12話 鉄人
蓮馬の右足が、地面を叩く。
走り出したクォースの顔面に向かって、蓮馬の右肘が飛んできた。
距離は十数センチ。
クォースのスピードなら、一撃で昏倒する威力だろう。
だがそれは、当たればの話である。
肘が空を打つ。
クォースの体は、後ろに下がっていた。
(あの速度で見切ったか。なら…)
蓮馬はそんなことを考え、後ろに下がるクォースへ近づいた。
右拳が、クォースの腹へ向かう。
縦拳である。
蓮馬の使う技術、金剛流八極拳は、速度を重視する。
その点において、縦拳は重宝される。
縦拳は、通常の正拳とは違い、威力そのままに連撃が可能である。
縦拳のスピードは、正拳のそれを超える。
しかし、当たらない。
クォースは、右足を前に出していたが、九十度右回転し、縦拳は腹を掠っただけに抑えたのだ。
クォースの体は、蓮馬から見て横になっている。
その状態から、クォースの左拳が蓮馬の頬に飛んできた。
蓮馬は後ろに下がって、左拳を避ける。
その蓮馬を追って、クォースの右足が、先ほどと同じく前に出た。
右拳が蓮馬の顔を狙う。
当たった。
だが、直撃ではなかった。
中指の付け根が、鼻先に触れただけだ。
蓮馬は後ろに半歩だけ下がって、直撃を避けたのだ。
なぜか。
それは、金剛流八極拳最大の強みを生かすためである。
金剛流八極拳、その最大の強みは、カウンター。
今、クォースの体制は右足が前、左足が後ろ、右腕を前に伸ばし、左手を顔の横に置いている状況。
狙うは、
蓮馬の左拳が、クォースの右肋、脇の下を打った。
肺が圧迫される。
クォースは飛びのいて、蓮馬から離れる。
「こひゅっ、こひゅっ」
クォースの肺が、不安定に痙攣している。
肺が圧迫されて、正常な呼吸法ができなくなったのだ。
正常な呼吸ができないと、動きが鈍くなったり、思考が遅れる。
それを踏まえ、クォースがとった行動。
右肺を自ら叩いた。
「かはっ」
相当強く叩いたのか、肺から呼吸が逃げていく。
呼吸が絶え絶えになり、薄くなった時、クォースの頭が上がった。
一度すべての息を吐くことで肺を絞り切り、無理やり痙攣を止めたのである。
クォースは深呼吸し、肺の状態を戻した。
クォースの目は、鋭く光っていた。
右足が進む。
次に左足、また右足。
三歩進んだところで、右ストレート。
蓮馬は右に避けた。
だが、クォースの右腕が肘から曲がり、蓮馬の顔を狙ってきた。
当たった。
今度は直撃だ。
蓮馬の体が、ほんの少し揺れた。
その瞬間を、クォースは見逃さなかった。
左足、四歩目を踏み出した。
左ストレート。
蓮馬の顔面に直撃した。
蓮馬の鼻から、血が噴き出る。
クォースは止まらない。
右、左、右、左、左右交互に顔面へ当てていく。
蓮馬は動けず、食らい続けている。
このまま押し切れば、一瞬で片が付くだろう。
だが、蓮馬程の相手に、このまま押し切るという話は、夢物語に等しいのである。
蓮馬の扱う、金剛流八極拳。
カウンターを中心とする。
なら、カウンターを打つには、何が必要か。
精密性、反射神経、動体視力、踏み込み、確かに重要だろう。
しかし、カウンターに最も必要なもの、それは硬さである。
カウンターを失敗しても、怯まず連撃できるほどの、硬さ。
その硬さの鍛錬は、困難を極める。
最初は、木製バットだった。
全身を打ち付け、足腰、筋肉、骨を同時に鍛えていた。
次に、鉄パイプだった。
さらに次は、金属バット。
最終的に、チタン製の直径十五センチの棒で、全身を打ち付けていた。
最初は、木製バットが痛かった。
悲鳴を上げ、逃げ出したくなるほどだ。
それでも、鍛錬を続けた。
蓮馬には、強くなる執念があった。
いつの日か、最終訓練さえも、日常レベルにしていた。
鍛え上げられた骨、その中でも最硬の頭蓋骨。
クォースの右ストレートに、ぶつかってきた。
クォースの右拳が、悲鳴を上げる。
人差し指から薬指の、指の付け根から第二関節までが、大きくへこんでいた。
表なら、目も向けられない悲惨な状況。
しかし、ここは裏。
審判は止めないし、観客は騒ぎ立てる。
それに答えたかのように、クォースは再び動き出す。
やはり、左拳。
また顔面を狙っている。
蓮馬は、頭を少しだけ後ろに下げた。
頭突きだ。
あと少しで、蓮馬の頭が動くであろう場所。
クォースの拳は、軌道を変えた。
左拳は、顔面ではなく、喉へ当たっていた。
クォースは肘を動かすことで、拳を鞭のように動かしているのだ。
技の名は、
しかし、技の性質故、拳に力を入れられないのだ。
クォースは、それを狙われることを警戒している。
その警戒とは裏腹に、蓮馬は気づいていなかった。
通常、この状況は優勢に傾く。
だが、クォースの警戒が、状況を劣勢に傾けた。
クォースの右拳が、蓮馬の目の前にきた瞬間、蓮馬の足が滑る。
クォースが警戒していたことは、拳の破壊だった。
下からの攻撃は、警戒していなかった。
蓮馬の体が、低く構えられた。
両脇を絞めている。
そして両拳は、人差し指と中指を第二関節で折っていた。
両拳が、肋の下を突いた。
再び、肺への刺激。
「かはっ」
クォースの呼吸が切れた瞬間、蓮馬の体が上がった。
クォースの浮いた右腕を、蓮馬の左手がつかんだ。
引き寄せる。
体を逆方向に回す。
金剛流の名の通り、蓮馬の筋肉は、締め上げると金属のような硬さを誇る。
蓮馬の背中が、クォースの上半身に触れる。
背中で、相手の体を打つ技、
クォースの内臓が、ぐちゃぐちゃに混ざる。
だがそれは、クォースの体感である。
実際は、圧迫されているだけの状況である。
勘違いをするほど、絶大の威力という事だ。
まるで、本物の鉄塊が飛んできたようだった。
クォースの体が、数歩分吹き飛ぶ。
背中から、地面に激突した。
クォースの目には今、通常の世界は見えていない。
ぐにゃぐにゃに曲がった世界だ。
普通なら、この内臓の状態だと、呼吸をするのも難しいだろう。
しかし、クォースの肉体は、悲鳴を上げない。
たとえ、内臓が潰れようとも。
クォースは立ち上がった。
蓮馬は驚いているようだった。
仕方ない状況だろう。
これ以上ないほどのダメージを、内臓に送ったのだから。
それで立つのはおかしい。
もちろん、蓮馬は考えた。
それでも、すぐに構えなおした。
意識を置き去りにするほど、肉体はすぐに直感で行動していた。
クォースの閉じ切っていない口からは、クリーム色の液体が漏れ出している。
おそらく、大量の唾と胃酸が混ざったのだろう。
クォースが、自分の口から液体が漏れ出ていることに気づいた。
すると、顔を上に向けた。
数秒後、顔を戻した。
目は落ち着いている。
口からは、何も漏れ出していない。
呼吸も正常だ。
今の数秒で、状態を直したのだ。
だが、治りきったわけではない。
一時的なものであり、数発食らえば元に戻るレベルだ。
それで十分。
クォースは、これで決めようとしている。
どっちみち、相手の攻撃の威力は、こちらを一撃で失神させるほどはある。
なら、畳みかける。
逃げはしない。
退きもしない。
向かう。
クォースは踏み出した。
右ストレート。
蓮馬は軽々と避ける。
クォースが、交互に打ち続ける。
蓮馬は後ろに避け続けていた。
だが、背中がリングロープに触れてしまった。
左ストレートが飛んでくる。
蓮馬は右手でリングロープを掴み、体を回転させ、左ストレートを避けた。
そしてそのまま、左手を開いたまま。クォースへ向けた。
掌底突きだ。
クォースの顎をかちあげた。
右手を離す。
クォースの腹へ、右拳を放った。
当たる直前、右拳が止まった。
蓮馬はすぐに、目線を下にやった。
クォースの足が、半歩ほど下がっている。
その次に、目線を上げた。
クォースの左カーフが、蓮馬の顔を狙った。
蓮馬の拳は、クォースの目の前。
クォースの拳は、蓮馬の頬へ。
蓮馬の右頬に、クォースの左拳が触れた。
クォースから。
ドォンと、音が鳴った。
クォースの腹に、蓮馬の右拳が触れていた。
偶然か必然か。
クォースと蓮馬の距離が、この技を招いた。
寸勁。
簡単に言えば、相手の目の前で攻撃を止め、瞬発的に攻撃を当て、内部にダメージを浸透させる技である。
クォースが、血を吐いた。
幾度目かの、内臓への衝撃。
クォースが、うつぶせに倒れた。
夢坂が近づき、クォースの状態を確認した。
「勝負あり!」
クォースが首にタオルをかけ、うつむいて廊下を歩いていた。
右手には、茶色の革製かばんを持ってる。
体からは汗が垂れ、足跡のようになっていた。
十数歩、歩いたとき、進むのをやめた。
クォースが顔を上げる。
クォースの目の前に、スーツの男が立っていた。
黒いスーツの両ポケットに、手を入れている。
黒いサングラスをかけているため、目は見えない。
髪は黒く、ショートに刈り上げている。
顎が角張り、唇を絞めている。
「どうも。クォース様」
男が、少し頭を下げて言う。
「車の用意は、こちらで終えております」
男は左手を、出口の方に伸ばした。
「……」
クォースが鼻でため息をつく。
「誰だ?」
クォースは言い放つ。
それを聞いた瞬間、男の口角が上がる。
「ある、暴力団のものです」
男が両手を広げた。
「勧誘か?帰れ」
クォースは警戒を高め、半歩後ずさる。
「まぁ、そんなとこですね。このトーナメントでの試合が、あまりにもすごかったもので」
「構成員か?それとも…」
「ご心配なく。頭などではないですし、私を倒しても、組は動きません」
クォースの顔が、一瞬緩んだ。
「おや?倒すつもりでしたか?」
「あぁ。それと、もう一つ聞きたい」
「はい」
「ほかのとこにも行ってんのか?」
男の口角が、さらに上がった。
「獣は、人間一人では到底かないません。ましてや、幻獣など」
「訳わかんないことを言うな。お前、襲い掛かってくる気だろ?」
「えぇ」
呟くと、男が走り出した。
クォースが咄嗟に構えた。
男が地面を蹴り、飛び上がる。
男が飛び蹴りを放った。
クォースは、腕を顔の前に交差させ、蹴りを防いだ。
男は休まず、走ってくる。
クォースの目の前で止まると、右拳で腹を殴ってきた。
フルコン空手のような、ド突きだった。
内臓に響く。
クォースにとって、最悪の状況だった。
ボクシングの距離ではないせいで、打てない上、ボロボロの内臓に響いてくる。
右、左、交互にド突いて来る。
このままでは負ける。
そう悟ったクォースは、左腕を男との間にねじ込み、押し出した。
男は押されようと、まだ走ってくる。
だが、一度離れたからには、ボクシングができる。
走ってくる男の顔に、右ストレート。
躱された。
男は右に頭をずらし、ストレートを避けていた。
問題なし。
男のこめかみに、右拳が当たった。
直撃と言っていいほど、きれいに入った。
男の体が、右に傾く。
クォースから見ると左だ。
左に傾いていく男の頭に、左拳を添え、かちあげた。
男の体が、後ろに仰け反った。
クォースは、先ほどまでの恨みが如く、追撃をしてくる。
男の顔面を、両拳でたたきまくる。
クォースは、一呼吸も入れず殴り続けている。
しかし、限界は来た。
何発目かの右、動きが止まった。
急いで、男と距離を取る。
息切れが起きたからだ。
まだ安定しない肺で、無呼吸はやりすぎた。
反省し、クォースは息を整える。
だが、男はそれを見逃さなかった。
一気に近づき、クォースの両肩を、両手でがっしりと掴んだ。
クォースが驚いた瞬間、右膝がクォースの腹に入った。
「がはっ」
傷ついた内臓から、血が噴き出た。
口から垂れ落ちる。
男のスーツに血がかかった。
それでも止まらない。
右膝を、何発も入れてきた。
二発目からは、クォースは両腕を挟んで、威力を軽減していた。
それでもキツイ。
やられる。
クォースは、ある決心を心の中で決めた。
ここは、リングじゃない。
クォースは両腕で固めながらも、頭を振りかぶった。
男はそれに気づいたが、遅かった。
クォースの前頭部が、男の鼻っ柱に落ちてきた。
男の両手は離れた。
勝機が生まれた。
男の離れた右手を掴み、引き寄せる。
そのまま左拳で、男の顔面を打ち抜いた。
男のサングラスは粉々に割れ、床に落ちた。
それと同時に、鼻から血を垂らしながら、男も地面に突っ伏した。
男は気を失ったようだ。
クォースは息を整え、男のそばにしゃがんだ。
「一体、どこのやつだ?」
ゆっくりと、男の体に手を伸ばす。
その瞬間、ゴンッと音が鳴った。
クォースが、男の上に倒れた。
クォースの後ろには、金属バットを持った男と、煙草を咥え、両ポケットに手を突っ込んでいる男がいた。
「あらら、負けてんじゃん佐々木」
金属バットの男が、バットの先を地面に降ろし、倒れた男を見た。
「しゃあねえよ、下っ端だから」
煙草の男が、煙をふかしながら言う。
「矢弓、こいつもって」
金属バットの男が、バットを下ろして、クォースを指さす。
「あいよ」
矢弓と呼ばれた煙草の男が、クォースに近づいた。
ガバッ。
クォースが起き上がり、右拳を矢弓に飛ばしてきた。
ゴチャ。
矢弓の左拳が、クォースの顔面に落ちた。
「タフだなぁ。ちゃんとやったか?白名」
「本気でぶん殴ったけどなぁ」
白名が、佐々木を持ち上げた。
「まぁいいや、行くぞ、組長のとこ」
煙が上がった。
12話 鉄人 終
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