11話 獣心と傷

リング床が、上。

正確に言うと、左上に床が見える。

天井が、右下に見えた。

智の体が、左に曲がった。

勝の左足が、智の頭のすぐ上にあった。

正確に言えば、智の右耳の、智から見た右上であった。

勝の左ハイが、智の右頭部を蹴った直後だ。

勝はそのまま回転し、智に向き直る。

智の体が、地面に倒れた。

倒れてすぐ、智は立ち上がった。

(くそっ、やべぇじゃねぇの)

智の口から、ゆっくりと血が流れていく。

智はそれに気づき、血を左腕で拭う。

息を整え、構えなおす。

智が進んだ。

智の右ストレート。

勝は左によける。

それを読んで、智は左膝を上げていた。

勝が右腕を頬の横に置き、智の膝を受ける。

当たった。

勝の体が、後ろに下がった。

そのまま、智が追い打ちに進む。

両腕を伸ばし、勝の頭を掴んだ。

智の頭が後ろに引きさがり、頭突きの距離になった。

だが、智の頭は前には行かなかった。

勝の両腕が、頭の前で固められていたからだ。

これだと頭突きしても、カウンターを決められる可能性が高い。

結果、智が選んだ技。

右中段前蹴り。

智の両手が、勝の頭を掴んだまま、右足が勝の胸を突いていた。

智の両手が離れ、勝の体が下がっていく。

(重ッ…)

勝の胸に、智の前蹴りの痛みが残っている。

勝が回復をしようと、呼吸を整える。

だがそれを許さず、智の体が進み、右拳で勝に殴りかかった。

勝は咄嗟に、左前腕で受ける。

それが間違いだった。

智の狙いは、打撃ではない。

智の右手が、勝の左手首を掴んだ。

智は右手で勝を引き上げ、左足で顔を蹴った。

後ろに下がった勝の体を、再び引き寄せる。

智の左拳が、勝の顎をかちあげた。

勝の右足が、後ろに下がる。

その瞬間、智は左足で、勝の右足を蹴った。

勝の体制が崩れる。

勝の体が、前に倒れていく。

智は右手を離し、振り上げた。

倒れ行く勝の後頭部に、智の右肘が落ちてきた。

直撃。

勝の体が、力なく落ちた。

「勝」

智が呟く。

「…ん?」

勝が地面に突っ伏しながら、返事をした。

「タフだなぁ。あんた」

「でももう動けない」

「そりゃあ、これで動いたら怖えぇよ」

智が笑った。

「審判」

「…勝負あり!」

東蓮が手を振り上げた。

歓声が沸く。

「短かったな。今回」

凛太が龍一に言う。

二人は、壁に寄りかかっていた。

凛太の左には、選手入場口と書いてある。

「でも、高度な試合だった。面白いよ」

龍一はニヤリと笑う。

「そういうもんかねぇ」

凛太が壁に後頭部を当てた。

「お前考えなさすぎだ…よ…」

龍一が凛太の方を向くと、言葉が途切れ、目を見開いた。

「?」

凛太が左に顔を向けた。

選手入場口には、巨体の男が立っていた。

仮面をつけている。

目の部分と、頬の部分に穴が開き、視界と呼吸口を確保していた。

身長は百九十センチ以上だろう。

金髪のショートが、仮面で後ろに押し出され、オールバックのようになっている。

第十試合闘技者、トード・ハルク。


智の試合が終わった直後、選手控室。

「ウルフ君。いけるかね?」

眼鏡をかけ、頭頂部の白髪がなくなった老人がいた。

白衣を着ながら、腕を組んでいる。

ウルフと呼ばれた男、本名だろうか。

四足歩行に近い、指先が地面に触れている二足歩行だ。

灰色の髪の毛が、腰辺りまで伸びていた。

目は充血し、丸くなるほど見開いている。

息が荒い。

唇は閉じず、歯を食いしばっている。

ヨダレがダラダラと垂れ、歯ぎしりが小さく聞こえてくる。

まるで、獣。

第十試合闘技者、ウルフ。


観客たちが、ざわついている。

それは、リングに立っている二人に対してだった。

ウルフVSトード・ハルク。

獣VS仮面の男。

異質VS異質だ。

ウルフは先ほどと同じく、四足歩行に近い体制。

ハルクは、ボクシングスタイルのような、両腕を立てて、頭の両隣に置いてる体制。

「ウルフ、身長百五十七センチ、体重五十六キロ。時牧戦録、十勝無敗」

「トード・ハルク、身長百九十九センチ、体重百三十二キロ。時牧戦録、十二勝無敗」

「審判は私、登 明凡が務める」

明凡が二人の顔を見る。

「では、構えて」

ウルフとハルクは、構えている。

「始め!」

明凡が手を振り上げた。

始めった瞬間、ハルクが殴り掛かった。

右拳を、ウルフの頭に向かって振り下ろした。

しかし、右拳は空を切る。

ウルフの体が、数歩下がり、拳を避けていた。

ハルクには、動いた足が見えてなかった。

速い。

ハルクはそのまま、何度も殴りかかった。

それでも、一発も当たらない。

だが、当たったところで効果は薄いだろう。

下に向かって打ち下ろすなら、重力が乗って効果が強くなるもの。

だがこの状況下では、ウルフの体が低すぎるが故、速度が落ち威力が下がるのだ。

そんな体制を維持したまま、動き続けられるウルフの体は、ハルクよりも強力といえるだろう。

(当たり前だ。あの男は、なんだからな)

白衣を着た老人、名はランク・マーコウル。

ドイツの科学者である。

ウイルスの科学者だった。

ウイルスを突き詰めていくと、人体に当たる。

人体について研究していった結果、最強を求め始めていた。

けれども、その時のランクの歳は、六十を超えていた。

自分で求められない。

なら、作る。

ある道筋で、子供を何人か手に入れた。

その子供を、人体実験。

結果、NO,18、ウルフが生き残った。

つまり、ウルフは人体実験に耐える、最強の生物なのだ。

(知性はないが、実力は本物だ)

ウルフが動いた。

上に向かって飛びあがり、右足をハルクの目に突き出してきた。

目つぶしをする気だ。

唯一露出してる部位。

だからこそ、危険度が高い。

ハルクは頭を少し動かし、ウルフの爪先を仮面に当てた。

ポキッと、指が折れた音が鳴る。

ウルフの足の指が折れたのだ。

すると、ハルクの右手が、ウルフの足首を掴んだ。

ハルクは、ウルフを背中から、床に落とした。

肺が圧迫される。

そのまま、ハルクの巨体が、ウルフの体に乗っかった。

マウントだ。

ということは。

ハルクの右拳が、ウルフの顔に向かって、振り下ろされた。

ウルフは、両前腕でそれをガードする。

ハルクは殴り続ける。

鉄槌だ。

十発目か、二十発目か。

ウルフの左手が、ハルクの手首をつかみ、鉄槌を止めた。

そして右手で、ハルクの脇腹を刺した。

ハルクは痛みで、力を緩めた。

ウルフはそれを見逃さず、腰を上げて、ハルクを自分の体からどけた。

ハルクはすぐに体勢を立て直し、ウルフに駆け寄った。

まだ倒れているウルフに向かって、顔面を踏みつけようとする。

ウルフは床に掌を当て、自分の体を押し出した。

ハルクの足は床に叩きつけられ、ウルフは押し出した勢いで立ち上がった。

ウルフは呼吸を整え、体を屈めた。

先ほどまでとは、違った構えだ。

床に掌をすべて付け、完全な四足歩行になっていた。

ここからが、獣の本質。

ウルフが駆け出した。

先ほどよりも、速いスピードで動いている。

ウルフにのみ、できる構えであった。

ハルクが右拳を、下方向に向かって放つ。

ウルフが、来るであろう場所に放っていた。

だが、ウルフには当たらなかった。

ウルフは、拳の目の前で、足を地面から離し、掌と肘をストッパーのようにして、自分の体を支えたのだ。

そのままウルフの下半身は持ち上がり、左踵がハルクの顔面に迫った。

ハルクは右腕で、ウルフの蹴りを何とか防いだ。

腕に痛みが走る。

ウルフの足は、相当鍛えこまれているようだ。

ハルクの右足が、一歩下がった。

瞬間、ウルフは体を左方向へねじり、回転してハルクの左足を払った。

ハルクは、右足が後ろに、左足は浮いている状態になった。

バランスは取れない。

ウルフが両足で地面を踏みしめ、後ろに傾くハルクへと突っかけた。

ウルフの右手が、ハルクの顎を狙って飛び出した。

中指を第二関節で折り曲げた拳、一本拳だ。

ハルクは咄嗟に、頭を少しだけ下げた。

ウルフの中指が、ハルクの仮面を突いた。

コンっと、音を立てて。

すると、ハルクの仮面に、小さなヒビができた。

ハルクは、ドタドタと後ろに下がっていく。

ウルフも、距離を取った。

仮面のヒビを、ハルクは触っていた。

ハルクの顔で、唯一見える目が、ウルフを睨んだ。

そして、ハルクは仮面を外した。

仮面が地面に落ちる。

裏側、つまり、顔をつける側を、上に向けて。

落ちた仮面の内側、そこには奇妙な部分があった。

ハルクの口が入るであろう場所。

そこに、半円型のものが付いていた。

つまりこの仮面をつけるとき、常に、半円型のものを噛み続ければならないのだ。

ハルクの顔には、大きな傷があった。

耳から口までに、継ぎ接ぎに塞いだ大きな傷。

目の下から、口の傷までも、同じような傷があった。

目は大きく見開き、血走り、怒っているようだった。

歯を食いしばっている。

半円型のものを噛んでいた状態から、自分の歯を噛み締める形になっていた。

「あいつ、制御してたのか?」

龍一が呟く。

「制御?」

凛太が聞き返した。

「あの半円の奴を噛むより、自分の歯を噛んだ方が、脊椎が整列されるんだ。だから、その方が身体能力がアップする」

龍一が説明し、凛太はあまりわかっていない様子だった。

ハルクがボクシングスタイルに構える。

ウルフは呼吸を整えている。

同時、動いた。

二人とも近づいていき、ウルフが先に飛び出した。

ウルフは飛びあがり、左足をハルクの頬に向かって放った。

が、ハルクの体が、急激に下降した。

ウルフの左足は、空中を蹴った。

ハルクは一気に立ち上がり、右アッパーを、ウルフの顎に向かって放った。

直撃。

ウルフの体は、後ろに跳んだ。

ドンと、背中から着地した。

ウルフはまた呼吸を整え、すぐに立ち上がった。

「あの体格差でよく立てるな」

凛太が呟いた。

「いや、そのおかげだな」

龍一が返す。

「どういうことだ?」

「ウルフの身長が小さい故、アッパーの距離が短く、スピードが乗らなかったんだ。威力は、全力の半分以下だろ」

龍一の言った通り、体格差があったからこそ、ウルフは耐えられた。

ハルクは首を鳴らし、構えなおす。

今度は、ハルクが動いた。

だが、姿勢が低い。

ウルフに合わせているようだ。

右ストレート。

ウルフの顔に、真っすぐ飛んで行った。

ウルフはそれを、右に躱す。

同時、左足でハルクのふくらはぎを蹴った。

カーフキックだ。

それでも、ハルクは止まらない。

左手が伸びてきて、ウルフの頭を掴んだ。

ウルフは抜け出そうと、ハルクの腹を蹴った。

だが止まらない。

ハルクは立ち上がり、ウルフを後頭部から、床に落とした。

ゴチャっと、血や肉、骨の音が聞こえる。

ハルクの手から、赤い液体が漏れ出している。

ウルフが吐血したようだ。

ウルフは左足で、ハルクの腹を蹴り続ける。

しかし、先ほどのハルクのように、距離が足らず、威力が乗らない。

ハルクはもう一度、ウルフの頭を持ち上げ、落とした。

再び、手から血が漏れ出す。

ハルクは、何度も、何度も、床に叩きつけ続けた。

次第に、ウルフの蹴りが、遅くなっていく。

それを見て、ハルクはウルフを持ったまま立ちあがり、止めと言わんばかりに、もう一度突き落とそうとした。

その瞬間、止まったウルフの左足が動く。

左足は、ハルクの腹ではなく、もっと上を狙っていた。

喉だ。

ウルフの足が、伸び切った。

ウルフの爪先は、ハルクの喉へ。

ではなく、ハルクの右手に掴まれていた。

ウルフの後頭部が、叩きつけられた。

ハルクはようやく手を離し、真っ赤に染まった左手を、だらんと下げていた。

明凡が、ウルフに駆け寄り、状態を確認する。

右手が降りあがった。

「勝負あり!」

ハルクは仮面を拾って、リングを下りた。


クォース・ムッシマ控室

クォースが、うな垂れていた。

椅子に腰かけ、脱力していた。

肌が茶色、上半身は裸。

髪は後ろにまとめている。

すると、急にクォースが立ち上がった。

「行くか」

至って落ち着いた声だった。

クォース・ムッシマ、現ボクシングヘビー級チャンプ。

だがクォースは、天性の身体能力で、チャンプまでなりあがったのだ。

技術力、未だ知られず。


龍 蓮馬控室

赤色の、チャイナ服をまとっていた。

下に黒いシャツとズボンをはき、その上にチャイナ服を着ている。

「我が、中国。我が金剛流八極拳コンゴウリュウハッキョクケンに、勝利をささげる」

蓮馬は、そんなことを呟き、控室の扉に向かった。


「龍 蓮馬、身長百八十二センチ、体重八十七キロ。時牧戦録、十三勝無敗」

「クォース・ムッシマ、身長百八十七センチ、体重九十九キロ。時牧戦録、十六勝無敗」

「審判は私、正 夢坂が務めます」

蓮馬とクォースが、睨みあっている。

「始め!」


11話 獣心と傷 終

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