9話 竜

ある冬の出来事。

「小僧、馬鹿言うなよ」

鬼嶋妖太郎キシマヨウタロウ

藤木組傘下、道長組ミチナガグミの構成員。

まだ下っ端ではあるものの、喧嘩の強さは、道長組の中でもトップに入る。

そんな、妖太郎の前に立つ男。

灰色のジャケットを、白色のシャツの上に来ている。

青いジーンズ、少し狭いポケットに両手を突っ込んでいる。

金髪で髪を躍らせ、金色の眉は吊り上がっていた。

髪よりは暗く、眉よりかは濃い色をした瞳が、妖太郎を見つめる。

身長は百九十と百八十五というところか。

妖太郎が見下ろしている。

「ここに入れる訳にはいかねえな。わかってんのか?ここがどういうトコロか」

妖太郎が膝を曲げず、腰だけを曲げ、男の目線に合わせる。

「あんたら、相当無茶したみたいだね。オヤジを怒らせちゃってさ。は、オヤジと連絡が取れるやつもいるんだよ」

妖太郎は腰を曲げたまま、目線をそらさず首をかしげる。

「何言ってんだ、お前」

妖太郎は数秒黙りこくり、普通の体制に戻す。

「どうしても、うちの組長と話したいんだな?」

「うん。そうだよ」

「そうか」

風が吹く。

妖太郎の左拳が、男の顔を狙った。

しかし、拳は顔面に届かなかった。

男の鼻先で、拳は止まっていた。

「なっ…」

妖太郎が声を漏らす。

自分は格闘技を習っていたのに、外すわけがない、そんなことを言いたそうな声だった。

だがその言葉をかみつぶし、今度は右拳で狙う。

右足を左足よりも前に出し、右肩を前に出し、右腕を伸ばす。

当たる、そう思った。

当たらなかった。

妖太郎は確信した。

こいつは、後ろに下がって避けているんだ。

許せん、殺す、そう言いたげな表情。

猛獣のような声を鳴らし、両腕を振り続ける。

何度も、何度も、何度も、打ちまくった。

それでも、ことごとく外れ。

拳は、空を切るだけ。

いつしか、妖太郎の呼吸は切れ、膝に両手をついた。

依然と、男の両手はポッケの中。

「ダメダメ、それだと。君才能はあるのに、それを振り回してるだけだよ」

今度は男が腰を曲げ、妖太郎を煽る。

「てめぇ…!」

妖太郎は、視線を男にではなく、男の後ろに向けた。

「残念だったなぁ…

五人の男が歩いてきている。

「あ~あ、負けてるな、妖太郎」

一番でかい男が言う。

「しょうがないね、新人だし」

サングラスをかけた男が言う。

「お前、終わりだよ」

妖太郎が笑う。


音を立て、扉が開く。

その部屋の奥には、大きな男が座っていた。

道長武丸ミチナガタケマル、道長組組長である。

「誰だ?」

扉から入ってきた男、ジャケットにジーンズ、妖太郎と戦った男だ。

男を見た瞬間、武丸は立ち上がり、一気に駆け寄った。

「死ねぇ!」

武丸は右手を、男の顔面に振り下ろした。

男は左足を振り上げ、武丸の顎を貫く。

武丸の目が見開く。

「お前、いろいろなとこと、取引してたよな。それが、うちのオヤジ、の逆鱗に触れちゃったよ」

男が笑う。

それと同時に、右手を振り上げ、武丸の顔面に振り下ろした。

「お、前…誰、だ…」

武丸が後ろに倒れながら、男に聞いた。

夜頭竜二ヨズリュウジ

男は、竜を継ぐもの。


絶神プロレス本部道場。

「両選手、出そろいました」

第七試合の審判は、王宣だ。

「竜王山、身長百八十九センチ、体重百七十六キロ。時牧戦録、十三勝無敗」

大銀杏を巻き、外周が一メートルにも届きそうな廻しをつけている。

今にも体が破裂しそうな程、膨れ上がっている。

おそらく、筋肉が詰め込まれているのだろう。

竜王山、角界一の腕力家と呼ばれ、関取でありながら、横綱の富士宮と互角の実力といわれる。

「田中哲、身長百九十八センチ、体重百六十五キロ。時牧戦録、十二勝無敗」

髪は自由に、眉も垂れ、目は半開き、少し気だるそうに見える。

柔道着を身に着け、腰に袴を巻き付けている。

しかし、実力は本物。

公式の試合に顔を出すことは少ないが、顔を出したのなら、勝ち以外を知らず、裏の試合には何度も出ていて、それでも負け知らず。

だが、そんな男は、このトーナメントにだって何人もいる。

この男は、今までの試合を、同じ技のみで勝ち上がってきた。

それは、一本背負い。

哲の一本背負いは、鍛錬の結果、最高峰のものとなっていた。

「両者、準備はいいですね」

両者、構える。

哲は右手を前に出している。

竜王山は体をかがめ、両拳を地面につけた。

「始め!」

開始と同時に、竜王山がつっかけた。

ぶちかましである。

竜王山の巨体が、哲に襲い掛かる。

哲は右に跳び、竜王山を避ける。

竜王山は急停止し、振り返って哲を見る。

「シャアッ!」

竜王山が声を鳴らし、右手を哲の顔面に突き出す。

張り手だ。

しかし、その張り手が、悪手となった。

哲の両手が、竜王山の右手に絡みつく。

一本背負い。

その瞬間、ガキッと、妙な音が鳴った。

哲は、その音が、竜王山の腕の骨が、肩の骨に当たった音だと、すぐに理解した。

それと同時、哲は気づく。

投げれてない。

竜王山の狙いはこれ、一本背負い。

背負いを掛けられる瞬間、足を踏み込み、無理やり抑えたのだ。

「おっしょい」

小さく呟き、左手を伸ばす。

左手は、哲の背中を押し、右腕から離れさせた。

哲はすぐに振り向き、竜王山を見た。

だが哲の視線には、竜王山は映ってなかった。

下!気づいたときには、遅かった。

まるで、ボクシングのアッパーのように、右手を哲の顎にぶつけた。

哲の脳が揺れる。

そんな揺れた脳に、さらに竜王山が追い打ちをかける。

左手が、哲のこめかみを叩いた。

その手は、竜王山が力士になってから初めて握る、正拳だった。

拳の親指を、こめかみに突いたのだ。

哲の体が、後ろに倒れていく。

勝負は決した、

かに思われた。

竜王山の体が、前に倒れ、右前腕と両膝を、地面についてしまった。

何が起こった!?竜王山はそう思った。

「上手いな、あそこで蹴りを合わせるとは」

黒山紺。

龍一との会話中、試合が流れているテレビに、目を移していた。

「ええ、倒れる最中、左足で竜王山の脛を叩いた」

龍一が頷きながら、哲の行動を振り返った。

その通り、哲は倒れていく最中、左足で地面を蹴り、竜王山の右脛を叩いたのだ。

結果、竜王山の体は倒れ、力士でありながら、地面に体をつけてしまった、三点も。

竜王山が、眉間にしわを寄せる。

その顔は、怒りという言葉で収まるような、そんな表情ではなかった。

怒りはもちろん、憎悪、悲しみ、恨み、後悔、しか不思議と悔いはない。

そもそも、先ほど、拳を握っただけではなく、打突を放ってしまった。

竜王山は深呼吸をしてから、しっかりと立ち上がる。

地面につかされはしたものの、未だ、目線は竜王山が上。

ギラギラと、哲を見下ろしている。

「あんたも、相当な…反則者だな」

見下ろしながら、哲に言い放つ。

「そうだな、蹴っちまった」

哲は両腕を伸ばし、地面に寝っ転がっている。

「まあ、あんたよりはマシだろ」

そういうと、上半身を起こし、ため息をついて、地面を見る。

「正直、疲れたわ」

もう一度大きなため息をついて、ゆっくりと立ち上がる。

立ち上がった後、腰や尻を手で払う。

「じゃ、続きだ」

哲は呼吸を整え、竜王山とギリギリ射程距離に入らない程度のところで、構えを作る。

「いつでも」

哲はそう言い、竜王山を煽った。

しかし、竜王山は至って冷静である。

この男は、絶対倒す。

竜王山が一息つくと、腰をかがめ、両手両足を横に開く。

「胸、借ります」

竜王山が突っ込んだ。

速い、まるで銃弾である。

その弾が、両腕を哲の腰に回し、がっちりと固める。

竜王山は目を見開き、リングの端まで突っ走っていく。

哲はなんとか持ちこたえようとするが、竜王山の、本気の力士に足腰で勝てるわけがない。

そう悟った瞬間、右腕を振り上げ、竜王山の肩甲骨辺りに、肘を打ち下ろした。

だが、止まらない。

猛攻、猛進、竜王山は止まらない。

やがて、哲の腰がロープにぶつかり、竜王山がようやく腕を離す。

竜王山は体を起こし、すぐに張り手を打った。

哲は躱したものの、竜王山は何発も連続で打ち続けてきている。

哲の動きも、徐々に鈍くなっている。

「押し切られる!」

龍一が椅子から立ち上がり、声を漏らした。

「いや…」

紺が呟く。

哲の目が、ギラリと光った。

竜王山の左手が、哲に襲い掛かる。

それに哲は、左肘の下に右手を添え、下から勢いよく上げた。

竜王山の左肘が、逆方向に折れる。

竜王山が顔をしかめた瞬間、哲の左足が、右ももを叩いた。

竜王山は、痛みで後ろに下がる。

それを許さず、哲は前蹴りを放つ。

竜王山は、右腕を腹の前に構え、蹴りを防ごうとする。

しかし、哲の右足は、竜王山の腕には触れなかった。

足は前に突き出された後、竜王山の前で地面を踏みしめたのだ。

そのまま前に突き進み、左手を振るう。

勢いづいた前蹴りはブラフ。

その勢いを生かした、こちらが本命。

踏み込みがない状態の、竜王山に放つ一撃。

一歩背負い、再び。

竜王山の巨体が、今度は浮いた。

竜王山の体重、百七十六キロ。

その百七十六キロが今、全力で頭から落とされた。

昏倒必須。

哲は手を離し、大きく呼吸をして、竜王山に背を向ける。

「勝負あ…!」

王宣が手を上げようとした瞬間。

竜王山の上体が起き上がった。

異変を感じ取り、哲が振り向く。

「うっそだろぉ…」

あれを食らって起きるのかよ、そんな言葉を、心の中で叫んだ。

「うす」

竜王山が両手を地面につける。

突っかけた。

竜王山の巨体が、哲に襲い掛かった。

(糞ッ…使)

哲の左足が、竜王山の右足を払った。

竜王山の体制が崩れる。

左に、体がぐらりと傾く。

その傾いた左頬に、哲の膝が飛んできた。

竜王山の顔は、哲の膝蹴りをまともにくらい、今度は右に傾いた。

次は、哲の左足が、竜王山の腹を突いた。

後ろに向かって、倒れていく巨体。

哲は逃さない。

竜王山の右腕を引っ張り、一瞬、竜王山の体を背負った。

背負い投げ。

竜王山、今宵二度目の、脳への打撃。

「…勝負あり!」

王宣が今度こそ、手を振り上げ、宣言を終わらせた。

勝者、田中哲。


黒山紺、控室。

龍一が立ち上がり、扉に向かう。

「次は友人の試合なので、失礼します」

龍一が振り返って一言発し、部屋から出ていく。

「…ああ」

龍一が、一つの部屋の前で歩みを止めた。

その部屋は、轟凛太控室。

「凛太~」

そう言いながら、扉を開ける。

部屋の真ん中には、大きな背中があった。

「龍一か。行くぜ、ぶちかます!」

凛太が叫んだ。

「頑張れよ、凛太」

龍一が凛太に向かって、拳を差し出す。

「おうよ!」

凛太は答え、龍一の拳に、自分の拳を合わせた。

轟凛太、出陣。


夢山織控室。

「行くかぁ~…」

控室の中で、織が立ち上がる。

織の後ろには、袋がいくつか置いてあった。

その袋は、ぼろぼろに引き裂かれていた。

夢山織、その姿は大量殺人犯。

素手による大量虐殺である。

織はある裏格闘技、ミヤコに出場し、多大な金を持って帰っていた。

金を持った帰り、運悪く警察と鉢合わせ。

無論、問い詰められる。

もちろん、黒い金ということで、いざこざが起きた。

その時、警察を素手で殺した。

応援で駆け付けた、何十人の警察も殺害。

最終的には麻酔銃や、テーザーガンを持ち出され、逮捕。

だが織は、都のチャンピオンに近しい人物だった。

都の経営が難しくなると考えた、経営者椎島英弘シジマエイコウは、金をかけて織を釈放。

大量殺人鬼が、外へ出ることとなった。

「轟凛太、身長百八十二センチ、体重九十四キロ。時牧戦録、十勝一敗」

審判は髙美だ。

「シャー!」

凛太が、リング場で叫ぶ。

それと同時に、観客たちも歓声を浴びせる。

「夢山織、身長百七十八センチ、体重八十二キロ。時牧戦録、十一勝無敗」

織が首を鳴らす。

「騒いでるねぇ、ゴリラ君」

織が自分の顎に手を添え、凛太に話しかける。

「そりゃな、俺の試合だからな」

凛太は指を鳴らして、織に応える。

「お前の試合?冗談よせよ」

織が構えた。

腰をかがめ、両手は肘を曲げて前に置き、掌を開いている。

組み狙いだろうか。

凛太も構えた。

両拳を顎の横に置いた、フルコン空手のような構えだ。

組技に付き合うつもりはないらしい。

「両者、準備はいいですね」

髙美が二人の顔を見る。

「おう!」

「あぁ」

二人が答えた。

「では、始め!」

髙美が手を振り上げ、開始の合図をした瞬間、織が動いた。

低姿勢のまま、凛太に向かっていく。

凛太は織に向かって、右ローキックを放つ。

ダメージを入れるのはもちろん、距離を取るためでもあるローキックだった。

ローを放った瞬間、織の右足が地面を蹴った。

凛太の顎に、右足の甲がぶつかる。

ハイキック、炸裂。


9話 竜 終

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