミルクだけ飲んでいればいいものだと思ってたけど、違うんだ。

 当たり前だけど、子育てについては全然わからないことだらけだ。



 リサイクルショップの自動ドアをくぐる。店内は空調が効いていて涼しい。

 蒸し暑い外から来ると天国のようだった。


 今までリサイクルショップに来ても真っ先にゲームや漫画ばかり見ていたから、ベビー用品がずらりと陳列しているコーナーに来るのは初めてだった。


 こうして見ると、同じ店舗の中でも全然雰囲気が違って見える。


「本当は新品を買ってあげたいんだけどさ、お金もないし、節約するにはリサイクルショップって最高なんだよね。たすくのベッドについてるあのメリー、新品だと一万円以上するんだけど……じゃーん、見て! ここなら二千円!」


 美月がにこにこと笑いながら大きな箱に貼り付けられている値札を指差す。


「わ、やっす!」


「ね? これなら私のお小遣いでも買えるの」


「えっ、美月のお小遣いからたすくのおもちゃ買ってるの?」


「うん。お母さんにはひみつ。だって私、別に奈々以外の友達と遊んだりしないし、ただ貯めとくのも、もったいないからね」


「へー……」


 “奈々以外の友達と遊んだりしないし。”


 心の中でその言葉を噛み締める。喜んじゃいけないのに喜んでしまう。口元がゆるゆるになっていくのが、自分でもわかる。

 誤魔化すように、美月とは反対側の棚の方を向いて、赤ちゃん用のおもちゃを物色するふりをした。


「あ、あった! 奈々、あれ、あの黄色い椅子」


 美月の指の先に視線を滑らせる。


 下段にはベビーカーや抱っこ紐が陳列されている棚の、ちょうど背伸びすれば届くくらいの高さに黄色い椅子がある。


「奈々、奈々、あれ取って」


 私の制服の袖を摑むと、ちょいちょいと引っ張って美月が言う。


「うん、いいよ」


 仲良くなる前の固さが取れた美月は、遠慮せず私に甘えるようになった。

 それがたまらなくかわいくて、うれしくて、私はなんでもしてあげたくなってしまう。

 

 元CAの母譲りの高身長を活かせる時がやっと来た。

 前回の健康診断では、私の身長はいよいよ百六十九センチを記録していた。

 生理が来たのは比較的早かったのに、まだ伸びているのが少し驚き。

 

 年々伸び幅は縮小して行っているけれど、母親が百七十センチはあるから、私もまだ伸びそうだ。

 でも、できれば百六十センチ代で踏みとどまってほしい気もするけど。


 つま先で立って指先で黄色い椅子を摑むと、椅子は思ったより軽くて、少しだけもちもちとしていた。


 美月に椅子を手渡すと、テープでべったり貼られていた値札を確認して、嬉しそうに微笑んだ。


 税抜、千九百円。


 それが高いんだか安いんだか私にはわからないけど、美月の表情を見ると多分これはお買い得なんだと思う。


 ビニール袋に入る大きさでもなかったので、私が黄色い椅子を手に持って、美月の家に歩いて帰った。

 赤ちゃん連れの女子高生二人はかなり目立つ。すれ違いざまにいろんな人にじろじろ見られたけど、美月は人の目を気にすることなく堂々と歩いていた。


 美月は見かけによらず豪胆だ。

 教室でもそうだけど、人にどう見られても、全く気にするそぶりもない。

 すごいな。私はいつも本当の自分を曝け出すのが怖くて、他人の目に怯えてびくびくしながら生きているのに。

 美月は逆境の中にいても、眩しいくらいに輝いている。




 夕方になってもなかなか気温が下がらずずっと暑く、帰宅するなり美月はたすくが熱中症にならないようにと一生懸命にストローマグで薄い麦茶を飲ませていた。


 たすくが吸い込んで口の中に入った麦茶は、ほとんどが溢れて流れていって、首元に押し当てたガーゼハンカチが薄茶色に染まって行くのを、私は微笑ましい気持ちで見つめた。

 


 もしかして……家族を持つって、こういう感じなのかな。

 二人とも愛おしくて、守ってあげたくなる。



 恋人ができるよりも先に、好きな子とフーフになったような妄想をして、ただ浮かれている自分が哀れで、悲しくて、ほんの少しだけ辛かった。


 

 

 ***



 

「美月、期末テストの勉強してる?」


 勝手知ったように美月の家のキッチンで哺乳瓶を洗いながら尋ねると、


「ううん、全然。もう諦めてる」

 

 たすくを肩にもたれさせ縦に抱き、ゆらゆら左右に揺れながら美月が言った。


「奈々は勉強してる?」


「うん、いつも通り」


「そっかー、じゃあ期末もきっと奈々に負けちゃうなあ」


「……全然悔しそうじゃないじゃん」


 美月が行きたい大学はどこなのかな。

 おそらく美月はたすくとは離れられないだろうから、やっぱり県内の大学に進学するのだろうか。

 知りたいけれど、聞くに聞けない。

 

「……私がたすく見てる間に、勉強したら? 時間作ってあげる」


 それがたったの数時間だったとしても、ちりも積もればというやつだ。

 せっかくなら私に構わず、有意義に時間を使って欲しい。

 そう思って言ったのだけど、美月は少し驚いた顔をしてじっと私を見つめた。


「……ねえ、奈々ってどうしてそんなに優しいの?」


「優しいかな?」


「優しいよ、こんなに優しい人みたことない」


 美月のことが好きだからね。

 言えないけど、心の中でぼやく。


 私は、今ここにいて美月と過ごしているだけでじゅうぶん。多くは望まない。


 そう思ってるはずなのに……たすくのよだれで美月のブラウスが濡れて、ブラの肩紐が透けているのが私は気になって気になって仕方がない。


 思わず視線をあさっての方向に逸らした。


「……あのね、最初は、正直に言うと奈々のこと少し怖かった」


 正直すぎて、つい笑ってしまう。

 いや、いいけどね。なんとなく察してたし。

 だって美月、最初はめちゃくちゃ怯えた目で私を見てたから。


 入学式の日。私が初めて美月と話したときは、どちらかと言わなくても天真爛漫な今の美月に近かった。


 あのときの私はさすがにまだ髪も染めていなくて、制服も今ほど着崩していなかったから、怖がらずに素で話してくれたのかもしれない。

 美月はもう、私と話したことなんか忘れているみたいだけど。


「まぁ……私こんなカッコしてるしね。バカっぽいでしょ」


 真希ほどではないが、派手な見た目をしている自覚はある。

 茶髪で短いスカート、両耳にはピアスもしてる。全て校則違反だ。


「そんなことないよ。だって一年の時からずっと奈々は成績上位だったよね」


 驚いた。

 私のこと、美月は一年の時から知っていたの?

 嬉しくて嬉しくて、尻尾を振ってしまいそうになる気持ちを懸命に堪える。


「……まーね、優等生ですから」


 いつもの返しをして洗った哺乳瓶を消毒ケースに入れると、手を拭いてリビングへ向かった。

 

「たすくのお世話代わるよ。勉強するなり寝るなり好きにしてどうぞ。私、たすくに会うために来てるんだもん、遠慮しないでよ」


 嘘。本当は美月と過ごしたいだけ。でもそんなこと言えないから、たすくを言い訳にしている。

 

 罪悪感を少しでも緩和させるため、この前お小遣いでたすくのためにかわいいラトルを買ってあげた。

 

 これは賄賂だ。

 

 ねえたすく。私、お前のお姉ちゃんともっと仲良くなりたいんだよ、だから協力して。

 

 そう思って渡した賄賂を、たすくはひとしきり握って振って楽しんだ後、床にぽいっと放り投げていた。




 勉強するか眠るかの二択だったら、今の美月は睡眠を取るらしい。

 

 眠そうに目を擦りソファに横になった美月のスカートから覗く足がエアコンの風で冷えないように、ブランケットをかけてあげる。


 すると美月が私の手を取って軽く握ったから一瞬、心臓が破裂しそうになった。


「奈々、最近、爪短いよね。前は長かったのに」


「え、ああ……そうだね、うん。切った」


 決してやましい気持ちではない。

 でも何と言っていいか分からずに黙っていると、美月はふにゃりと嬉しそうに優しく笑った。


「たすくのためだよね、ありがとう。奈々がいてくれてよかった。本当に助かってる。私、もう奈々のいない日常には戻れないよ……」


 可哀想な美月。

 私みたいなずるい人間に、心から気を許してくれている。


 下心で通い詰めているとは言えない。

 

 でも、こうも思う。

 

 美月が私に頼れば頼るほど、日常に深くまで喰い込んで、私から離れられなくなる。


 そうなったとき、もしも私が美月を好きだと知ったら、美月はどんな顔で私を見るんだろう。


 きっと、こう思うんじゃないかな。

 


 “気持ちには応えられないけど、奈々を手放すのは惜しい。”



 春になれば、私は東京の大学に行く。

 美月とは、もう離れ離れになる。

 

 この気持ちを、私は卒業まで我慢できるだろうか?


 ずっと一緒にいると、好きが溢れ出してしまいそうで、少し怖い。


 美月に気付かれたくないのに、心のどこかで私の気持ちに気付いて欲しいとも思う自分がいて、そんな自分がたまらなく嫌になる。



 ころころと寝転がって遊んでいたたすくが、私を見て天使みたいに笑った。

 

 この月齢の赤ちゃんは、たとえ相手が殺人犯だったとしても――こんな風に、無邪気に微笑みかけるんだろうか。


 ぼくは全部お見通しなんだぜ、なんて語りかけてくるような純な眼差しが、私は今も少しだけ苦手だ。


 


 


 

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