BETA -原罪編-

たなかし

第1話<0稿>

 ――2095年、インド湾近海軌道エレベーターターミナル『スカーヴァティー』上空1万メートル地点。

 新幹線のような形状をしたリニアクライマーが筒状のケーブルの中を疾走する。

 反対路線で上昇していくクライマーとすれ違う。

 リニアの名を冠している通りこの昇降機は上昇と下降の際に生じる電磁力を用いることで半永久的に動力を獲得していた。

 そのためかつて大国がその英知の限りを掻き集めてようやく到達することの出来た宇宙旅行は、いまや富裕層が寝台列車で旅行するくらいの感覚に変化していた。

 

 ――同、クライマー客室内。

 欧州の最高級ホテルを思わせる客室車両は伝統的ヨーロッパ家具と装飾で彩られており、優雅なひと時を愉しむ乗客の身なりも同様にその身分を表す装いをしている。

 彼らは旅行を愉しむというよりはむしろこのクライマーに乗車する権利がある自分たちの地位、ステータスに酔いしれていた。

 そんな彼らの愉悦のひと時を、とりわけ大きないびきがぶち壊しにする。

 顔をしかめた乗客が乗務員に目配せする。

 目が合ってしまった乗務員は申し訳なさそうにすれ違う乗客たちに頭を下げながら爆睡し続ける乗客のもとへ向かった。

 その乗客はほかの乗客とは違いくたびれたアイマスクをかけ、ところどころ擦り切れた服に身を包んだ若い女性のバックパッカーであった。

 乗務員もこの仕事に就いてから長いこと目にする機会の減った人種を目の当たりにし、顔を引き攣らせた。

「お客様、そろそろインド上空に差し掛かりました。あと30分後には着陸態勢に入りますのでお目覚めください」

 乗務員が女性の気分を害さないよう当たり障りのない理由を述べながら彼女の肩を揺すって覚醒を促す。

「ふがっ? っく、んぁ~~……!」

 女性は目を覚まし、猫のように全身の筋肉を捻って伸ばすと大きなあくびを吐いた。

「なに、もう着いちゃうの? あー、寝た気しないなぁ~~」

 アイマスクを外し、眠い目を擦る。かき上げた銀髪のロングヘアが光を反射しながらさらりと落ち、碧眼の瞳が乗務員を見つめた。

 乗務員は彼女の顔を確認すると、彼女の正体を知り驚愕する。

「起こしてくれてありがとうございます。わぁ、ナイスタイミング」

 彼女の正体を知った乗務員は一瞬にして顔を青ざめるが、彼女は慣れた様子で慌てふためく乗務員を意に介さず窓の外を覗いた。

 クライマーは雲を抜け、窓の外にはターコイズブルーのアラビア海とインド半島が広がっていた。

 窓にべったりと張り付き、子供のように目を輝かせて外の景色を目に焼き付ける女性。

 乗務員は彼女の身体からうっすらと光を放つ碧い紋様を見ると血相を変えてその場に跪いた。

「せ、聖女様、大変失礼いたしました」

 乗務員は顔が地面につきそうなほど深く頭を垂れる。乗務員の声に気が付き、女性は彼女のほうを振り向いた。

「世界巡礼の旅、さぞや激務と伺っております。お顔が拝せなかったとはいえ身なりで人を判断し、蔑みの目を向けてしまいました。どうかお許しくださいませ」

 乗務員の渾身の謝罪を聞いたほかの乗客たちがざわつき始める。

 それに気づいた女性は慌てて乗務員の肩に手を乗せ弁明した。

「いいのいいの、気にしないで! ボロ着てクライマーに乗ったのは私の責任なんだし、謝る必要ないよ。あとその呼び方あんまり好きじゃないから禁止」

 席の上部に設置されたアナウンスランプがポンという音と共に点灯する。クライマーがシートベルトを着けないといけない高度まで下がったのである。

「ほら、機内アナウンスしないと。お仕事お仕事」

 女性はこれを聞き幸いと乗務員を立たせ仕事に復帰するよう促す。

「ご配慮に感謝いたします。聖女様……あっ」

 目に涙まで浮かべていた乗務員は女性に促され立ち上がり感謝を述べた。

 しかしつい先ほど”聖女”と呼ばれるのは気に入らないと聞いておきながらそう呼んでしまい、添乗員はハッとする。

 添乗員は躊躇いながら感謝の言葉を訂正した。

「ありがとうございます。いのり様」

 安達いのり。世界中を旅し、いつしか聖女と呼ばれるようになった彼女はにっこりとほほ笑んだ。


 ――インド。ムンバイ近海『スカーヴァティー』ターミナルステーション。

 5.72平方キロメートルに広がる円形の群島。

 その中心部に天へと届く巨大な塔がそびえ立っている。

 ドバイの人工島『パーム・アイランド』を真似て造られたこの島は、インドの国木であるベンガルボダイジュの葉脈のように形成されている。

 陸地から塔までを真っ直ぐ繋ぐ一番太く長い島はメインストリートと称され、インド中の企業が煌びやかな店を並べ世界中のセレブたちを出迎えていた。

 メインストリートを走る車たちはその街並み、行き交う人々同様に煌びやかなセレブカーばかりであった。しかしその中に全てのガラスをフルスモークでコーティングしたマフィアかギャングでも乗っているかのような異彩な雰囲気を放つ漆黒のベンツがターミナルステーションへ向け走っていく。

 その運転席で不機嫌そうにハンドルを握っている桐谷ミン。かつてミン・シユウと呼ばれた銀髪の女性は本日二箱目の煙草の封を切っていた。

「おい、事故はやめてくれよ?」

 助手席に座っている同様に銀髪の男性、桐谷純人が書類に目を通しながら相棒を窘める。

 二人は先のいのりと同様に銀色の髪に若々しい肉体、そして体中にうっすらと走る碧い紋様と青い瞳をしていた。

 一見して二十代に見えるが実年齢は七十歳近いベテランの国連捜査官である。

「……なぁシュミット。アタシはいまひとつ納得がいかないんだけどよ?」

 赤信号で停車したミンは煙を吐きながら桐谷に愚痴をこぼす。シュミットとはいつしかミンが呼び始めた桐谷の愛称である。

「なんでいまさら僕たちが呼ばれるんだってのは18時間前から散々聞かされたからそれ以外だったら構わないよ」

 愚痴の内容を予想していた桐谷は先手を打ってシャットアウトする。

「いいやまだまだ言い足りないね。あのバカ女は人の苦労を軽く見てやがる」

 18時間前。いのりは突如その時のSPたちをその場で解雇して遥々日本から桐谷たちを連れてくるように要請したのだ。

 さすがに急には無理だと担当官は断った。しかしいのりの強硬姿勢に担当官がついには折れ、銀婚式で休暇中だった桐谷たちは半ば拉致同然に飛行機に押し込まれ、現在に至っているわけである。

「苦労で言ったら彼女には敵わないよ」

「買って出た苦労じゃねぇか。巻き込まないでほしいね」

 ミンは視線を感じて振り向く。建物と建物の隙間でこちらを見ている貧民街の少女であった。

「そう言うなよ。彼女の旅ももう終盤なんだ。ナーバスになってるんじゃないか? 青だぞ?」

 桐谷はそう言いながら信号を指差す。気を取られたミンは後続車にクラクションを鳴らされながら急いでギアを入れてアクセルを踏む。終わりしな仕返しとばかりに窓から指を出し中指を立てた。

「ケッ、いい歳こいてまだお嬢さん気分が抜けてねぇのかよ」

 ギアを4速に入れるとドアに頬杖をついてミンはぼやく。

「……第一アタシらもうロートルなんだ。しゃしゃり出て一体何が出来んのさ?」

 ミンは先ほどの少女の姿を思い出していた。

 桐谷の補佐として日本に居着いてからずいぶん時間が経った。

 物乞いから運良く人殺しの手伝いで生計を立て、そしてそんな身の上でありながら人並みの幸せも授けてもらった。

 聞く人が聞けばシンデレラストーリーにも思える身の上だと思った。

 そのためかミンは少女の姿に目が離せなかった。

 違う、いまのいままで視界に入らなかった。

 だから目が離せなかったのだ。

 奪ってきたものはいずれ奪われる。

 ミンはその時がいまなのかもしれないと不安であったのだ。

 ミンはハンドルを握る手に心なしか力が籠るのを感じた。

「……大丈夫さ」

 桐谷はミンの心中を察し、その不安を取り除くように彼女の肩を撫でる。

「”あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である”だよ」

 桐谷は聖書の一節を語り彼女を励ますとドアウィンドウを開け、空を見上げた。

 軌道エレベーターのチューブを降りるリニアクライマーが太陽光を浴びてキラリと光った。

 

 ――夜、ターミナルステーション内スイートホテル式典会場。

 植民地時代よりイギリス文化の影響を受けたためか、会場はイギリス調の装飾品で彩られており国中の有名政治家、一流企業の重役、報道関係者が一人の人物の登場を待ち望んでいた。

「ついに我が国にも”聖女様”がいらっしゃった」

「”聖女様”に取り入ることができれば我が社の経営は安泰……」

「それどころか”生命の書”に入ることも夢ではない……」

 彼らは口々に各々の欲望に口角を歪め、いかに自分たちが限られた特等席を独占できるか水面下での権謀術数を巡らせていた。

 要人たちの密談を後目に深紅のマンダリンドレスに身を包んだミンがウェイターからドライマティーニを受け取った時、彼女のこめかみがうっすらと光った。

『おい、持ち場から離れるなよ。なにかあったのか?』

 ミンがこめかみに左人差し指を当てて応答すると頭の中に桐谷の声が響いた。

『知ったことか』

 ミンは中指を立てて通信を切るとマティーニを一息に飲み干す。

 会場に到着した桐谷たちはいのりと再会することは出来なかった。

 すぐに警備関係者用スペースに通され簡単な説明を受けるとパーティー用の衣装に着替えさせられ、潜伏要員としてパーティー会場に放り込まれたのだ。

 殿上人気取りかと気に入らないミンであった。

 再び桐谷から通信が入る。

 ミンは無視していたがしつこく着信が続いたためイラつきながら応答する。

『はいはい異常無しだよ、クソ真面目が』

『言い忘れてた。ドレス、似合ってるぞ』

 シレッと放った桐谷の不意打ちに面食らったミンは顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。

 

「皆様、今宵はお集まりいただき誠にありがとうございます!」

 司会のアナウンスと共に照明が落とされ、一瞬会場が暗闇に包まれる。

「お待たせいたしました! ”聖女”、安達いのり様の入場です!」

 会場奥の階段上、主賓室の扉にスポットライトが集まる。

 扉が重い音を立ててゆっくりと開かれると純白のドレスに身を包んだいのりが姿を現した。

「おお……あれが……」

「なんと美しい……」

「まさに聖女」

 スポットライトを受け、虹色に反射する銀髪。

 白磁のように白い肌。

 そして純白のドレスとキラリと輝くサファイアのように青い瞳。

 この世のものとは思えない美しさに来賓の面々は息を漏らした。

「皆様、今宵お越しいただきました聖女様に盛大な歓迎の拍手をお願いいたします!」

 階段を降り、その先に続くスピーチ用の檀上に進むいのり。

 司会の声に倣いその姿を追うように割れんばかりの拍手が会場に響き渡る。

 いのりは壇上にたつと深々と一礼する。

「歓迎いただきありがとうございます。皆様のご支援の甲斐もあり、アフリカ大陸から始めましたこの活動もようやく終盤にさしかかりました。これからは東南アジアを中心に活動を進めていきたいと考えております。願わくばもう少しの間、皆様の篤いご支援を賜れればと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます」

 いのりの挨拶が終わり、再び拍手が鳴り響く。

 入れ違いにこの式典の責任者が壇上に立ち、スピーチを始めた。

 来賓席へ案内されるいのりの後ろ姿を追いながら、ミンと桐谷の脳裏にいのりとの数十年分の思い出が甦る。

 桐谷は赤羽のことを思い出し、目頭が熱くなった。

 いのりは今日この姿を自分たちに見せたくて呼んだのかもしれない。

「それではウェルカムバンドによる演奏をしばしご歓談ください」

 自分たちが抱いていた不安は杞憂なのかもしれない。

 関係者のスピーチが一通り終わりバンドの演奏が始まる中、桐谷はいのりが自分たちを呼んだ理由をそのように解釈するのだった。


――アラビア海。スカーヴァティー近海200メートル地点。

 ターミナルステーションが七色のライトに照らされ、見るものに地上の楽園を思わせる様相を呈している光景を見る漁船が数隻あった。

 漁船はライトを消し、月明かりだけで船員たちが各々作業を進めている。

 しかし船員たちが手にしているものは投網でも釣り竿でもなく9M133コルネット。かつてユーラシア大陸の北部に君臨し、デフォルトによって人統国に土地と国民ごと買収されたロシア連邦が開発した携行型対戦車ミサイルであった。

「……配置は良いか?」

 船首でターミナルステーションを見据えている指揮官らしき男が通信兵に確認する。

 通信兵はほかの漁船へ無線を飛ばす。

「……アンナ、ヴォリス、ヴァシリ、グリゴリー配置完了」

 通信兵がロシア式フォネティックコードで識別された各部隊の報告を受け復唱する。

「そうか……では始めよう」

 指揮官はバラクラバの口元を上げ、アサルトライフルを掲げる。

「魔女狩りの時間だ」

 指揮官の合図とともに漁船群から一斉に対戦車ミサイルが発射された。

 

 ――ターミナルステーション。式典会場入り口前。

 無数に飛来した対戦車ミサイルが会場施設の屋根に命中し爆発する。

「な、なんだ!?」

 悲鳴と瓦礫が降り注ぐ中、入り口前のセキュリティを担当していた警備員が応援を呼ぶべく詰め所に駆け寄る。

 その門から目を離した刹那、戦闘服に身を包んだ集団が突入し詰め所を襲撃する。

 警備員は叫ぶ暇も無く絶命し、テロリストたちが雪崩のように建物へと侵攻していった。

 従業員や来賓客がテロリストたちの姿を見て悲鳴を上げるが、彼らは構うことなく引き金を引く。

「神を軽んじる背信者め……」

 そう吐き捨てたテロリストの一人は、手りゅう弾のピンを抜いて階段の踊り場に投げた。


 ――同、式典会場内。

 爆発音と振動が響き、人々がパニックに陥っている。

 警備員たちが総動員でメインの出入り口に椅子や机でバリケードを形成していた。

「ミン!」

 来賓客を裏口に避難誘導していた桐谷がミンにいのりを連れてくるよう呼びかける。

「クソッ! だから嫌だったんだ!」

 不安が的中し吐き捨てながら駆け出すミン。

 いのりは壇上にあがってミンを探しているようで二人はすぐ合流した。

「久しぶりだなバカチチ女!」

 ミンは恨み節代わりにいのりの胸をビンタする。

「っ痛ぁ~~……。ミンさん!」

 ドレス脇から乳房をビンタされ悶絶するいのり。

 そして痛みが治る間もなくミンの顔を見て安堵の表情を浮かべた。

「いろいろクレームつけてやりてぇがそいつは後だ! とっととずらかるぞ!」

 ミンは内腿に仕込んでいたハンドガンを取り出しながらいのりを立ち上がらせようと彼女の手を引く。

 しかしいのりは抵抗した。

「ダメ! ここで迎え撃って!」

 いのりはミンの手を両手で掴み懇願する。

「はぁ!? 寝言は寝て言えバカガキ!」

 ミンは建物の外からくる衝撃と建物の中からくる衝撃でテロリストの大体の戦力は察していた。

 自分一人では逆立ちしても撃退出来るものではなかった。

 いのりの言葉を聞いて激昂するミン。

「もう逃げられない! だから呼んだの!」

 しかしいのりは食い下がり、紋様を光らせこれまでの記憶をミンと共有する。

「……てめぇ、狙われてるの知ってやがったな?」

 いのりの記憶が流れ込み、ミンは全てを察した。

「ここで立ち向かわないとこの人たちはずっとつきまとう! 私の周りの人たちを傷つけ続ける!」

 いのりは立ち上がり、ドレスの下に隠していた伸縮式の細身の直剣を取り出し展開する。

「ふっざけんな! てめぇと心中なんざごめんだ!」

 いのりの手を払い、抗議するミン。

 ドレスの裾を破き動きに支障がないか確認するいのり。

「私もミンさんも死なない! あの人のところに帰るだけだもの!」

 いのりは突きに特化したスペイン剣術のような斜構えで破られる寸前のバリケードを見据える。

 その剣先は躊躇いと恐怖で震えていた。

「お前……」

 彼女の表情にミンはその胸中を察した。

「お願い!」

 バタリングラム、現代戦用携行破城槌によるバリケード破壊の音が強くなっていく。

 突破されるまで数分もかからないだろう。

 ミンはいのりの願いを聞き入れるか、いのりを気絶させてでも脱出させるか迷った。

「……クソッ! クソッ! クソッ!」

 脳裏に出発前の光景がよぎる。

 息子夫婦と孫たちに囲まれた銀婚式の伊豆旅行。

 刺身も酒も美味しかったし海が見える露天風呂は格別だった。

 息子嫁は気は優しいが気立ても良いし、少し前まで歩くのも覚束なかった孫はもう卓球ができるようになっていた。

 あの生活を失うのが怖い。

 私はまだ歩のところに行きたくない。

 ミンは失う恐怖に怯えた。

「いのりちゃん! ミン! どうした!? 早くこっちに!」

 桐谷の声がミンの耳に届く。

『”あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である”だよ』

 道中に桐谷が聖書から引用した一節を思い出すミン。

 ミンはゆっくりと深呼吸しながらハンドガンをしまうと桐谷に告げる。

「……悪ぃなシュミット。アタシとお嬢はタンゴの時間だ」

 ミンの紋様がまばゆく光り、碧い電流を全身にまとった。

「ありがとう!」

 ミンの決心に涙を浮かべるいのり。

「政府軍が到着するまでだから、な!」

 ポケットから取り出したコインを弾丸に、バリケードに向け手から電磁砲を発射するミン。

「うわぁ!?」

 バリケードは轟音と共に消し飛び、爆炎と共にテロリストたちの叫び声があがった。

「いたぞ、魔女だ!」

 噴煙の中から現れたテロリストが、いのりの姿を見て叫ぶ。

「ひるむな! 撃て!」

 指揮官が檄を飛ばし、電磁砲発射のわずかな隙間を縫ってライフルで反撃する。

「防御は任せて!」

 いのりは両手を突き出し、電磁障壁を展開する。

 電荷を帯びた弾丸が斥力により弾かれる。

「まともにやりあうな! 奴らは水に弱い! チャフグレネードを散布した隙にスプリンクラーを作動させろ!」

 テロリストの指揮官が指示を出す。

 数名の隊員がフラッシュバンを投げる。

 いのりたちが閃光と音に一瞬防御した瞬間、テロリストはスモークグレネードを頭上高く投げた。

 反射的にミンが撃ち落とす。スモークと共にキラキラと光る金属薄片が宙を舞った。対理士用に開発されたこのグレネードはアルミ薄片を混ぜており、電波障害を引き起こすのだ。

「チッ!」

 二人が電磁力を上手く練れなくなったタイミングで今度は火災報知器を撃ち抜き、スプリンクラーを作動させる。

 これによりミンといのりの電磁力は完全に封じられた。

 テロリストたちが再び会場に侵入を試みる。

 タイミングを合わせハンドガンを撃ちながら駆け出すミン。

 陣形が整い切る前に彼らの出鼻を挫いたミンは倒したテロリストのライフルを奪い、次々と倒していく。

「魔女の手先め!」

 ミンのスピードが死に、テロリストたちが狙いをつけやすくなったタイミングを読んでいたミンはひらりひらりと宙を跳び今度は距離を作る。

 テロリストのショットガン部隊が前に出て、一斉に発砲する。

「ミンさん!」

 仕切りなおしたミンをカバーするため入れ違いでいのりが前に出る。

 本来不死身であるはずの理士を殺すにはいくつか方法がある。確実な方法は脳の中心、松果体にあるコアを破壊することだ。

 そのためテロリストたちは通常の部隊とは別に、対理士用にショットガン部隊を用意していたのだ。

 弾頭は破壊力を重視したスラグ弾。本来はクマやイノシシを狩猟する際に使用する大型弾頭である。

 いのりの頭部はザクロのように破裂し、コアは破壊される。

 はずであった。

 いのりが無数に放たれた弾頭その全てを見切って切り落とさなければ。

「嘘、だろ……」

 テロリストたちは驚愕する。

「あっぶなー。大丈夫、ミンさん?」

 いのりは安堵の息を漏らすとミンの無事を確認する。

「すまねぇ、腹に一発もらっちまった……」

 切り落とした内の一発が床で跳ね返り、ミンの脇腹を貫いた。

 ドングリほどの大きさの銃創から蒸気があがり、ミンの身体を巡るBETA細胞が傷口を修復している。

「わかった。少し休んでて」

 向き直り、テロリストたちを見据えるいのり。

 テロリストの指揮官はここまで理士への対策を練っておきながら一般兵では太刀打ちできない事実を痛感し狼狽えていた。

「お前たちではダメだ。どけ……」

 屈強な大男がそう言って指揮官を押しのけ、いのりの前に立ちはだかる。

 彼の姿を見て、いのりは驚愕する。

「我々から約束の地を奪った魔女め……」

 彼はジャケットを脱ぎ捨てる。上半身には紋様が浮かんでいた。

 背丈こそ違えど十年前、いのりが救った少年であった。

「コイツら理士までいんのかよ……」

 加勢しようとするミン。

 しかし無理に立ち上がろうとしたため修復中の傷口が開き、その場に崩れ落ちてしまう。

「いまこそ裁きを受けてもらうぞ」

 大男は大型のコンバットナイフを抜いて構える。

 いのりは悲痛な表情を浮かべ、カタカタと剣先を震わせた。

 大男が全身の紋様を発光させるといのりは覚悟を決め、剣を握りしめた。

「……ああッ!」

 怒号とも悲鳴とも似つかない咆哮を上げ、いのりの姿が人々の視界から消える。

 剣を振りかぶったいのりの姿が大男の背中上空に現れる。

 振り下ろした瞬間、大男の姿も消え、それを追うようにいのりの姿が再び消えた。

 物体が高速で動く風圧と剣戟がぶつかる音と火花だけが会場に広がる。

 「は、速すぎて目が追いつかない……」

 人体は物体の速度が秒速63メートルを超えると視力で捉えられなくなる。

 二人は全身に走る紋様から電流を流し、筋力、神経を強化し人体では補足できないほどの速さで戦闘を繰り広げているのだ。

 時間にして30秒にも満たない間ではあった。

 指揮官がこの光景に戦慄していると堰を切ったように突如肩で息をした二人の姿が現れた。

 いのりは息を整えながら血振るいをして刀身に着いた血を払う。

 眉間から松果体にあるコア、理士の力の源を貫かれた大男が崩れ落ちた。

 指揮官は己の誤算にこの時ようやく気付く。

 いかに不死身の理士といえど所詮は平和ボケした日本人の女と高を括っていたからだ。

 護衛がいるだろうが投入できる戦力も予想はつく。ならばそれを上回ればあとはろくに戦えもしない非戦闘員を殺せばいいだけだと考えていた。

 彼女は、安達いのりは40年旅を続けていた。

 アフリカ大陸を横断し、南米に渡り、アメリカ大陸を経由して欧州経由で再びユーラシア大陸に戻り、中東を踏破した。

 その中に紛争地帯がどれだけあったであろうか。

 血と暴力で支配された途上国はどれほど危険であったであろうか。

 それらを彼女は踏破してきたのだ。

 世界から暴力を無くすために。

 世界から病を無くすために。

 世界から老いを無くすために。

 世界から死を無くすために。

 その身体に流れるBETAを人々に分け与えるために。

 その理想を掲げ続けて。

 聖女は孫悟空を連れた三蔵法師でもなく、助さん格さんに守られた水戸黄門でもなかった。

 自分の使命を貫き通すためだけの力を有した、ジャンヌ・ダルクであったのだ。

『こちら防衛部隊! 正門に政府軍が到着! 抗戦は極めて困難! 徹底命令を!』

 徹底路を確保させていた部隊から通信が入る。

 これ以上の継戦は困難であった。

「はぁ、はぁ……」

 しかしその時、いのりは膝をついて全身から玉のような汗を浮かべる。

 加速度に耐えられなかった眼球は毛細血管が破裂し、BETA細胞が直ちに修復を行なっているが流血を続けていた。

 指揮官はこれを見逃さなかった。

「一般兵は下がれ! 連れてきた理士兵を全員出せ!」

 指揮官はここが勝敗を分ける分水嶺と判断した。

 五人の理士兵がいのりたちの前に現れる。

「魔女はもう限界だ! 全員でかかれば殺せる!」

 理士の力は無尽蔵ではない。

 個の能力では圧倒されたが数の優位は以前こちらにある。

 勝機はあると踏んだ指揮官は理士兵たちに檄を飛ばした。

「……流石にこの人数は捌けないかな」

 立ち上がるもプレッシャーに圧され、じりじりと後退するいのり。

「……どうすんだお嬢?」

 傷口が塞がったミンが立ち上がり、いのりと肩を並べる。

「あと何人いけるんだ?」

 ミンはテロリストの死体からはぎ取ったナイフを構え、いのりに耳打ちする。

「ごめん……あと一人が限界」

 いのりは力が無くなりかけていることを悟られないよう、紋様の光を一定に保とうとする。

 しかしそのたびに視界はぼやけ、いまにも気を失いそうであった。

「ケッ、若いんだからもっと気合入れな」

 言葉に反して限界が近いいのりを察してミンは軽口を叩きながらも前に乗り出す。

 緊迫した空気が張り詰めていき、会場を呼吸音だけが支配した。

 

「悪いんだけどさぁ!」

 

 しかし一触即発の空気を割く声が空から響いた。

 虚を突かれたみなが声のした方を向く。

 と同時に人間サイズの物体が高速で落下し、金属がぶつかる様な音を立てて着地した。

 それは全身を装甲板で覆われたパワードスーツを着た男であった。

「これからこの子とデートの約束なんだよね」

 フルフェイス型であったため顔が見えないがくねくねとした身体の動きや声のトーンの軽さから男の飄々とした軽薄さが感じ取れた。

「な、なんだコイ、ぐわっ!?」

 テロリストの一人がそう言い終わる前に男の手のひらから発射された超高圧縮空気弾を受け、吹き飛ばされる。

 その衝撃は大理石製の壁にめり込ませるほどであり、そのテロリストは一瞬で気を失った。

 男はゆっくりと立ち上がる。

 黄丹色、平安時代では皇太子の装束に使用された高貴なオレンジ色で彩られたボディはメタリック塗装が施され、神々しいと言うよりはどこかギラついた光沢を放っていた。

 そしてそのボディを電流のように走るラメの入ったゴールドの装飾は天を昇る龍のように思わせた。

「……神龍?」

 男の軽薄さとは対照的なその佇まいにいのりは昔見たアニメで見た神秘性な龍を想起させた。

「それに女の子二人に大の男が寄ってたかってみっともないよ?」

 男はオーバー気味なジェスチャーを交えてテロリストたちを煽る。

「ぐぅ……やれっ!」

 あと一歩のところで奇妙奇天烈な相手に盤面をひっくり返されては敵わないと指揮官は号令を放つ。

 理士兵たちは高速移動し、視界から姿を消した。

 何かが超高速で移動する音だけが男の周りに駆け巡る。

「やれやれ……。ほっ!」

 男は大げさに呆れたふうなジェスチャーをすると掛け声とともに虚空に裏拳を放つ。

「ぐわっ!?」

 男の裏拳は見えるはずのない理士兵の一人の顔面を捉え、強化セラミックチタン複合材のガントレットが彼の顔面頭蓋骨を粉砕した。

 裏拳を食らった理士兵は二回転半宙を回転したあと、地面に突っ伏した。

 只者でないとわかったほかの理士兵たちは高速移動を停止し、じりじりと警戒する。

「レディを誘うときはもっとスマートにしないと。たとえば」

 場の主導権を握った男はまるで歌劇役者のような仕草をしながらいのりの元へ歩いていく。

「……えっ? きゃあっ!?」

 呆気に取られていたいのりは気付いたら男に抱きかかえられていた。

「こんな風にね!」

 そして男のパワードスーツのあちこちからロケット噴射口が現れ火を噴く。

 男が目一杯ジャンプするとロケット推進の力も加わりそのまま天井をぶち抜いて去っていくのだった。

「いのり!」

「ミンさん!」

 状況がわからないまま引き離されたいのりとミンは互いの名を叫び合う。

「バッハハ~イ!」

 いのりを抱えたままインドの夜空を飛翔する男は流星のようにアラビア湾へと消えていくのだった。

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