第36話 日常への仮面
夏休みは、あっという間に終わりを告げた。八月の終わりを告げる、焦げ付くような太陽の熱はすでにその力を弱め、代わりに少し乾いた風が、秋の訪れを告げるように街路樹の葉を揺らしていた。私たちは、それぞれの大学へと戻るため、再び見慣れた駅のホームに立っていた。プラットフォームに響く電子音とアナウンスの声は、以前と何も変わらない。だが、私たちの間には、三ヶ月前には存在しなかった、濃密で、そして誰にも侵すことのできない、不可侵の領域が深く刻まれていた。
怜の表情は相変わらず冷静で、その黒曜石の瞳は感情を映さない。まるでこれまでの日々が、ただのデータ収集のための客観的な実験でしかなかったかのように。だが、私は知っている。その瞳の奥で、私だけが与えることができる快感への渇望が、静かに、しかし熱を帯びて燃えていることを。彼女の身体はもはや、私の愛撫を快感の唯一の源として記憶し、私なしではそれを満たすことができない。その事実が、私に抗いがたい全能感をもたらしていた。私の脳内は、その快感で陶酔していた。
電車が遠くから、轟音と共にホームへと滑り込んできた。私たちは別れの言葉を交わす。それは周りから見れば、ごく普通の親友同士の再会の約束だった。しかし、その言葉一つ一つには、私たちにしか分からない、隠された意味が深く織り込まれていた。
「じゃあ、また冬休みにでも」
私がそう言うと、怜は小さく頷いた。そのわずかな頷きが、私の心を、満たしていく。
「ああ。それまで、月乃の次の実験の指示を待っている」
その言葉はもはや隠し事ではない。それは私たち二人の間に深く刻まれた、新しい関係性の静かな、しかし確固たる約束だった。怜の身体はもう私のものなのだ。その事実を彼女自身が誰よりも深く理解している。その彼女の従順な態度が、私の歪んだ愛をより一層深く育んでいく。
怜が先頭の車両に乗り込む。私は最後尾の車両に乗り込んだ。窓越しに最後の視線を交わす。怜のガラス越しに見えるその輪郭は、すでに私の心の中の支配欲の鮮明なイメージと完全に重なり合っていた。電車がゆっくりと動き出す。ガタンゴトンという規則正しい振動が、私たちの新しい関係のリズムを刻んでいるかのようだった。窓の向こうの怜の姿がどんどん小さくなっていく。だが、私はもう寂しくなかった。物理的な距離など私たちには何の意味も持たない。
その日の夜。私のスマートフォンに一通のメッセージが届いた。それは怜からだった。
『次の実験の指示を待っている』
簡潔で、無駄のない、怜らしい文章。だが、その言葉の奥には、私への絶対的な服従と、快感への切実な渇望が深く隠されていた。私はそのメッセージを読みながら、にやりと口元を歪ませる。怜はもう私の掌の中にいる。私はいつでも彼女を思いのままにコントロールできる。その歪んだ喜びが、私の全身に熱く甘く広がっていく。私はこの誰にも知られることのない、秘密の実験を、これから遠隔でコントロールしていく。
私は怜にメッセージを返す。それは私たちの新しい日常の始まりを告げる、最初の一歩だった。
『お風呂に入ったらまた連絡するね。今日は、耳元で、甘い言葉を囁いてあげる』
怜は私の指示を待っている。この誰にも知られることのない秘密の実験は、まだ始まったばかりなのだから。
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