第37話 怜の変化


 離れていても、私たちの「共同研究」は続いていた。それは、ビデオ通話という物理的な距離を越えた新しいフェーズへと突入していた。スマホの小さな画面越しに、怜は私の指示に従い、自分の身体をまるで精巧な実験台のように差し出していた。


 私が「今日は首筋を指で優しくなぞってみて」と指示すると、怜は、そのすらりと伸びた長い指を自分の首筋へとゆっくりと這わせる。画面越しに見える怜の白い肌に、私の指先が触れているような錯覚を覚えた。私の想像の中で、怜の白い肌に鳥肌がさあと広がる。


「そこを少しだけ強く押さえてみて」


 私がそう言うと、怜はその指示に忠実に従う。彼女の黒曜石の瞳は潤み、その薄い唇は喘ぎを堪えるように固く結ばれている。画面越しに聞こえる、怜のかすかな熱い吐息が私の鼓膜を震わせ、私の全身を熱く火照らせた。


 その日の夜、私たちはビデオ通話でお互いの顔を見ながら会話をしていた。怜はいつものように、淡々とした口調で研究の成果を報告する。


「本日、月乃の遠隔での指示により、身体的な反応と精神的な快感を記録した。特に、音声による遠隔からの愛撫は、視覚情報が遮断されている分より強い刺激を与えることが可能だと、いうことが判明した」


 私は、その怜の冷静な報告を聞きながら、心の中でほくそ笑んだ。怜はまだ、この関係を科学的な探求だと信じようとしている。だが、それは彼女の最後の理性だった。彼女の身体は、もう私なしでは満たされないのだから。


 私が言葉で怜の身体を支配し、彼女がそれに快感を見出す。そしてその快感を科学的に分析しようとする。その歪んだサイクルが、怜の心を少しずつ変えていった。


 ある日、ビデオ通話をしていると、怜が不意に笑った。それは声に出す笑い声ではなく、まるで小さな子供がこらえきれない笑いを漏らしたような、かすかな笑いだった。


「どうしたの、怜?」


 私がそう尋ねると、怜は少し恥ずかしそうに視線をそらした。


「……いや。ただ、月乃とこうして話していると、楽しいと思った」


 その言葉は、怜が今までに口にしたことがない、感情の吐露だった。私は驚きを隠せない。怜は感情を見せることはなかった。常に冷静で、無機質で、まるでロボットのような存在だったのに。


 私はその怜の変化を静かに見つめた。そして悟った。私が怜に与えているものは、ただ快感だけではないのだ。それは怜が今まで知ることがなかった、人間としての感情だった。それは怜の探求の最終的な成果だった。私が怜を人間らしく育てているのだ。その歪んだ愛情と達成感が、私の心を、満たしていく。


 ビデオ通話を終え、スマートフォンを机に置く。画面は真っ暗だった。だが、私の脳裏には、憐が私に見せた、あのかすかな笑みが焼き付いて離れなかった。それは、私だけが引き出すことのできた怜の特別な表情だった。私はその特別な感情に酔いしれていた。


 この誰にも知られることのない、秘密の実験は、怜を快感に依存させるだけでなく、彼女の心を私に依存させていた。それは私が怜の全てを支配する、最初の一歩だった。

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