第23話「生徒会から監査を受けよう」

「ねえ明良くん、私がえっち――つまり性欲が強いことと、私がえっち――こっちは私がつまり、エロいってことですが――これらは全くの別問題だと思いませんか?」

「何の話?」

 部室に辿り着いて早々、奏がそんなことを言う。いたっていつも通りのような気はするが、言っている意味が明良にはいまいちピンとこない。

「てか、どちらにせよえっちじゃん、お前」

「いやまあそうですよ、そうですけどね」

 奏は腕を組んで椅子に座る。それでいいのか、お前は。

「私は、この通り鴉の濡れ羽みたいな髪色で目尻に黒子があって美少女で――」

 やにわに奏はYシャツのボタンを二つ外して胸元をさらけ出す。今日の下着は黒らしい。

「――胸がそこそこ大きくてその上ここに黒子まであってえっちでありながら、明良くんの目の前でことを致してしまうようなえっちさもあわせ持っためちゃめちゃえっちな――」

 ――ガチャ。部室の扉が開く。

 そこに立つは、天下の生徒会長その人だった。ワイシャツにリボンをつけ、スカートは膝上五センチくらいと模範的。二の腕あたりに巻きつく「生徒会」の腕章が、何よりその立ち姿に威厳を与えている。

「楽しそうな話をしているな。私も混ぜてくれないか」


 奏と明良が座る向かいには、生徒会長氷上優華がその威厳をなお漂わせ座っている。奏と氷上が並ぶとなんと絵になることだろうか。今が猥談の真っ最中でなければ、明良もその感動を味わえたのだろうか。

「佳孝はな、胸が好きなんだ、胸が」

 なんと情けないことだろうか。かつて氷の女王などと呼ばれた面影はどこにもありはしない。絵になるなどと言った数秒前の自分を殴りたい。もはや氷上は、明良と奏の目前で大惚気カマすただのうるせぇ女でしかない。ちらりと横を盗み見れば、さすがの奏もあまりの話の生々しさに若干口角が引きつっている。結局のところ奏も、経験のない明良とその方面の進度は大差がないのだ。こんなところで奏と自分がどこまで行っても同類であることなど実感したくなかった。

「やはり男というのは胸が好きなんだろうな」

「明良くんもこの間お風呂で随分念入りに洗ってましたよね、私の胸を。おかげで結構ギリギリだったんですから」

「あんまり人に言うなよそういうこと」

 明良がそう言えば、奏は明良の耳元で小さくつぶやいた。

「あの人にもそれ言えますか」

「言えないわ」

 やはりな、となぜか納得顔の氷上はうんうんと頷いて、肉体美について語り始める。氷上が佳孝と呼ぶその愛しの彼氏の身体の解像度が、本人不在のこの場で上がっていくこの感覚はなんであろうか、などと明良は思考の中心を別なところへ弾き飛ばしてやり過ごすのだった。

 ――肉体美と言えば。

 思い起こされるのはやはり、奏の身体だ。素晴らしいものであったと言わざるを得ない。

「明良くん、この話の流れであんまりじろじろ見られるとさすがの私でも恥ずかしいですよ」


 ガチャリと扉が開く。そこに立つのは、井上諒太、すなわち生徒会副会長だった。仁王立ちという言葉がなんとも似合う立ち姿だった。

「お前は監査に来ておきながらどうして監査で問題視されそうなことをするんだ」

 なお話を続けていた氷上の言葉に頭を抱え、今にも井上は崩れ落ちそうになっている。

「まあ、この子たちいつもこんなだけどね」

 井上に答えたのは我らが演劇部の衣装・小道具制作担当の木村葵だった。

「…………まあ、そうなのかもしれないが、監査する側が不純異性交遊をひけらかしてどうする」

「ひけらかしてはいないが」

 ――だいぶひけらかしていたが。

「まったく、これから監査をしようというタイミングでいなくなったかと思ったら、まさか噂の聖女様と猥談とはな」

 井上はやれやれとつぶやきながら部室に入ると、明良たちの向かい、氷上の横に腰かけた。続けて木村は、奏の横に立つ。

「で、監査期間中の活動日にどうして部長がいないんだ?」

「私から逃げたんだろうね」

「そうだろうね」

 井上の疑問に氷上が答え、木村がそれを肯定する。奏もうんうんと頷いているし、明良もその通りだと思う。

「それはそうと――」

 氷上は思い出したかのように口を開いた。

「井上、君こそ、すぐに上に上がってくればいいものを、二十分もの間ふたりっきりで下で何をしてたんだ?」

「別にそれはいいだろう、別に」

 ――あ、いまめっちゃ目そらしたな。

 奏の方をちらりと見れば、奏もまたこちらを見ていた。

「黒だな」

 明良がそう言えば、奏はうんうんと頷く。

「まあ今日はピンクですけどね」

「黒だったろ」

「それはブラです。ピンクはパンツの話ですよ」

「――いや全然よくない。私が一年生二人との猥談を楽しんでいたことを非難するなら、君が幼馴染の女子と二十分も二人っきりで密室――というと言い過ぎだが――異性との時間を楽しんでいたことも非難されておかしくないはずだ。一体何をしていたんだ。結局どこまで行ったんだお前たちは。もうえっちはしたのか」

 ――幼馴染だったんだ。

 ここへきての初情報に、明良はつい気を取られる。

 かたや向こうでは、畳みかけるように、氷上がぐいぐいと井上に近づいていく。ついに壁際の機材シェルフのところまで追いやられた井上は、ぐぬぬとまるでアニメみたいに呻く。

「付き合ってるんだな?」

「……………………ああ」

 長い沈黙の末、井上は小さな声で肯定した。なんと、知らないうちに知り合いがくっついているではないか。

「で、どっちから告白したんだ? ――

 愛を、と氷上ははっきりとゆっくりと発声した。何か、恨みでも晴らすかのように。

 井上はしばらく逡巡し、それからちらりと木村の方を見てから観念したかのように小さな声を出す。

「…………俺だ」

 ほうほうと、興味深そうに氷上はさらに詰め寄る。

「お前、去年の文化祭のときは随分といろいろ言ってくれたな。その仕返しをするときが今、来たようだな。覚悟しておけ。で、えっちはしたのか、どうなんだ」

「葵先輩、さすがにちゅーはしましたよね?」

 演劇部を代表して尋問に参加するは、我らが誇るむっつりスケベ、もちろん四方山奏である。

「んーん、まだそういうところまでは」

「何だ、まだ指一本触れていないとでも言うのか」

 井上は何も言わないと判断したか、氷上はターゲットを木村に移す。

「あのな、生徒会室で事に及ぶような君と一緒にしないでくれないくれよ。俺は順々に進んでだな、そういうことは結婚してから――」

「えっ……」

 木村がびっくりしたような顔をする。井上は木村を守るために口を開いたのだろうが――

「そんな先までお預け……?」

「えっ?」

「ちなみに今はどこまでいったんですか」

 明良が最後の一押しをすれば、木村はようやく重い口を開いた。

「この間デートに行ったときには、手つないでくれたけど」

「昭和の恋愛みたいですね」

「抱擁もしてやらなかったのか」

 氷上が井上に詰め寄る。手に持ったバインダーを顎に押し当て、その様はさながら武士が切っ先を向けているかのようだった。

「そ、そんなの、葵が身体に触れられて嫌だったら……」

「い、嫌なわけないでしょ! 見てよこの子たちを! 付き合ってないのにいっつもイチャイチャイチャイチャ、私だってちょっと羨ましいと思うくらい……!」

 ばっと明良たちを指さし、木村もまた井上に詰め寄る。

「そりゃ私はそっちの二人よりもおっぱい小さいし抱きしめてもあんまり柔らかくないかもしれないけど……!! 私だってずっと!!」

 ふふ、と氷上は笑う。

「ほら、こう言ってるぞ。懐の深さを見せるときなんじゃないか」

「なんなら見本でも見せましょうか、ほら」

 明良が適当にそう言って奏を後ろから抱きしめれば、さすがに後輩にこう言われては井上も引けなくなったのだろう。氷上を押しのけ、ゆっくりと木村に近づいていく。

「よし、抱け!」「いまですよ!」「男見せてくださいよ」

 三者三様、適当なことを言って冷やかせば、いよいよ井上も腕を伸ばす。ゆっくりと木村の背中に腕を回し、優しく抱きしめる。

「おお、見てください、先輩たちがハグしてますよ」

「そうだな」

 ――カシャ。

「お、おい!」

 無言で写真をとった氷上に、井上はばっと木村から離れ抗議の目線を送る。

「お前のスマホに入っている私と佳孝のファーストキスの写真のデータと交換――いや、そうだな、それじゃ対等じゃない」

 氷上は不敵に笑う。なんと悪役の似合う人であろうか。

「なあ、君たちはどこまで行ったんだ?」

 明良たちの方を見て、氷上は言う。奏と目を見合わせ、うーんと唸る。どこまで言っていいものか。

「キス、したことありますよ」

 奏はそう言って少し顔を赤らめる。だがこの一時の恥も、この先見れる生徒会副会長と我らが衣装小道具制作木村との初キスシーンをお目にかかるための必須要素。この程度のダメージ安いものである。

 ――まあ。

 捉え方によってはキス以上のこともしたような気がするし、キスもただ脣を合わせたという話ではない。だが流石に、それを求めるのは酷だろうというのが、明良と奏の間に無言のうちに交わされた共通認識だった。

「キスなんてそんなの不純な……」

「でも純愛モノの演劇でもキスしたりするよ」

「葵⁉」

 ――あの人結構積極的だな。

 これが空気感のなせるわざということなのだろう。すでに木村もそういう気分になっているように見える。奏も今目の前でファーストキスを目撃できるのかとそわそわしっぱなしで、明良の手を取り強く握っている。

「今を逃したら、いったい次にはいつタイミングが来るだろうな?」

 パン、と氷上が井上の肩を叩く。

「ねえ明良くん、先輩、キス待ち顔ですよ、ほら」

 奏も小さな声で大興奮で、バタバタと明良の手を上下に振っては、反対の手で木村の方を指さしている。そっちはそっちで、すでにキスされる準備は万端といったところだろう。

「この……! もうどうにでもなれ……!!」

 再び木村に回される井上の手。そうして二人の顔は近づき、やがて一つに重なる。

 ――カシャ。カシャカシャカシャカシャカシャカシャ。

「なんつー容赦のない連写だ」

「よっぽど等価交換にしたいんですね。あれじゃ氷上先輩の方が価値高くなりそうですけど」

「というか、そもそも私と佳孝が仲睦まじいことは隠してもいないし、一年生ならまだしも二、三年生の間で写真が出まわろうとノーダメージだから、最初から等価交換などではない」

「お、お前!」

「騙される方が悪いんだぞ。ふふ、とりあえず生徒会のグループにでも送っておこう。あ、あとは心寧にも」

 ――悪魔か。

「ねえ明良くん、なんかいいですね」

 奏はそう言って、明良の手をにぎにぎする。

「甘酸っぱいな」

「生徒会室は私と佳孝が使っているし、部室はすでにこの二人が使っている。二人と交渉して部室を明け渡してもらうか、あるいは新たな場所を見つけるんだな」

 氷上はそう言いながらスマホをしまう。

「俺たちが生徒会室を使う選択肢はないのか」

「ないな、二組で使ったら、いよいよ普通の業務が滞ってしまうだろう? 生徒会室の異性交遊枠は私と佳孝ですでに先々まで予約済みだ」

「いつそんな予約をしたん――」

「諒太、もう一回」

「んっ」

 話していた井上の顔をぐいと掴んで、今度は木村が脣を奪う。

 ――なんか。

「エロいな」

「エロいですね」

「さっきの話だが、最もエロかいのは木村葵に決定だ」

 堂々、氷上が宣言する。明良は特に意義を唱えなかったし、奏もそうだった。

 ――ていうか。

「監査は?」

「あ」「あ」

 明良の言葉に、生徒会の二人はその場に崩れ落ちるのだった。

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