第8話 居酒屋
朝になった。
昨日は気まずくなって、そのまま帰ってしまった。
本当なら今日、友哉の母親に会いに行くつもりだったが、「未来から来た」なんて話をすれば、頭がおかしいと思われるのがオチだ。
そんな時間があるなら、友哉と一緒に過ごした方がいい。寄り添うべきだ――そう思った。
(飲みに誘ってみようか。でも今日も遅いのかな……)
あれこれ考えていたら、危うく電車に乗り遅れそうになった。
車はあるが、職場は都内なので普段は電車通勤だ。
会社に着く。昨日は仕事に集中できなかった分、今日は取り返さないと。
手早く支度をしていると、後ろから里見さんが声をかけてきた。
「……あの」
「何?」
僕は支度を続けながら答える。
「今晩、空いてますか?」
「え?」
一瞬、意味が飲み込めなかった。仕事の相談か? それとも誘い?
「仕事の話?」
「いえ、ちょっと相談したくて……」
何となく察したが、今日は友哉を飲みに誘おうと思っていた。どう答えるべきか迷う。
「えっと……友達と飲みに行こうかと思ってたんだけど」
つい正直に口にしてしまった。
断ったつもりだったのに、思わぬ返事が返ってくる。
「もしよければ、ご一緒してもいいですか?」
「あ、うん……聞いてみるよ」
半笑いで答えると、
「オッケーなら教えてくださいね」
と、彼女はにっこり微笑んだ。
少し気持ちが高ぶった一方で、胸の奥にはなぜかモヤモヤが残った。
◇
――昼休み。
友哉が電話に出るかわからないと思いつつ、かけてみる。三コールで繋がった。
「友哉?」
「ああ」
「忙しいと思うから手短に聞くよ。今晩、飲みに行かないか? あと、会社の同僚も連れてっていい?」
「マジ? わかった、なんとか時間作るわ」
意外なほどあっさり返事が返ってきた。友哉も乗り気らしい。
(バスケの話で盛り上がるかもしれないな)とふと思った。
昼休みが終わり、そのことを里見さんに伝えると、彼女も嬉しそうに笑った。
◇
――定時後。
僕と里見さんは、落ち着けるお店を探して、先に向かった。友哉は車で来るらしい。帰りは代行で帰るとのこと。僕も帰りは送ってもらえることになった。
「里見さんて、どこに住んでるの?」
帰りの足が気になったので聞いた。
「浦安に住んでる」
「そうなんだ。なら、帰りに送っていけるね」
彼女はニコッと笑って「ありがとう」と言った。
歩いて十分ほどでお店に到着。中に入ると、落ち着いた照明の個室が用意されていた。
友哉からラインが来る。少し遅れるらしい。
「友達が少し遅れるって」
「友達って、友哉って名前なんだけど、つい最近までバスケやってたんだよ。里見さん、バスケ好きだよね」
「え、なんで聡さん、私がバスケ好きって知ってるの?」
しまった。慌てて適当に誤魔化した。
「他の人と間違えてたかも。ごめん」
「気にしなくていいよ。プロバスケ好きで、よく試合見てるの。お友達の……友哉さん?は趣味でやってるの?」
「いや、実業団のチームでバスケしてたよ」
「へー!すごい!すごい!」
里見さんは、丸めたおしぼりでテーブルを叩きながら興奮していた。
(そんなに好きなのかぁ、友哉と話が合いそうだな)
待ち遠しくて、友哉に電話した。
「今どこ?」
『そろそろ着くと思うんだけど――。あそこかな』
ブチっと電話が切れる。
「多分、すぐ来ると思う」
少しして、友哉が引き戸から顔を覗かせた。
里見さんの顔を見ると、少し驚いたようだった。
「聡、ちゃんと言えよ。てっきり同僚って男性かと思ったじゃん」
文句を言いながら席につく。
「荒木友哉でーす。よろしくっす」
「飲み物はビールでいい?」
「はい」「おう」
僕は引き戸から顔を出して店員さんに、
「ビール三つください!」
と頼んだ。
「紹介忘れてたわ。こちら、同僚の里見優香さん」
「よろしくお願いします」
彼女はぺこりと頭を下げる。
「里見さん、プロバスケ好きで、よく見てるって」
「お!? マジ? Bリーグの試合とか見てんの?」
「見てます見てます。渡部選手が好きなんです」
「おーいいね! 会ったことあるよ」
「えー! うそ! いいなぁー」
「今度サインもらってきてくださいよ」
里見さんはニコニコしながらおねだりした。
二人が話をしている間、僕はメニューを見て適当に注文した。
「なんか食べたいものある?」
「大丈夫です」
そこで、彼女が「相談がある」と言っていたのを思い出す。
小声でそっと囁いた。
(相談あるって言ってたけど、大丈夫?)
里見さんは意を決した顔をして、グラスに残ったビールを一気に飲み干した。
「……大丈夫?」
僕が気にかけると、急に暗い顔になり喋り始めた。
「私、彼氏いるの、……いたの。でも、他に好きな人がいたみたい」
僕は彼女のビールを追加注文した。
「なんで知ったの? まだわからないんじゃない?」
と僕がいうと、彼女は続けた。
「彼氏の家に行ったら、女がいたの……」
彼女は俯き、固まった。どうやら泣いているようだ。
これ以上聞くのは無理そうだった。
「飲み直そ」
友哉は届いたビールを彼女の前に置いた。
「んな男、別れちゃえよ」
友哉が男らしくアドバイスする。
「別れたよ……」
「なら、次の彼氏探せばいいじゃん。な?」
友哉が僕に同意を求める。
「そうだよ。地球は半分男なんだから」
僕は慰めるのが苦手だ。
俯いていた彼女は、涙を拭きながら顔を上げた。
「そうだよね」
「乾杯しよ」
友哉が促す。
「優香ちゃんの新しい門出を祝って、カンパーイ!」
みんな一気に飲み干した。
三人で笑う。
彼女には、また笑顔が戻っていた。
――小一時間ほど経つと、みんな酒が進み、出来上がっていた。
僕は勘定を済ませた。彼女へは二人の奢りだ。
代行を呼ぶと三十分ほどで来てくれた。
まず彼女を送り、次に僕の家まで送ってもらった。
その帰り道、友哉が照れながら言った。
「優香ちゃんて、めっちゃ可愛いな」
「そうか……タイプ?」
「もう、どストライク」
「まじか、誘ってよかったね」
隣に座る友哉を肩で小突いた。
「ふんふん」
鼻歌を歌う友哉を見て、僕も嬉しくなった。
長い帰り道も、あっという間に感じた。
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