第2話

さて、夏休みまであと三日。星祭りまであと十日。

 まゆ子が教室のドアを開けると、松下亜香里がこちらに向かって手を振った。

「おはよーまゆ、これ届いたよ」

 手にしているのは小さな紙包み。ぱっと顔を輝かせ、まゆ子は亜香里に駆け寄った。

「ありがとー! やっぱ持つべきものは町住まいの友!」

 大げさに両手を広げ、まゆ子は可愛らしいパッケージを抱きしめる。くるりと回ってスキップしそうな勢いに、亜香里が身をよじって笑う。

「田舎っていったって、車で一時間くらいっしょ、まゆんちまで」

「その一時間が大問題! お父さんに送ってもらわないと学校にも来れない田舎よ? 山奥のド僻地だと、宅配便割り増しになるって知ってる?」

 うきうき踊るような口調で矢継ぎ早に文句を言いながら、まゆ子は包みを開ける。亜香里がその様をのぞき込んだ。

「通販したの、何?」

「これ! うん、いいカラー! 勇気の赤!」

 摘まみだしたのは、鮮やかな色のマニキュアだった。探しに探したとっておきの赤だ、緋よりも朱に近い色合いで、キャップに花があしらわれた小瓶もこの上なく可愛らしい。この日のために選んだ甲斐があった。

「どこにつけてくのよ、そんな赤」

「どこって、星祭りに決まってるじゃん。お約束だもんね」

 爪をきれいに染めるのは、星祭りの風習だった。中国のどこかの地域に似たような習わしがあると、中学の先生が話してくれたことがある。

「本当は植物で染めるんだって。でもせっかくだし、キレイな色のほうがいいよね」

 友樹が来てくれるのだ。少しくらい可愛くしたっていいじゃないか。

 鳴り響く始業のベル。まゆ子は慌てて席に着くと、マニキュアを鞄へとしまい、気もそぞろなまま教科書とノートを引っ張り出す。

 すぐに先生が教室へ入って来た。

「起立、礼、着席」

「皆さんおはようございます。では、今日は六十七ページから」

 先生が黒板に向かい、チョークを手に取った。長い髪をまとめたこの非常勤の若い先生は、男子たちにひそかな人気だ。とにかく声がいいのだ。落ち着いていてはんなりと品良く響く美声。教科書を読む声にも聞きほれるから、授業の私語が減って成績が上がるという素晴らしい効果もついてきている。

女性の手の柔らかな文字が黒板に踊る。

『くれなゐのはつ花染めの色ふかく思ひしこころ我忘れめや』

「古今集の和歌ですね。では三谷さん、この歌を訳してください」

「え、私!」

 がたがたと気ぜわしく立ち上がり、黒板を見すえる。

「ええと、紅の、花で染めた濃い色みたいに、思っている恋心を、忘れるだろうか、いや私は忘れない」

 紅の恋心。なんだか見透かされたような気がして、まゆ子はどきまぎする。

 そのどきどきを心に抱えたまま、時は過ぎた。落ち着かない気分で夏休みを迎えると、マニキュアを眺めて物思いにふけっているうちに、さらに一週間が過ぎる。

 

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