第10話
「ん? その辺の人に聞いてみてる。もしかしたら、知ってる人がいるかもしれないからさ」
「知っているって、一体誰が」
その時だった。ビジネススーツに身を包んだキャリアウーマンが、つかつかとトラックに近づいて来た。不機嫌そうな顔つきで、コンコンと運転席側の窓を叩く。急いで、チカイチは窓を開けた。
「えっと、もしかして」
「人の名前、呼びまわるのやめてもらえますか」
「あなたの名前?」
「そうですよ。中川ひなこ。私です」
「オレが探してるの、『ひなこさんの夢』なんだけど」
「だから、私です」
「え?」
かりんが、思い切り腕を引っ張った。その顔がおびえている。
「お兄さん、ひとりで何を話しているの」
「ひとりって、今目の前にいる……」
窓の外と内を交互に見やる。
よく考えたら、どうして名前を呼びかけたら見つかると思ったのだろう。
夢の島で働く人間が、いちいち個々の夢の内容を把握しているわけがない。大量に集まる夢の中から、ひとつを見つけるなんて到底無理なのだ。夢そのものが、自分で返事をするのでなければ。
自分の夢ならともかく、捨てられた他人の夢が、人間に話しかけることなんてできない。
「私には誰も見えないよ、お兄さん」
「何もって、商店街も、歩いてる人も、窓の外のこの人も?」
「見えない。ここにあるのは、たくさんの白い箱と、ふわふわしたものだけだよ」
うろたえるチカイチを見て、ひなこの夢が首を振った。
「なんだか面倒な事になってるから、もう失礼するわね」
「ちょっと待って!」
とっさに手を伸ばし、チカイチは『中川ひなこの夢』の腕を掴んだ。あっ、とかりんが声をあげる。その視線が窓の外、掴んだ夢の方へと確かに向いていた。
「おかあ、さん」
「……見えてるの? お母さんじゃないわよ。私はただの夢だもの」
「おかあさん、本当は私なんか生みたくなかった?」
「それを私に聞く? 結婚しても子どもは作らず、キャリアを目指した夢の私に」
かりんが大きく目を見開いた。目からぽろぽろと涙がおぼれ落ちる。
「やっぱり、私なんかいらなかった?」
「『私には』いらなかったわ」
「そうなんだ。……お母さんは、私が、いないほうがよかったんだ」
ひなこの夢が、泣きじゃくるかりんに向かって手を伸ばした。
触るか触らないかの距離で掌が止まる。直接触れることがない位置で、頭を撫でるように手が動く。
「何を言ってるの。中川ひなこは、あなたと私を天秤にかけて、私という夢を捨てたのよ。あなたの方が大事だったからでしょう」
「お母さんが」
「私は捨てられたけど、きっと新しい夢が出来たはずよ。あなたと楽しく生きていくっていう夢が。だから、もうこんなところに来ちゃダメよ」
「……うん、分かった」
中川ひなこの夢が、言いにくそうにチカイチに告げた。
「ところで君、……どうしてそんな事になってるの?」
「どうして、って」
「ここにある夢はね、もう外に出ちゃいけないの。夢の持ち主が先に進むために、捨てられたんだから」
そう言い残すと、中川ひなこの夢は、遠ざかっていった。
その後ろ姿が見えなくなるまで、チカイチは目を離せなかった。
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