第10話 残業
昨日、すっかり忘れていた。
朝の身支度をしながら、友哉にラインして、里見さんの電話番号とラインIDを教えた。
『おせーよ』
即レスで怒られた。
会社に行くと、フロアがざわついていた。
里見さんが慌ただしく近づいてくる。
「どうしたの?」
「STテスト前になって、根幹の仕様不具合があったらしくて……」
と、困った感じで里見さんが言った。
「マジで? どうすんの、それ」
「まずは現状調査とリカバリーの検討。それから改修になるみたい」
「なるほど……。まだ勝手に動けないし、指示待ちだね」
「うん」
困ったように笑う彼女に、僕は少しでも落ち着いて見えるよう努めた。
やがて関係者全員が会議室に呼ばれる。
データベース再設計、機能改修十本以上、ストアドも……。六人で対応。
僕と里見さんは同じ機能を任された。
「よろしくね」
「こちらこそ」
(今日から残業続きか……)
やるしかないのだから頑張ろう。なんとか自分を奮い立たせた。
設計書とソースをにらめっこして、一覧を作り、二人で手分けして改修して行った。
◇
――夜。担当分の改修はなんとか終わった。
「テストは明日だね」
「はい」
疲れた笑顔を交わし、自販機でコーヒーを買う。
「里見さんが頑張ってくれたおかげだよ」
「聡さんの采配が良かっただけです」
彼女はにっこり微笑んだ。
少し間を置いて――。
「そうだ。今週の日曜、バスケの試合のチケットがあるんです。良かったら一緒にどうですか?」
「へえ、いいね」
そう答えかけて、口をつぐむ。
「……いや、バスケなら友哉と行った方が楽しいと思うよ。誘ってみたら?」
里見さんは数秒考えてから、柔らかく笑った。
「じゃあ、友哉さんを誘ってみますね」
その笑顔に、安心するはずだった。
けれど胸の奥に、チクリとするものがあった。
先輩システムエンジニアの伊崎さんが声をかけてきた。
「そっちは終わったみたいだな。先に帰っていいよ。こっちももうすぐ終わるから」
「わかりました。じゃあ、お先に失礼します」
「お先に失礼します」
里見さんも続いて頭を下げた。
出口に向かう途中で、伊崎さんがふいに声をかけてくる。
「なあ、二人って……付き合ってんの?」
「えっ!?」
僕は思わず声が裏返った。
「だってさ、最近ずっと一緒じゃない?」
「た、たまたまですよ」
慌てて否定する僕の横で、里見さんは――微笑んだまま何も言わない。
(なんで否定しないんだ……?)
「そういうことは、里見さんに失礼ですから」
「そうかぁ。てっきりそうだと思ってたんだけどな」
伊崎さんは肩をすくめて、軽く手を振った。
「ま、明日もよろしくな。お疲れ!」
会社を出て、駅までの道を歩く。
黙ったままでは落ち着かなくて、僕は口を開いた。
「……なんか、ごめん。変に誤解されちゃって」
すると、里見さんが少し強い口調で返す。
「謝ることないですよ。いつも誘ってるのは私だし、聡さんは何も悪くないです」
「……」
「それに――」
「?」
「聡さんといると、とっても楽しいです」
その言葉と一緒に向けられた笑顔に、心臓の鼓動が速くなる。疲れていたはずなのに、胸が高鳴る。
「……ありがとう」
思わず小さくつぶやいた。
◇
――次の日。
朝、伊崎さんが僕のところに来た。
「リカバリーの話だけど、思っていたより影響範囲が広くなくて、最低限のところをカバー出来たら大丈夫みたい」
それを聞くと僕は、ホッと胸を撫で下ろした。
さて、テストするか……。
里見さんの席に行くと、里見さんがモニタを指差した。
「これ、作っときました」
見ると、昨日改修した箇所のチェックリストが並んでいる。
「うわー、助かる! 本当は今日の作業で作ろうと思ってたんだ」
これなら、予定より早く終わるかもしれない。
二人は、黙々とテストに取り組んだ。
夕方、僕は近くのコンビニで、飲み物とデザートを買ってきた。作業場で食べるのは気が引けたので、他の場所に里見さんを誘った。
「少し休憩しようか」
「あ……うん」
誰も使ってない会議室を拝借した。
里見さんの前には、プリンと紅茶、僕の前には、クレープとコーヒー。
プリンをひと口食べた里見さんが話し始める。
「昨日ね、友哉さんにラインしたの。バスケ行く? って」
「あいつ、即答したんじゃない?」
僕はニヤニヤしながらクレープにかじりついた。
「でも、仕事次第だから半々って言われた」
「たしか十九時開始だったよな」
そう言った僕の口のまわりについたクリームを見て、里見さんがクスクス笑った。
「友哉の職場さ、最悪みたいなんだよ」
「最悪?」
「残業は鬼のようにあるし、パワハラ元上司も健在。部下も言うことを聞かないらしい」
「うわ……サイアク」
「もう体壊してるっぽいから、辞めさせたいんだ。会社を」
「そうなんだ……。優しいね、聡くん」
呼び方が変わったことに気づいたけれど、そのまま続けた。
「それで、試合のときに説得してほしい」
「会社辞めろって?」
「そう」
しばらく考え込んだあと、里見さんは言った。
「でも、それで本当に辞めるかしら? 私なら仕事を続ける理由がなくならない限り辞めないと思う」
「……そうか」
二人は残りのデザートを食べ終えると、作業場へ戻った。
――二十時過ぎ。
ようやくテストが終わった。
「終わったー!」
僕が叫ぶと、里見さんは腕を天井に伸ばしたり、首をぐるぐる回したりしていた。相当疲れたのだろう。
「これで明日は出勤しなくてすむ。本当にお疲れ様」
「伊崎さんに報告してくる」
しばらく伊崎さんと話し込んでから席に戻ると、里見さんは机に俯せて、横顔を見せながら眠っていた。
(チェックリスト作ってくれてたし、昨日すごく遅かったのかな……)
すぐに起こすのは気が引けて、しばらく寝顔を見ていた。
少し離れたところで伊崎さんがつぶやいた。
「あいつら、ほんとに付き合ってんじゃないのか」
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