第22話「文化祭の準備をしよう」

 一年C組の文化祭の出し物。時は夏休み前に遡り、それはとあるホームルームを丸々使って決められた。何と言っても聖女こと四方山奏を要するC組で、なんとかしてその聖女様を活かした出し物ができないものかと論戦が白熱するのは自明。終いには殴り合いが始まりそうになったところで、聖女教会の会長こと藤原公麿が場を治めたのだ。何と威厳のあることか、これには明良も感服せざるを得なかった。

 ――こいつ、ちゃんと上に立ってるだけのことはあるんだな。

 そんなわけで決まった一年C組の出し物は「教会カフェ」。

「なんだよそれ」

 明良のもっともな疑問に答えたのは、当然藤原だった。

「渋谷の道玄坂には教会をモチーフとしたクラブこそあんなれがあると聞く。さらばカフェがあってもよかろう」

「なんだ文句あんのかよ!」

「俺たちの演目は聖女カ――教会カフェと決まったんだよ」

「お前ら…………」

 一年C組はこうして、聖女教会の手によって完全に私物化されたのだった。


 そうして夏休みが明けた今、明良の目の前にはおびただしい数の聖女の像が用意されていた。

「なんじゃこりゃ………………」

 つまり、奏をモデルにしたと思われるフィギュアや彫刻、あるいは絵画、あるいは抽象芸術などなど、ありとあらゆる偶像が教室の床を埋め尽くしている。一体この一か月の間に何があったと言うのか。正直、想像もしたくない。そしてそんな偶像たちに囲まれて、額に冷えピタを貼り付け、目の下には真っ黒な隈を作った男子どもが必死こいて装飾を作る作業に勤しんでいるのだった。さながら奴隷のような有様だが、きっと好きでやっているのだから、明良に止める義理もない。

「キリスト教では偶像崇拝は禁止されてるはずですけどね」

 はは、と顔に乾いた笑いを貼り付けた奏がやってきて、明良のすぐ横に立つと、スマホで一枚写真を撮る。その手には、二つ折りになった紙が一枚握られている。きっと担任だか、文化祭実行委員だかと連絡を取り合う役でもしているのだろう。

「まああくまで聖女教会カフェだからな。崇拝の対象はお前で、キリストじゃない」

 明良がそう言うと、奏は複雑そうな顔を浮かべた。

 しかし、自分をメインにした模擬店で渉外とは――

「お前の美貌も難儀なもんだな」

 はは、とまた乾いた笑いを浮かべた奏は、ちなみに、と持っていた紙を明良に渡してくる。

「これがカフェで出す内容だそうです」


【メニュー】

 ・聖水(お冷)

 ・聖杯でいただくお紅茶/珈琲

 ・聖女様のパンケーキ


「なんじゃこりゃ」

「えっとですね、まず聖水は普通に水道水ですね。特に私が手を加えたりとかもないです。理屈としては聖地の水だから聖水だろってことらしいです」

「それじゃ学校内の水が全部聖水になるだろ」

「そういうことみたいですよ、はは」

「んで、聖杯ってのはなんだ」

「ああ、それはですね」

 奏はその辺の机の上に沢山置かれていた箱を一つ手に取る。十五センチ四方くらいのボール紙の箱だった。

「これが聖杯です」

 箱の中から取り出されたのは、新品のマグカップが一つ。

「普通のマグカップだな」

「これは私が家で使っているのと同じマグカップです。私はどこで買ったのかも覚えてないんですけどね、はは、写真を送ったらこんなに大量に」

 机の上に積み上げられた箱は、実に二十個を数える。一つあたり二千円くらいだとすれば、かかった金額は四万。果たして生徒会から割り振られる文化祭のクラス予算にそれだけの金額があっただろうか。

「あ、これは聖女教会の方からの寄付という扱いになってるらしいですよ」

「は?」

「つまりですね、あの人達が勝手に割り勘して買ってきて置いてるってことですね、ウケる」

 見たことの無いほど顔から表情の抜け落ちた奏は、そのまま話を続ける。

「あ、でもパンケーキは多少マシですよ。私がトッピングを考えたんです。夏休み、家で自分で食べるときに」

 奏はそう言うと、スマホを取り出してカメラロールを遡り、一枚の写真を映した。

「ほら、これ」

 お皿に二枚乗ったパンケーキ、その上にはバターがひとかけら乗り、はちみつが格子状にかけられている。パンケーキの上から脇にかけてはベリーミックスが散らされ、その端には二、三のホイップクリームの塊が乗っていた。

「おお」

 流石と言うべきか、奏の作ったそのパンケーキは喫茶店で出てくるそれと遜色ないと言えよう。おしゃれなパンケーキとして想像するパンケーキそのものと言ってもよい。

「しかしこれ、当日誰が作るんだ?」

「明良くん、クラスライン全然見てないじゃないですか」

「長くて」

「当日はクラスの一般調理担当がパンケーキを量産して、そのパンケーキに聖女教会の構成員がトッピングを加えて、そしてクラスにいるこれまた一般ホール担当が接客とそういうことになってます」

「譲れないんだろうな、知らんけど」

「そうなんでしょうね」

 はは、と今日何度目になるかわからない乾いた笑いを浮かべ、奏はクラスの女子たちのグループに戻っていった。


「――ところで」


 ぬっと横から顔を出したるは藤原。 

「うわっ、なんだよ急に出てくるなよ」

「つかぬこと伺うが、聖女様とはお付き合いし奉り給うているのか」

「あのな、そういうプライベートなことは」

 少し後ずさった明良に、二人の聖女教会員がさっと付く。最後を固められ、逃げることもできず、一体どうしろと言うのか。

「たとい付き合っているとも、我々が危害を加えんことはない。付き合っていても、問題ない。いかに。正直に宣わば、サポートもこそせめ」

「いや、付き合ってないぞ」

「へっ!?」

 心底驚いたように、明良を固める三人が気の抜けた声を出す。

「付き合ってないの!?!?」

「あれで!?!?!?!?!?」

「上野であんなに密着して歩いてたのに!?!?!?!?!?!?」

「おいちょっと待てお前」

「付き合ってないの!?!?!?!?!?!?」

「日光でもあんなにず―――――――ッと一緒に過ごしていたのに!?!?!?!?!??!!?!?!?」

「ことあるごとに意味ありげな視線を交わしているのに!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!」

「うるせぇなお前ら!!!!!! まだ付き合ってねぇよ!!!!!!!!!!!!!!!!!」

「あああ、あきあき、明良くん! ちょっと落ち着いてくださいよ!!」

 後ろから奏に抱きしめられ、少し落ち着く。

 ――ちょっとまて、俺は今何と言った。

 そして抱きしめられているというよりは羽交い絞めにされているのだと気づく。

「ああっ! うらやまけしからん! 聖女様とあんなに密着して」

「待てェいッ!!!!!!!!」

 藤原の最大音量で、教室はしんと静まり返る。当然、羽交い絞めにされる明良は教室中で最も注目を集める人間であることは疑いようがなかった。

は、断固として聖女様の意思を尊重すると決めているのだ。さあ、文化祭の準備に戻ろうではないか……!」

 なんとも唸り響く、そんな声がどこから出るのかと思わされる藤原の低音によって、この混沌は収束を見せるのだった。

 ――が、しかし。

 上野で目撃されるのはよしとしよう。偶然上野に来ていることもあるだろう。しかし合宿は直前まで部長と顧問以外の誰も行き先を知らないという某北海道のバラエティ番組もびっくりな企画であって、そんな簡単にストーキングできるような代物ではないはずだ。それをなぜ、さも見てきたかのように語ることができるというのだろうか。

「ほんとになんなの? こいつら」


 奏を模した偶像群を押しのけながら、明良たちはようやく教室をあとにする。文化祭というものは果たしてまだ文化祭まで二週間を残すこの状況でここまでの準備を済ませてしまうものだろうかと疑問は尽きない。こんなゴチャゴチャした教室でどうやって授業をするというのだろうか。聖女教会のやつらはきっと何ら問題としなかろうが、そこまでして奏を崇拝していない生徒にとっては迷惑極まりない。そう、例えば明良とか。

「はあ、なんか疲れたな」

「本当ですね」

 はあ、と隣を歩く奏は大きな溜息をついた。

「お前が一番疲れるだろうよ」

「まあ精神的疲労はありますが、今回のうちのクラスの出し物はほとんど聖女協会が取り仕切っているので、我々が何か準備しなきゃいけないことはありませんから」

 そこが救いです、と奏は笑う。

「あまりにもうちのクラスが私物化されすぎてるだろ」

「私の影響力ははかり知れませんからね、はは」

 本校舎を抜け、体育館への渡り廊下を歩く。いまだ暑さは消えず、しかし吹く風は夏本番よりはマシになってきただろうか。

「ところで」

 奏がぱっと立ち止まる。振り向けば、奏は腕を組んで首をかしげていた。

「今思ったんですが、あれだけ行動を見られているのに、どうして私が明良くんにセクハラ放題なことはずっとスルーされてるんでしょうか」

「自覚があるようでなによりだよ」

 そのままの姿勢で、奏はまたゆっくりと歩き出す。

「見たいものだけ見てるんじゃないか?」

 明良がそう言えば、奏は反対に首をかしげる。

「それはわかりますが、そもそも見たいものだけ見てるとしたら明良くんに私がベタベタしているのを見ているのはおかしなことになります」

「つまりどういうことだ」

 もしかすると、と奏はまた立ち止まる。

「私のセクハラは見逃されているだけなのかもしれません。例えば、そう、きっと今も誰かが私たちのことを見ているとは思うんですが、そう、こうやって」

 奏は明良に近づいてくると、わざとらしく腕に胸を押し当て始めた。

「例えば、教室でこうやって明良くんに胸を押しつけたりしても、藤原くんたちは何も言わないじゃないですか」

「今やる必要あるか?」

「え、ないですけど」

「なんだよ」

 そのまま明良の腕に抱きつくようにして、奏は部室のほうへ歩き出す。もちろん、明良も一緒に進む。

「聖女教会の人たち、私の行動には結構寛容なんですよ」

「いや、人によるだろ。福島とか見てみろよ」

「ああ、いましたねそんな人」

「同じ部活なんだから忘れてやるなよ」

 うーんと奏は唸る。

「確かに彼は自身の解釈を絶対的なものとして考えてます」

「そうだな」

「もしかしたら、聖女教会というのも一枚岩ではないのかもしれませんね」

「そうだな。ところで奏、お願いだから俺に前のめりになるだけの余裕をくれないか? こうさ、さすがに外から見てこれはいただけないだろ」

 テントとはよく言ったものだな、などと明良も関心してしまう。確かにテントというのはこういう形をしている。

「もうすぐ部室ですから、そこまでの辛抱ですよ」

「それまでに人が来たらどうするんだよ」

「私が口で隠してあげます、大丈夫です」

「そっちのが大問題じゃねーか」

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