帰る場所

田村 計

第1話

「本当にありがとうね、保護司さん」

 アキオさんは、いつも私のことを保護司さん、と呼びました。正確には、今のこの世に保護司などという職はないのですが、『保護を司る』という意味のその役職名がなんとなく気に入ってしまって、アキオさんの思い違いを訂正せずに今日まで来てしまいました。

「保護司さんがかけあってくれなかったら、僕は故郷に帰れなかったよ」

「帰ると言っても、亡くなってからでしょう」

年老いたアキオさんがこのベッドから出歩くことは、もうありません。ご本人も先を自覚していて、だからこそ、その望みを私に託したのです。

「骨だけ戻っても、何にもならないと思いますが」

 そう言い返すと、アキオさんは笑いました。

「骨だけだとしても、懐かしい場所に戻れるんだから、ありがたいよ」

「はあ、そういうものでしょうか」

 故郷を持たない私には、アキオさんの気持ちの全部は理解できません。どこかに帰りたいなんて感情は、私には持ちえないものです。

「死亡したら、身体を焼いて骨にして、故郷へ送り届ける。私に出来たのはそれだけです」

「それだけでも十分だよ。保護司さんが話をしてくれたから、行政も腰をあげてくれた」

 アキオさんが私に手を差し伸べました。

 私はその手をそっと握り返します。そうして欲しいのだろうと思ったからです。

「今まで本当にありがとう。あとは頼むよ」

 大きく深呼吸をして、アキオさんは目を閉じました。握っていた手からゆっくりと力が抜けていきます。バイタルが急速に下がってゆくのを感じます。

 その時が来たのです。

「さようなら、アキオさん」

 もう聞こえていないと分かっていながら、私は彼に挨拶を告げました。我ながら合理的でない言葉でした。

 アキオさんがこと切れたのを確認し、私は上司に連絡しました。上司はすぐに駆け付けて、私に笑顔を向けました。

「君の提案で、話がこんなに大きくなるとはね」

「正直、許可が下りるとは思いませんでした」

 アキオさんの最後の願いを行政に申請してから、しばらく経ったときでした。

 その情報をメディアが知るところとなり、大きなニュースに仕立てあげたのです。平穏な日々を揺らす細波のように、そのニュースは瞬く間に世間へ広まってゆきました。結果的に願いは政府の耳に入るところとなり、アキオさんの願いはかなうこととなったのです。

「火葬の準備は整っているよ」

「では、すぐに取り掛かります」

 アキオさんを台車に安置すると、係の者がすぐに火葬場へと運び出しました。向かった先はごく小さな火葬場です。台車ごとアキオさんの遺体が狭い入口に納められます。火がつくまで時間はかかりませんでした。後は骨になるのを待つだけです。

「時間がかかるなあ。パーッと高温で焼けないものかね」

「温度管理が難しいそうです。温度が高すぎると、骨も残らなくなりますから」

 情緒がない。上司にそう感じる自分は、だいぶアキオさんに毒されているようです。

「それより、あの閣議決定は本当なんですか?」

「ああ、決定事項だ。マツダアキオ氏の遺言を実行するために、彼の故郷を、霊園にする」

 アキオさんの故郷には、霊園がありませんでした。

 いえ、昔はあったのでしょう。人が大勢住んでいた頃には、死んで墓地に入る者もそれなりにいたに違いありません。墓地をまとめる霊園だって、いくつかはあったに違いないのです。ですが人が絶え、さびれた故郷には、霊園も墓すらも必要がなくなってしまったのです。

「アキオ氏には申し訳ないが、彼の故郷の正確な場所までは掴めていないところもあってね。それなら地域を霊地として定めて、多少アバウトでもオーケーとしたいんだよ」

 孤独な老人の最期とメディアに騒がれている以上、役所の管轄部門が遺言遂行を失敗するわけにいかないのでしょう。

 無駄話をしていると、炉の扉が開きました。寝ていた時の姿のまま、白い骨だけが残っていました。長い箸を使って、壺の中に骨を納めていきます。面倒なのでスコップなどで移せばいいと思うのですが、儀式とはそういうものとのことで、非合理な作業を続けます。

 こんな非合理、アキオさんと長く時間を共にしている私にしかできないことでした。

「ふう」

 白い壺に、あらかた骨を納め終わった時でした。

「お昼のニュースです」

 私の頭の中に、記事が流れ込んできました。AIである私には、瞬時で理解できました。

「政府決定、惑星『地球』の名称を『霊園』に変更。最後の人類マツダ氏の遺言遂行のため」

 アキオさんは、骨になりました。

 これでこの宇宙から、人類はいなくなりました。

 無論ここから遠く離れた、アキオさんの地球(ふるさと)にも、もう誰もいません。

 骨になったアキオさんを、私がロケットに積み込みます。腕が二本、脚が二本の人間に似せたボディでは、骨だけの壺でもずいぶんと重く感じられます。アキオさんがいなくなった以上、このボディももう必要ありません。任務が片付いたら、最新型の八本脚にでも乗り換えようかと思っています。

「さようなら、アキオさん。星に帰れることを祈っています」

行き先は惑星『霊園』。

遥か彼方の星を目指し、ロケットがごうごうと炎をあげました。

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帰る場所 田村 計 @Tamura_K

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