4話 ユーザー
ビルの路地裏
「なぁ。金をちょっと出してくれりゃあいいんだよ」
サングラスをかけた金髪の男が、黒い丸刈りに、眼鏡をかけ、スーツを着た、ただの会社員のような男に、金をせびっている。
「おっさん。金持ってんだろ」
金髪の男の後ろに、巨躯の男がいる。
「い、いや。お金なんか」
「ちょっとでいいんだよ。ちょっとで」
金髪の男が、丸刈りの男に近寄る。
「いや…」
「これでもか?」
金髪の男が、ポケットからナイフを取り出し、丸刈りの男を切りつける。
「なっ…」
しかし、ナイフの刃は、男のスーツを切り裂いたものの、筋肉を傷つけることができなかった。
「変装をしても無意味だったかぁ」
金髪の男がナイフを落とし、巨躯の男に近づく。
すると、丸刈りの男が、スーツをビリビリに引き裂き、眼鏡をはずす。
「私は着やせするタイプなのかな?舐められちゃうなぁ」
丸刈りの男が、金髪の男の腹を殴り、悶絶させる。
「てめぇ!」
巨躯の男は、引くわけにもいかず、丸刈りの男に殴りかかる。
「ふん!」
巨躯の男を殴り飛ばす。
「まったく。どうすればいいのか」
男の名は、古八木智。
観客の歓声が響き渡る。
龍一の前、筋肉質で丸刈り。
古八木智だ。
「いやぁ、すごい筋肉っすね」
聖一が、背中から壁に寄りかかり、総一郎を見ずに話しかける。
「…いや。あれはユーザーだな」
総一郎が煙草を咥え、聖一を見ずに言う。
「ユーザー?」
「ステロイドだ。隠してはいるがな」
ステロイドとは、投与することで、筋肉を強化することができるが、不揃いの体格や、大量に投与すると命に関わる薬である。
「まぁ、裏格闘なら、こういうのは反則じゃないだろうからな」
龍一と智の間に審判が入ってくる。
凛太との試合で審判をしていた、
「武器と故意による殺害。以外禁止事項なし。いいですね?」
二人は同時にうなずく。
「では、始めぇ!」
審判の声が響いた瞬間、智が踏み出す。
「ぬぅん!」
声をうならせ、左腕を打ち込んでくる。
龍一はそれを避け、避けたスピードのまま、右ジャブを智の顔に向けて放つ。
しかし、智は軽々とジャブを受け止める。
「ちっ」
龍一の口から、舌の打つ音が漏れ、後ろに下がる。
「ふふん。無駄だよ、逃げてもね」
智は笑いながら近づいてくる。
「あっそ。じゃあ攻めさせてもらうよ!」
龍一がつっかけ、左足を飛ばし、智の首目掛けてハイキックを打つ。
だが、右腕でガードされた。
智は息を弾ませている。
おそらく笑っているのだろう。
「シッ」
龍一が、歯の間から息を吐き、右ジャブを数発放つ。
しかし、一撃も当たらない。
首を動かし、スレスレで避けている。
(なら…!)
龍一の瞳が下に動き、右足を持ち上げる。
智のふくらはぎを打った、が、効いている様子はない。
固めた。
智は当たる直前、ふくらはぎに力を込め、ガードをしたのだ。
(速い…俺よりも…動体視力が…)
龍一は後ろに飛び、再び距離を取る。
「う~ん」
智は声を漏らし、首を鳴らしている。
よくみたら、両腕を腰につけ、まるで打たせていたかのよう。
「あんた、視力良いんだな」
龍一が息を整えながら、智に話しかける。
「足を動かしてから、一秒未満で筋肉に力を込めた」
その言葉をきき、顎に手を当てて、う~ん、と考える。
「見たのは足じゃないんだがな」
智はそうつぶやく。
(足は見てない?じゃあどこを見て判断した?まさか…)
龍一が、真っ先に思いついたもの。
それは、先読み。
スポーツでは、将棋に持ち込まれる能力、文字通り相手の思考を考え、先を読むことである。
しかし、あの男が先読みできるのか。
先読みとは、将棋などの相手の思考を読み取り続け、いつの間にか習得しているものだ。
この男、古八木智はまだ三十代前半くらいだろう。
将棋をやったことがあるようにも、戦闘の中で手に入れたようにも見えない。
その時龍一は思い出す、いつかの記憶、人間は脳の十分の一程度しか使えてないというのを知った記憶。
「どういうことでしょうか?足を見てないって」
聖一が総一郎に話しかける。
「…目だ」
「目?」
聖一が聞き返す。
「目が下に動いたのを見て、足に攻撃されることを判断したんだ」
「いやいや、戦闘中に目が下に動いたのを見て判断できます?」
通常、戦闘中には無理だろう。
「薬だ」
「薬?」
「薬の効果で脳が活性化されて、視力がよくなってるんだ」
総一郎はそういうと、聖一に目を向ける。
「気づいたか?あの男、打たせてる」
「打たせてる?」
「事前に筋肉を固め、ガードしながら受け続けてる」
総一郎は、煙草をかみつぶす。
「ムカつく野郎だ」
そんなこと露知らず、智は構えていた。
攻撃を始める気だ。
「防御の準備を、しておいた方がいい」
智が、歯を見せて笑う。
「行くよ」
智の巨体が、一瞬にして龍一に迫る。
「速っ」
龍一が、驚きのあまり声を漏らす。
龍一の体は、防御の体制を取っていなかった。
智の巨拳が、龍一の腹を撃つ。
龍一の体が智の目線まで浮かぶ。
すごいパワーである。
龍一の体重が八十キロだとすると、百キロ以上のパワーで打ったことになる。
智の足が、地面を打つ。
智のターンは、まだ終わっていなかった。
浮かんだ龍一の顔を、全力で殴りつける。
遠慮など一切ない、フルパワーのパンチであった。
そんなフルパワーのパンチで、龍一の顔は血だらけになり、リングロープに背中に打ち付ける。
「っ!」
龍一の背骨に、ヒビが入った。
しかし、智の攻撃はまだ終わらない。
大きく振りかぶり、龍一に向けて拳を振り下ろす。
龍一の頭蓋骨を打ち破る瞬間、龍一の体が動く。
右手と左手が手首をつかみ、両足で飛び、足を相手の肩にかける。
そのまま、体を一回転させ、肩、肘、手首の、都合三か所を折るこの技の名は、
だが、龍一の体は、足を掛けたところで固まってしまった。
背骨の痛みが、回転を許さなかったのだ。
「龍一君…」
聖一が呟く。
隣で、総一郎は煙草を咥えている。
目は、龍一を睨んでいた。
それは、一種の信頼であった。
勝てると信じていることから来る睨み。
龍一は受け取るのか。
しかし、智は空いた左腕を振り上げた。
「霞原龍一…残念だが、終わりだ」
智の左腕が動く。
おそらく、顔面目掛けて振り下ろすつもりだろう。
「good-by。龍一」
そう呟き、左腕を思いっきり振り下ろした。
「グッバイ」
龍一はそう呟いた。
智は、腕を止めないが、脳の中は混乱していた。
なぜこいつが言うのだ。
左腕は躊躇なく、顔面に振り下ろされた。
しかし、左腕は狙ったところに落ちなかった。
狙いの顔面ではなく、龍一の左頬に落ちたのだ。
動いた、いや、ひねった。
利用したのだ、智の力を。
智の振り下ろす力に、自分の少ない回転力を加える。
結果、龍一の体は、痛みを伴いながらも、一回転を遂げた。
一手三鳥。
靭帯の千切れる音が響き渡る。
智の顔が苦痛に歪む。
「がぁ!」
智が無理やり、龍一の顔を殴り飛ばす。
しかし、威力は全くなかった。
龍一は離れはしたものの、自分から離れていた。
威力をなくすためだが、あまり意味はなかった。
「終わらせましょう」
龍一が智に近づきながら言う。
「あぁ」
汗を垂らしながら、智が応える。
「いまこそ…使う」
「?」
智の左手が、歯へ向かう。
智が左手を引く。
左手には、歯に吊るされていた紐があった。
紐の先には、カプセルがついていた。
カプセルを開けると、中には一段階小さいカプセルが入っていた。
「こっちが胃酸で溶ける方さ」
智が言う。
どうやら、溶けないカプセルを紐で胃の中につるし、中のカプセルで戦闘中にドーピングをするつもりらしい。
そして予想通り、中のカプセルを飲み込む。
数秒後、筋肉に血管が浮き出てくる。
「かっ!」
智が踏み出し、龍一に殴りかかる。
龍一は腕を出し、智の拳を防ぐ。
だが、龍一が吹っ飛んだ。
再びリングロープに背中をぶつける。
「痛っ…」
智が龍一に迫り、左手を大きく振りかぶる。
「フーッフーッ」
呼吸が荒い。
目は血走り、歯は常に剥き出し、体中から血管が浮き出ている。
「がっ!」
吼えた瞬間、腕を龍一に向かって振る。
それと同時、智が吼えた瞬間、龍一の瞳が鋭く光る。
龍一は両の足の平を地面につけ、少しだけ体を浮かせる。
そして、右手の平を智の左拳に合わせる。
足に力を込め、反発するように、拳を押し出す。
相手の攻撃の勢いを掌底で返し、内部に衝撃を伝える技。
技を打った瞬間、智の左腕から、血が噴き出る。
「なっ…」
智が体験したことは三つ。
一つ、龍一に攻撃が当たらず、腕から血が噴き出た驚き。
二つ、腕の血管がズタボロになったことで起きた痛み。
三つ、右腕の骨が折れたことで傷ついた血管、血が噴き出る右手、薬によって血が回り、さらに勢いが増してきていることによって起きたのは、貧血と痛みによる、失神。
智が前に倒れる。
観客は静かだ。
熱狂が、掌底によって沈められた。
一番早く声を上げたのは、桐野総一郎。
「勝った…!」
二番目に声を上げたのは、審判、山島玲平。
「勝負あり!」
ドッと歓声が沸く。
「古八木を倒したー!」
「龍一ついに十勝目!」
龍一は、観客が帰った後、リングを下りる。
「やったな」
龍一の隣から、総一郎が話しかけてくる。
「凄かったっすね、最後の」
聖一が話しかける。
「なんていう技なの?」
「百血飛乱。開発は俺。名づけはおっさん」
龍一が、総一郎を指さす。
総一郎が照れ臭そうにする。
「へ~、厨二っすね」
「あ?」
聖一の言葉で、表情が変わった。
「お前解雇するぞ」
「冗談じゃないっすかー」
龍一は楽しそうに笑う。
龍一、金殺出場権利争奪トーナメント、参加決定。
出場枠、残り五人。
三か月後、桐野運用本社ジム室。
「トーナメントの開催が決定した。一ヶ月後だ」
総一郎が煙草を咥え、スパー中の龍一と聖一に話しかける。
「もう?」
「残り五人、揃ったみたいだ」
二人が汗をふき取り、総一郎に近づく。
「対戦相手の情報はなし。だが…龍一」
「ん?」
総一郎が龍一の目を見る。
「あの後時牧に何度か出入りしたが、十勝以上の奴は見かけなかった」
「でしょうね。無駄な戦いは避けたいだろうし」
龍一がだから何という風に、総一郎を見る。
「…お前に取っちゃ、嬉しいのか嬉しくないのか」
総一郎がかしこまって言う。
「ミサエル・ジャルマー、時牧戦録二勝一敗。対するは時牧戦録七勝無敗」
龍一には、総一郎が何の話をしているのか、わからなかった。
「ミサエルは強い。だが、そのミサエルが、何もできずに負けた」
「えっ」
ミサエル・ジャルマー、龍一の九試合目で戦い、死闘を決した男。
その男が、何もできずに負けた。
一体、どれほどの実力者なのだろうか。
「対戦相手の名は、
それから、龍一は特訓に勤しんでいた。
智戦での深手、ミサエルを余裕で倒すほどの相手がいるという話。
龍一は考えた。
このままトーナメントに出場しても、優勝どころか、金殺出場の条件、上位四人に入れないだろう。
もっと強くならなければいけない。
しかし、龍一の強さは、生まれつきの身体能力と、ジムでの筋トレのみでできている。
劇的に強くなる方法など知らない。
そう思って、総一郎に相談した。
「…分かった。いいとこを教えてやろう」
そうやって渡された紙には、幾つかの場所が書かれていた。
古流武術久慈島道場。
「そうですか。桐野さんが」
「なら、師範を呼んできますんで。少々お待ちください」
勇気が立ち上がり、襖を開けて、部屋を出ていく。
龍一は、部屋の真ん中で座っていた。
正座であった。
畳に直接座っている。
目を閉じていた。
音を感じ取るためである。
五分か、六分か、待っていたころ。
襖の開く音がする。
ザッと、畳から音が鳴る。
龍一が、下を向いたまま、少しだけ目を開く。
見えたのは、自分の正面にたっている、白い靴下であった。
龍一が顔をゆっくりと、警戒しながら上げる。
細い体、袴から覗く腕は、枯れ木のように細く、首は皮膚が垂れ、髪は頂点を除き、白くチリチリとしていた。
顔にはしわが多く、白い顎髭も生えているが、シミやホクロなどはなかった。
(この人が…)
一九四三年、今から八十二年前、日本の静岡県に生まれる。
一九五九年、合気護身術 浮心流道場に入門。
一九七三年、久慈島流武術道場を立ち上げる。
その後、五十二年、裏でも立ち合いでも路上でも、戦いに戦い、久慈島流の強さを証明してきた。
所謂、達人である。
そんな達人が今、龍一の目の前に立っていた。
「立ちなさい…」
ボソリ、しわで囲まれ、乾いた唇から漏れる。
「は、はい」
片膝をつき、龍一が立ち上がろうとする。
トンッ、弱弱しい手が、龍一の体を押しのける。
龍一の体が下がり、畳に尻もちをつく。
「桐野殿から話は聞いている。一つ目の修業はこれ、立ち上がる事」
光郎が弱弱しく発する。
「因みに、勇気は立ち上がれるようになるまで一月の月日を要した」
「ちょっと師範…」
勇気が恥ずかしそうに言う。
「立ち上がる…」
勢い良く立ち上がれば、龍一はそう考える。
考えた通り、勢い良く立ち上がる。
老いた手が、龍一の体を押し返す。
再び、尻もちをついた。
「コツはな、足で立ち上がることだ」
勇気が笑顔で教える。
「足で…」
龍一は思い出す。
百血飛乱、この技は所謂掌底である。
掌底で大事なものとは、それは足腰。
「すっげ…」
勇気が小さく声を漏らす。
龍一の体は、足、膝、腰、全てがピンと伸びていた。
「第一関門、突破」
光郎の口は笑っていなかったが、声は昂っていた。
4話 ユーザー 終
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