第6話
生い茂る木々が、不意に開けた。
坂の頂上のほんのわずかの場所、開けたその先にあるのは、ただ彼方まで続く夜空だった。
「星が、近いな」
感嘆したように、友樹が呟く。
地上に明かりがない山奥だから、頭上に広がる空はただ遠くまで濃く暗い。
怖いくらいの静けさの中、みっしりと敷き詰められた群青の天幕に、数え切れないほどの星がちりばめられている。人が星を見ているというより、人が星に見られているような、そんな怖さを覚えるほどの果てしない星空。
「最後の星祭りだし、せっかくだから星を見たいなと思って、いい場所探したんだ。すごいでしょ」
「うん、すごい」
唖然と夜空を見上げる友樹。その横顔にまゆ子は見とれる。
だらりと垂れ下がった友樹の手に、まゆ子はそっと指を伸ばす。
勇気を出すために爪を染めたのだ。友樹の手に触れるまで、もう少し、もう、少し。
「……見せてやりたいな」
もう少しで触れるその時、友樹の手が、逃げた。
いや、友樹がポケットからスマホを取り出したのだ。夜空に向かってスマホを向けると、友樹が無心にシャッターを切る。
静けさをかき消すように、乾いたシャッター音が響いた。
「新島のおじさんに?」
「親父にも、だけど」
言いよどむように、友樹が言葉を区切った。
「俺、冬に結婚するんだよ」
「え」
伸ばした手が凍る。真っ白になった頭から、次に告げる言葉を探してまゆ子は息を詰める。
「仕事が転勤になるから、その前に式をあげて一緒に行こうって、そう話してる」
触れかけた手を後ろに回し、この日のために染めた爪を握りこむ。ぎゅっと隠した赤色が、掌に食い込んで、すごく痛い。父は知っていたのだろうか。だからふたりだけで出かける機会をくれたんだろうか。
「もしかして、あのスイーツ選んだのも」
「うん、その人。まゆ子が好きそうなの探してもらった」
「どんな人? 大学の同級生?」
「いや、会社で会った人。二つ年上で、そうだな、……まゆ子に似てる」
自分に似ている。
なんてひどい言葉だ!
似ても似つかない、全然違う人ならよかった。それなら自分みたいなのがタイプじゃないんだって納得できるじゃないか。似た者ふたりで、自分は選ばれなかったって、残酷にもそう告げられたのだ。
吐き出したい思いを真っ赤な爪で握りつぶして、まゆ子は笑顔をつくる。
「そっか、そっかあ。おめでと友兄ぃ! 友兄ぃの選んだ人なら間違いないよ。星の写真だって、きっと喜んでくれるよ!」
「うん、そうだな。こんなの、街中じゃ見れないもんな」
星空を見上げる友樹。大きく見開いた輝くような目が、星よりも遠くに見えた。
空に向かって、友樹がシャッターを切り続けている。こちらに視線が向いていないことに、まゆ子は心底ほっとした。今この瞬間の泣きそうな顔を、友樹に見せるわけにはいかなかった。
友樹が立てるシャッター音を聞きながら、まゆ子はぎゅっと爪を握る。
「だって星祭りだもん。満天の星じゃなきゃ」
「そっか、そうだな」
「お星さまにお願いしようよ。友兄ぃと彼女さんが、幸せに、なりますように! って」
嘘ばっかり。
嘘ばっかりだ。くっついてなんか欲しくない。幸せになんてなって欲しくない。今撮ったその写真だって、好きな人に見せるんだと思ったら、真っ黒に塗りつぶしてしまいたい。
そんな心の奥の暗闇は、とびっきりの星のような笑顔で隠す。
だって最後のお祭りなのだ。もう二度とない夜なのだ。友兄ぃには、楽しかった思い出だけ覚えていて欲しい。
瞼に涙が溜まっているのが分かる。見上げる星がプリズムのように滴に反射して、星屑の数が幾重にも重なって輝いて見える。ああなんていう瞬きだろう。私にしか見えないきらめきは、この胸にしまっておこう。私だけの星空、私だけの星祭り。
見上げた夜空から、星が落ちてきそうだった。
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