第12話

 遠くから、エンジンの音が響いてくる。時速十キロのはずなのに、明らかに速度を守っていないのが分かる。怒られるよ親方、心の中でそう呟くと、チカイチはその瞬間を待った。

 バン、と思い切り運転席のドアが開いた。

「チカイチ、お前」

「よかった、親方が来てくれて」

 チカイチが助手席に目を向ける。

 かりんの姿を見つけると、親方がチカイチの首根っこを掴んだ。

「かかわるなと言っただろう」

「ごめん、でも、ほっとけなかったんだよ。……オレここから出られないからさ、親方連れて帰ってやってよ」

 そう告げると、親方が絶句した。

「チカイチ。お前、覚えてるのか」

「オレがここにいたってことだけは、分かるよ」

「それはお前が捨て子だからだ。ここで拾われたってだけだ」

「違うよ。オレは誰かの夢だ。なんでだか身体もあるし、外にだって出られたけど、間違いなく夢だったんだよ」

 そうして、オレを拾ったのが親方だというのであれば、夢の主は、それに近しい人に違いない。

「なあ、オレ、誰のどんな夢なんだ? 親方か、……いや、親方の奥さんか」

 親方が元妻のことを話したがらない理由。それは、その話がチカイチの出自と直結しているからではないか。

「親方は、なんで奥さんと別れたんだよ」

「……あいつと俺の間の子どもは、生まれてこなかったんだ」

 細い溜息をつくように、親方がその言葉を口にした。

「そうか」

 それが原因で離婚して、そのうち奥さんは別の人と再婚した。再婚相手との間にはかわいい娘が生まれて、そっちとも離婚したけれど、奥さんは今娘と幸せに暮らしている。そんな人が、捨てた夢を拾ったりするわけがない。ちゃんと心に区切りをつけて、ちゃんと先に進んでいるに違いない。

 だとしたら。

 捨てたはずの夢を、捨てきれなかったのは。

「ぬいぐるみの綿、か」

 ああなるほど。親方がいう通り、確かにぬいぐるみの中身だ。

 捨て子は本当にいたのだろう。さすがに人と夢を間違えるわけがないのだから。だけど、その捨て子の中に、見えない『綿』が詰まっているまでは気づきようがなかったのだ。

 夢は薄水色の綿菓子のような、そしてぬいぐるみの綿のような姿をしている。

 オレは、親方が捨てられた赤子に詰め込んだ、親方の夢だ。

 まっさらな赤ちゃんに、『生まれてこなかった子ども』の夢をぎゅうぎゅうに押し詰めて作られたのがオレ。本当なら人間に他人の夢なんて入るわけがないのに、相手が夢も何もない赤ん坊だったからこそ、成立した過ちだ。

「だからあんなに、別の仕事につけって言ってたんだ」

 ここにさえ近づかなければ、オレは自分が夢だと気づかなかったろう。何も知らないまま、人間のつもりで結婚して働いて年老いて、普通に死んでいったんだろう。だったらどんなに良かったか。

 チカイチは大きく息を吐いた。

 だがそれはつまり、親方……羽田翼という人間が、叶ってはならない夢にとらわれ続けるということだ。そうして、チカイチではないこの身体の持ち主が、チカイチに全部を奪われ続けるということでもある。

「赤ん坊の時と同じように、俺がここから連れ出してやる。お前は目をつぶって、トラックに乗っていればいい」

「夢はここから出ちゃダメなんだぜ、親方。知ってんだろ」

「知ったことか」

「捨てたはずのオレが残ったまんまだとさ、親方が先に進めないじゃんか」

 たぶん、妻とよりを戻さないのも、逆にあきらめることができないのもそのせいだ。

 オレが存在する限り、親方はどっちつかずなのだろう。

「オレが身体から離れたら、どうなるの」

「分からん。何もかも忘れるかもしれないし、全部覚えているかもしれない。もしかすると、離れた瞬間に息が止まることだってあり得る」

「そっか」

 どうか、身体の方は生きて欲しい。長い間オレが時間を奪ってしまったけれど、その先の人生を送って欲しい。

 ぱん、と、綿がはじけるような感覚で、オレは身体から抜け出した。

 ふわふわと身体が宙に浮く。ふと見下ろすと、地面にオレが倒れ込んでいた。オレじゃなったオレの身体。自分が中に入っていなければ、ただの赤ん坊としてまっとうに成長していただろう誰か。せめてこの後、ちゃんと目を覚ましてくれればいいのだけれど。

「チカイチ」

 親方がオレの名を呼んだ。でも、もうオレには声も振り返す腕もない。

 目の前には暗くて大きな穴。この中に飛び込めば、オレはただの熱、使いまわしのエネルギーになる。でも、きっとそれで正しいんだと思う。捨てられた夢がきちんと清算されないと、人は先に進めないのだから。

「さよなら、親方。もし生まれてきていたら、お父さんだった人」

 ふわふわと、オレはその穴の中に降りて行った。



 真っ暗だ。ここは、どこだろう。

 遠くで人の声がする。

「バイタルが」

「点滴が」

 そんな言葉がうっすら耳に飛び込んでくる。なるほど、ここは病院なんだろう。とすると、自分はなにかの理由で、病院に運び込まれたに違いない。

 何があった? 思い出せない。瞼が重い。身体がうまく動かない。

「チカイチ」

誰かが、名前を呼んでいるのが分かる。

 その名前は自分の名前なのだろうか。そうであるような、違っているような、……なんだろう、どうにもぼんやりしてもどかしい。けれど、目を開けて呼ぶ人の顔を見れば、きっとはっきりするに違いない。

 自分は、一体何者なのか。

 そう願いながら、ゆっくりと重い瞼を開いた。

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はねだ廃夢回収車 田村 計 @Tamura_K

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