第19話 血液入りスープ

セリナの暴走を仕事へ、プリムの狂信を孤児院へと、それぞれ矛先を逸らすことに成功し、ディオはひとまず屋敷内の二大巨頭を鎮めることができたと安堵していた。


(よし、これで少しは平和になるはずだ……)


だが、彼のハーレム(という名の地雷原)には、まだ静かなる脅威が残っていた。

常に彼の影のように付き従い、感情を表に出さないが故に、その内心が最も読めないエルフの少女、パルルである。


現実世界。

もはやお馴染みとなった攻略サイトにアクセスし、彼は彼女のバッドエンドについて調査を開始した。

表示されたのは、「バッドエンド5:孤独な楽園エンド」。


その詳細を読み進めた彼の顔から、急速に血の気が引いていく。


『トリガー条件:ディオがパルル以外の誰かに対し、自分以上に優しくした、大切にしている、とパルルが判断した場合に上昇する『孤独ゲージ』が最大値に達することで強制発生。ゲージの上昇判定はパルルの主観によるため予測が極めて困難。イベント発生後、パルルはエルフ族に伝わる古代の呪術を用いて、ディオ以外の全ての人間(特に女性)の存在を認識できなくする結界をベルンハルト邸に展開。二人だけの、永遠に静かな世界で、ディオはパルルからの歪んだ愛を受け続けることになる』


参考CGには、誰もいないがらんとした食堂で、虚ろな目をしたディオが、にこにこと微笑むパルルに食事を食べさせてもらっているという、静謐ながらも狂気に満ちた光景が描かれていた。

掲示板は恐怖の書き込みで溢れていた。


『パルルちゃんと2人きりなら良いかなと思った俺はもう末期』

『ダメだ、パルルのゲージ上昇条件がマジでわからん。メイドと日常会話しただけでゲージ上がったぞ』

『二人きりの世界……ある意味究極のハーレムだよな(錯乱)』


ディオは、とにかくパルルの前では他の女性に優しくしないことを固く心に誓うのだった。






異世界、ディオの執務室。

彼は山積みの書類仕事に追われていたが、筆頭秘書官であるセリナの的確なサポートのおかげで作業は順調に進んでいた。


「よし、これで今日の分は終わりだ」

「お疲れ様でございます、ディオ様。相変わらず見事なご采配でしたわ」

「セリナ、いつも助かる。君がいなければ、この仕事はあと三日はかかっていたところだ」


彼は、セリナの機嫌を少しでも良く保とうと、椅子に座ったままのセリナの頭に手を伸ばし、その輝く金色の髪をわしゃわしゃと少し乱暴に、親しみを込めて撫でた。


「で、ディオ様!な、何をっ!」

「はは、頑張ったご褒美だ」

「わ、わたくしは、当然のことをしたまででございます…!」


セリナは予期せぬディオの行動に驚き、顔を真っ赤にしながらも満更でもない様子で俯いた。

執務室なら大丈夫…そう思っていた。


しかし、その光景を、部屋の隅、いつの間にかディオの椅子の影に隠れるようにして佇んでいた小さな瞳が見つめていた。

パルルだ。彼女はいつも通り、ディオの影としてそこに存在していたのだ。


ディオの手が大人であるセリナに向いた瞬間、パルルの世界では、セリナは「ご主人様の愛情を奪う、排除すべき害虫」に認定された。


パルルの小さな唇がかすかに動く。

誰も聞き取れないほど小さな声で、古代エルフ語の呪詛が紡がれる。

それに呼応するようにセリナの足元、豪華な絨毯の上から、ゆらりと黒い呪詛のもやが立ち上り始めた。


「…?なんだか、少し肌寒いですわね」


セリナ自身はその異変に全く気付いていないが、その靄は彼女の生命力を少しずつ、しかし確実に吸い取ろうとしていた。


ディオは、魔力に極めて敏感だった。

背後で発生した微かだが、極めて邪悪な魔力の揺らぎを彼は見逃さなかった。


(この感覚…呪いか!?)


振り返ると、セリナの足元に絡みつく黒い靄とその発生源であるパルルの感情の抜け落ちたエメラルド色の瞳が視界に飛び込んできた。

ディオの背筋を冷たい汗が伝う。これがあのバッドエンドのトリガーか!


彼は一瞬で状況を理解し、思考をフル回転させた。


「…セリナ、ご苦労だった。もう下がっていい」

「は、はい。では、失礼いたします」


セリナが部屋を出ていくのを見届けると、ディオはセリナの頭を撫でていた手を離し、すぐさま身をかがめ、隣に立つパルルの頭をセリナにしたよりもずっと優しく、慈しむように撫で始めた。


「ごめんな、パルル。少し待たせてしまったな」

「……」

「セリナは私の大切な仕事のパートナーだ。そして、パルル、君は私の可愛い、かけがえのない家族だ。分かるかい?どちらも、私にとっては比べようもないほど大切な存在なんだよ」


ディオの必死のフォローに、パルルはこてん、と首を傾げた。

立ち上っていた呪詛のもやは、ひとまず霧散したが、その表情は晴れないままだ。


「パートナー…かぞく…」


小さく呟き、彼女はその言葉の意味を測りかねているようだった。

ディオは、ひとまず危機を脱したことに安堵しつつも、彼女の心の闇の深さに改めて戦慄を覚えるのだった。






その日の夕食。


食卓には、いつものように豪華な料理が並べられていた。

しかし、ディオは内心、針のむしろに座っている気分だった。


メイドがメインディッシュである温かいスープをディオの前に置いた。

芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。


しかし、その香りに混じって、ディオはごく微かに、生臭い鉄のような匂いがすることに気づいた。

嫌な予感が彼の脳裏をよぎる。

彼は誰にも気づかれないように、鑑定魔法アプレイザルをスープに発動した。

すると、彼の脳内に信じがたい情報が流れ込んできた。


【濃厚コンソメスープ(呪物)】

効果:エルフ族に伝わる古代隷属呪術『銀の絆』が付与されているぞ!術者の血液を混入させることで発動し、飲んだ者の魂を術者に永遠に隷属させる。抵抗は不可能だ!

術者:パルル


(血液混入スープだーーーーーーッ!!)


ディオは、顔面蒼白になった。

足元にいるパルルが純真無垢な瞳でこちらをキラキラと見上げている。

その瞳が、今は悪魔の眼差しに見えた。


「ディオ様?顔色が優れませんがどうかいたしましたか?」

「い、いや、なんでもない…」


スープを飲むふりをして捨てるか?いや、それではバッドエンドになりかねない。

断れば、また別の手段で来るかもしれない。

追い詰められたディオは、最終手段に出た。


彼はスプーンを手に取った瞬間、


「うっ…!」


と呻き声を上げ、腹を押さえてその場に崩れ落ちた。


「ぐっ…!きゅ、急に腹が…!すまない、少し厠へ…!」


渾身の演技だった。

彼は激しい腹痛を装い、椅子から転げ落ちると、心配するセリナたちの声を背にトイレへと駆け込んだ。


「ディオ様!?」

「だ、大丈夫だ!すぐ戻る!」


トイレの個室に鍵をかけ、便座に座り込んだディオは、ぜえぜえと息を切らしながら天を仰いだ。


「まさか、毎食これになるかもしれないのか…?」

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