第20話 森の主

トイレの個室で、ディオは便座に座り込んだまま天を仰いでいた。


(毎食命がけの食事とか、どこの戦場だよ…腹痛のフリも、そう何度も使える手じゃないぞ)


スープへの呪物混入事件は、ディオにパルルの抱える問題の根深さを改めて突きつけた。

彼女の危険な独占欲は、単純な嫉妬というよりも、再び全てを失うことへの恐怖と深い孤独感に起因している。

彼女の心を根本的に癒やさない限り、いつまた食卓が呪物の見本市になるか分からない。


現実世界に戻ったディオは、攻略サイトのパルルのページを読み込んでいた。

バッドエンド回避のヒントを探す彼の目に、あるキャラクター紹介の一文が留まった。


『パルルの行動原理は「ご主人様」への絶対的な依存。しかし、その根底には、失われた故郷への思慕と、誰にも脅かされない「安住の地」、そして自分が必要とされる「自己肯定感」への渇望がある』


「安住の地…自己肯定感…」


非常に曖昧な記述だったが、ディオにとっては光明だった。

彼女に必要なのは、自分という一個人に依存するのではなく、もっと大きな、揺るぎない「居場所」なのではないか。

そして、その居場所の中で、彼女自身が誰かの役に立つという実感を得ること。


(居場所…か。いっそのこと、パルル専用の居場所を作ってやればいいんじゃないか?)


ディオは、一つの壮大な計画を思いついた。

それは、彼女に新しい故郷そのものをプレゼントするという計画だった。






「パルル、少し散歩に行くぞ」

「……?」


異世界に戻ったディオは、パルルの手を引いて、ベルンハルト邸の裏手に広がる、広大な未開拓地へとやってきた。

そこは、かつて魔物の侵攻によって汚染され、草木もまばらな荒れ地が延々と続いている場所だった。


パルルは、なぜこんな場所に連れてこられたのか分からず、不安げにディオの服の裾を強く握りしめている。

ディオはそんな彼女に向かって、優しく微笑みかけた。


「俺が君に新しい故郷をあげよう」

「ふるさと……?」

「ああ。今日から、この森は君だけのものだ」


パルルがぽかんとしていると、ディオは静かに目を閉じ、両手を広げた。


彼の全身から、膨大な聖属性の魔力が金色の光となって溢れ出す。

彼は、神の領域に属するとされる創造魔法。

その中でも特に高度な術式であり、ディオも無詠唱では扱えない聖魔法フォレスト・クリエイションの詠唱を開始した。


「――万物の母なる大地よ、生命の源たる聖光よ、我が声に応えよ。古の契約に基づき、汝に命じる。ここに、永遠なる緑の楽園を創造せよ!」


ディオの詠唱と共に奇跡が起こった。


ゴゴゴゴゴ!


乾ききった大地が震え、その亀裂から、次々と巨大な樹々の芽が光を放ちながら力強く顔を出す。

それらは見る見るうちに天へと伸び、僅か数分で、樹齢数百年はあろうかという大木へと成長していく。


地面には柔らかな苔が一面に広がり、色とりどりの見たこともないような美しい花々が咲き乱れた。

岩盤が隆起して小さな滝が生まれ、そこから流れ出した水は清らかな小川となって森の中を縫うように流れていく。


汚染されていた大地は完全に浄化され、どこからともなく、小鳥やリス、ウサギといった小動物たちが集まり始め、森は生命の息吹に満ちあふれた。

荒れ地が、完璧な生態系を持つ理想的なエルフの森へと「創造」されるまで、わずか一夜もかからなかった。


パルルは、目の前で繰り広げられる神の御業のような光景をただ呆然と見つめていた。

失われた故郷の森よりも、遥かに美しく、清らかで、生命力に満ちた森。

それが、自分のために創られた。


彼女の瞳は驚きと感動で大きく見開かれ、その奥には、生まれて初めて見るものに対するキラキラとした輝きが宿っていた。






夜が明け、陽光が木々の間から差し込む頃には、そこには完全な森が完成していた。


「ふう…さすがにちょっと疲れたな」


ディオは、魔力の大半を消費して少しふらつきながらも、満足げな表情で、未だに夢から覚めないといった様子のパルルに向き直った。


「どうかな、気に入ってくれたかい?」


パルルはこくこくと何度も何度も頷いた。

言葉にならないほどの感動が、彼女の胸に満ちていた。

ディオはそんな彼女の肩に優しく手を置き、告げた。


「この森の主は、君だ、パルル」

「…わたしが、ぬし?」

「ああ。この森に住む動物たちを守り、樹々を育て、君が望むような、世界で一番美しい森にしていってほしい。それが、君にしかできない、君への俺からの『お願い』だ」


「ご主人様」からの初めての「お願い」。

そして、与えられた「森の主」という役割。


それは、パルルの心に、これまで感じたことのない温かい感情を芽生えさせた。

自分は、ただご主人様に守られるだけの存在じゃない。

この森を守り、育てるという大切な役目がある。

それは、彼女が心の底から求めていた自己肯定感だった。


パルルはディオを見上げ、ほんの少しだけ、本当に僅かだがその口元に笑みを浮かべた。

それは、ディオが彼女と出会ってから初めて見る笑顔だった。


(よし、これで『孤独ゲージ』は大幅に下がったはずだ……!)


彼は、自分の計画がひとまず正しい方向へと進んだことを確信し、安堵のため息をつく。

しかし、彼はまだ知らなかった。

この「森」という新たな絆が、パルルの独占欲をさらに駆り立てることになろうとは。

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