7話 古流武術
第三試合、龍一対勇。
龍一の足が、勇の胸を蹴り飛ばす。
勇の眉間に、しわが寄る。
地面から手を離し、勇から離れる。
勇はそれを追ってきた。
そこに、龍一の左ハイが飛んできた。
勇は手を挟むが、威力は抑えきれず、体勢を崩す。
体勢を崩した勇に、前蹴りでさらに体勢を崩す。
勇は倒れ掛かる体を、後ろに跳び下がることで止めた。
勇が息を整える。
「初戦から、厄介な人と当たりましたね」
「そう、残念だったね」
二人の呼吸が、重なり合っている。
先に息を整えたのは、勇。
しかし、勇は動かなかった。
「一つ、お聞きしたいことがあります」
「なに?」
「あなたは私を観察して、何を思いましたか?」
「…柔道家だと思った」
龍一も、喋りながら息を整える。
「良かった…」
勇が踏み込んだ。
(おそらく勇は次、組みを仕掛けてくる。足で対処しよう)
龍一がそう考えたとき。
勇の右手が動く。
(右!投げか!)
龍一がそんなことを考え、勇の右手に意識を取られた。
メリッ、龍一の左脇腹から聞こえる。
勇の右足の先が、龍一の脇腹にめり込んでいた。
龍一は歯を食いしばり、飛んで距離を取る。
(蹴り!?)
手で脇腹を抑えながら、思考を巡らせる。
「ご明察、私の流派は柔道ではありません」
勇は、龍一の考えを見透かしたように言う。
「私の使う技は古流武術、その中でも、進化をし続ける
勇がにやりと笑う。
ムード・スロック控室
ムードの手には、水のペットボトルが握られている。
首には白いタオルをかけ、控室のテレビで試合を観戦中だ。
音はうまく聞こえず、勇の声がかすかに聞こえて時、外からドアを叩かれる。
「失礼する」
聞いた声、ムードは振り返る。
入ってきたのは、鷹田降雄。
「よぉ、なんだ?」
降雄はムードの声を無視し、テレビをじっと見る。
「WHY?」
ムードがペットボトルを強く握り、ウザったらしそうにする。
「勇が使ってるのは、古流武術水守流。俺は何度か聞いたことがある」
ムードは黙って聞いている。
「水守流、その道場は、日本各地の四つに分かれる。北海道、千葉、熊本、富山。そして水守流を受け継いだものは、高野勇、それと弟の高野武人だけだ」
降雄の目が光る。
「水守流の歴史は、五百年前に遡る」
水守流創始者、
兵右衛門は水守流を生み出し、一つの本を書いた。
その本には、一般人には到底できないような技が、いくつも書かれていた。
当初は兵右衛門の、武勇伝か何かを書いたものだと思われていた。
しかしその実、書かれていたことは、水守流のすべてを継ぐ者かどうかの条件であった。
条件を達成したものだけが、水守流を継いでもいいとされている。
「それに、水守流の試練を受けるのにも条件がある」
降雄が、一人で喋っている。
「それは、何かの格闘技を完全に会得できているかどうかだ」
「そして、水守流の条件を達成したのなら、兵右衛門の弟子、
「その水守流技書には、自分の格闘術と水守流を合わせた新たな技を、その本に追加してもいいとされている。つまり、水守流は継承者が生まれる度、進化していくんだ」
ムードは、語り終えた降雄を、数秒間見つめる。
「話したかったんだな」
「古流武術…水守流…知らないな」
龍一が息を整えながら、言う。
「あまり、知名度はないようですね」
勇が残念そうに言う。
「ならば、これを機に教えましょう」
勇が少し細い目を見開いて言う。
「完成された武術というものを」
勇が大きく厚い足を、前に踏み出す。
龍一の顔に、右ストレートが飛んでくる。
龍一は捌こうと、手を拳の前に出す。
その瞬間、勇の拳が止まった。
左前蹴りが、龍一の腹を叩く。
龍一が前に屈むと、勇に頭を掴まれる。
龍一の顔に向かって、右膝を振り上げる。
両手を顔の前に出し、勇の膝を防ぐ。
しかし、防ぎ切ることはできない。
密着した状態故、龍一にダメージが蓄積していく。
「!」
勇はいきなり、龍一を突き飛ばす。
「なんで…?」
リング下の聖一が、見上げながらつぶやく。
しかし、聖一はすぐ気づいた。
勇の右ふくらはぎから、血が垂れだしていることに。
龍一は蹴られる直前、二本の指を立て、勇のふくらはぎに刺したのだ。
「教えてあげようか?勇さん」
龍一は、顔を血まみれにしながらも、笑いながら言う。
「なにをです?」
「水守流が負けることを」
龍一の睨みを見て、勇は言う。
「面白い冗談ですね、水守流が負けるなど」
勇が呼吸を整え、構えをなおす。
ボクシングの構えである。
勇の会得した武術、それはボクシングである。
無論、ボクシングを会得し、水守流を学びに行ったものは何人もいた。
だが、ボクシングは、蹴、膝、肘、組、絞、極技がないため、水守流の完全会得にたどり着いたものは、一人もいなかった。
勇、ただ一人を除いて。
勇は、ボクシングに身を置いていた時代、ボクシングに舞い降りた大天才と呼ばれていた。
表舞台に立って、たった一年で国指定の強化選手に選ばれた。
しかし、そこから二年後、ボクシングを引退。
その理由は、強くなるため。
勇はボクシングの天才どころではなかった。
勇は、格闘技の天才だったのだ。
三年半、続けてきたボクシング。
足技等を使ってきたことがないにもかかわらず、一年半でそれらを習得。
水守流に入り、約二年で、再び頂点へと上り詰めた。
そんな男が今、一番慣れたボクシングの構えを取っている。
「兄様、一回戦から本気に…」
武人は、離れたところで試合場を見ている。
勇が金殺に入ろうとしたきっかけ、それは数年来の友人の治療費を出すため。
そのために、龍一がトーナメントに出場決定したあと時牧に入り、トーナメント出場までこぎつけたのだ。
(兄様は優しすぎる…だからこそ、俺は尊敬し、ついて行く)
武人が胸の前で、拳を握る。
(勝ってください、兄様)
勇は龍一を睨んでいる。
すると、勇が口を開く。
「私は友人を救うため、ここにいる」
「はぁ…」
龍一は片眉を上げ、何が何だかわからないような顔をする。
「しかし、今はその気持ちと、もう一つある」
龍一に睨み返す。
「あなたに勝つという気持ちがね」
勇が踏み出した。
右手をジャブのように突き出す。
(組!?打撃!?)
龍一が右手を警戒しながら、先ほどまでの反省で、勇の体の全体を見る。
ゴッ、鈍く乾いた音が鳴る。
勇の右手の形は、拳だった。
しかし、龍一はそれを見切り、左腕を、勇の右拳と自分の左頬の間に挟んでいた。
龍一は一瞬、一コンマばかりで理解した。
相手は直線的に殴り、龍一によってガードされた。
つまり、フェイントは無し。
龍一の右拳が、勇の顎を貫いた。
ピキッ、小さな音が、勇の耳に入ってくる。
顎の骨に、小さなヒビが入った音だった。
勇の脳が揺れる。
メリッ、勇の脇腹に、龍一の右足がめり込んだ音だ。
勇の呼吸が、薄くなる。
揺れた脳、薄くなる酸素、勇の意識が遠くなる。
だが、意識が薄れても、闘志は薄れず。
勇は本能的に、地面を踏み込んだ。
かすれた声で叫び、龍一の胸を右拳でたたく。
ダメージは、先ほどまでに比べて薄い。
しかし、勇は格闘技の天才。
それでも、威力は強い。
龍一は後ろに、押し飛ばされた。
勇は意識を完全に取り戻し、龍一に駆け寄る。
勇の左ジャブが、龍一の顔へ迫る。
だが、龍一はジャブを避け、カウンターストレートを放った。
水守流 返し投げ
龍一の体が浮かんだ。
勇は龍一の左手首に、右手を当て、左手を龍一の太ももに挟み、プロレスのように投げ落としたのだ。
ジャブを打った後、カウンターに合わせて、相手を投げる技。
約束組手でも成功されないという技、それが返し投げであった。
龍一の背中が、地面に叩きつけられる。
それを見逃さず、勇は右足を振り上げ、龍一の顔面に向かって振り落とした。
龍一は体を回転させ、右足を避けた。
しかし、相手は水守流の使い手。
全ての状況に対して、技を組み込んだ武術である。
勇は龍一の背中を、左足で蹴飛ばしたのだ。
格闘技の天才が放つ、サッカーボールキック。
龍一は幸運であった。
背中で受けられたことが。
すぐに息を整え、勇から距離を取る。
勇はすぐに距離を詰め、龍一の顎に向かって右アッパーを放つ。
龍一はそれを左によけ、勇のあばらに向かって、左抜き手を放った。
龍一の左手が、勇の右あばらに食い込む。
勇は顔を歪めながら、歯を食いしばり、振り上げた右腕を龍一に向かって振り下ろした。
勇の右膝が、龍一の頭頂部に落ちる。
龍一の目が見開く。
そのまま勇は、右膝を龍一の顔面に撃つ。
龍一の鼻からは血が噴き出、後ろに下がっていく。
水守流 切り足
ボクシングのフットワークに似た歩法で、龍一へ距離を詰める。
勇が生み出した技である。
龍一との距離が縮まると、勇の体が沈む。
勇の両腕が、龍一の体の後ろで組まれる。
(倒す!寝技も私の範囲だ!)
勇が足を持ち上げ、龍一に全体重をかける。
しかし、倒れない。
倒れないどころか、動かない。
(何という足腰だ!私の体重百九キロを耐えるなんて!)
龍一は、まるで意趣返しのように、勇の頭頂部に左肘を打ち下ろす。
腕の力が弱まった勇を、蹴り飛ばす。
勇は後ろに下がっていき、リングロープにもたれかかる。
(まだだ!まだ!)
勇は鍛え上げたタフネスで、足を踏み出した。
勇が龍一に向かって走っていき、龍一との距離が五メートルほどになる。
(あと…もう少し)
龍一は体制をかがめ、勇を待つ。
勇は龍一が何かしてくると察し、蹴りの用意をする。
残り、二メートル半。
勇が右膝を持ち上げる。
(ここ!)
龍一は上に跳びあがり、体をねじらせた。
空中で体を回転させ、右足の甲を、勇の顔面に向かって、打ち下ろす。
その技の名は、回天落とし。
勇の前頭部を、右足の甲が叩いた。
そのまま、右足の平を地面につける。
勇は両腕を立てたまま、前に倒れる。
髙美が数秒、勇を見た後、手を振り上げる。
「兄様、良き、戦いでした」
髙美の声が、観客たちの歓声とともに、部屋に響く。
「勝負あり!」
「何?金?」
総一郎が、煙草を吸いながら、前の男に言う。
その男は、龍一だった。
「勇さんは、友達を救うため、金殺に入るといっていました」
龍一が頭を下げ、総一郎に頼む。
「お願いします。彼に、彼の友人に」
龍一の敬語、総一郎は、初めて会ったとき以外聞いたことがなかった。
「~!わかったよ!だからその喋り方辞めろ!」
総一郎が頭をかきながら、嫌そうに言う。
「優しいっすね会長」
聖一が総一郎の腕を、肘で突っつく。
「どこだ、勇は」
勇は控室で、帰り支度をしていた。
「勇さん」
扉の外から、声が聞こえる。
「…どうぞ」
龍一たちが、扉を開ける。
「何か、用ですか?」
勇の隣にいる武人が、龍一たちに聞く。
「…最後まで、見ないんですか」
「ここにいる理由は、あまりないし、急いで表で稼ごうと思ってね」
勇は残念そうに言う。
「友人さんに、お金が必要なんですよね?」
「えぇ、彼、病気でね」
「その治療費、いくらなんだ?」
総一郎が言う。
「あなた方に話すことでもないですよ」
勇がそういうと、総一郎が自分のバッグから、紙を取り出す。
「…好きな数字書いとけ。最後まで見とけよな」
総一郎が、紙を勇に渡す。
その紙は、桐野総一郎の名前が書かれた、小切手であった。
「で、ですが」
勇が立ち上がると、総一郎が後ろを向く。
「最後まで見て、龍一の優勝を見届けろ」
総一郎はそのまま、部屋を出ていく。
「勇さん」
龍一が心配そうに言う。
「…勇でいいよ、龍一君」
小切手を眺めながら、龍一に言う。
「頑張ってね」
「…はい」
龍一、二回戦進出。
「坂田利夫、身長百九十二センチ、体重百二十一キロ。時牧戦録、十三勝無敗」
白いタンクトップを着ていて、青いジーンズ、オールバック、腕を組んでいる男は、坂田利夫。
「シミーア・ウォール、身長百八十五センチ、体重八十三キロ。時牧戦録、十五勝無敗」
黒いハーフパンツを着た男。
金髪であり、襟足は長かった。
利夫を睨む目は、青く輝いていた。
「審判は私、
黒服のスキンヘッド、服の四肢には、竜の絵が描かれていた。
正 夢坂と同じ姓である。
「では、始め!」
試合開始、利夫が殴り掛かる。
利夫の右拳が、シミーアの首を狙う。
ドォン。
シミーアの右掌が、利夫の腹を叩いた。
(発頸!中国武術!?)
東蓮が驚く。
利夫が、笑った口から、唾を流し、白目をむいて、前に倒れる。
「勝負あり!」
観客たちの歓声が沸く。
「すげー!」
「あの利夫を一発かよ!」
シミーアは、唯一無傷のまま、控室に戻っていった。
龍一は控室で、呆気に取られていた。
「一発で…」
「次の相手はあいつだぞ」
総一郎が煙草をふかし、心配そうに言う。
「…勝てるか?」
龍一がうつむき、息を鳴らす。
「勝ちますよ」
「試合、頑張れよ」
ムードが壁に寄りかかりながら言う。
その部屋は、ハリッド・マヤールの控室だった。
「もちろん。準決勝でお前をぶっ倒してやるよ」
ハリッドが立ち上がる。
青いハーフパンツを引き上げ、控室を出ていく。
「一発ぶちかましてくるぜ」
ハリッドが試合場へ向かう。
7話 古流武術 終
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